第9話 林檎の罪

「きみは魔女の国の数少ない生き残りの一人であり、老練な結界魔法の使い手。しかも、腕利きの薬師ラトーナから薬学の教えを長く受けている。きみはそれらの豊富な知識で、黒魔こくまうろこの性質を利用し、魔女の国の代から現在まで続く〝結界樹の禊を湯で行う〟という方法を編み出して、魔女の大結界魔法の脆弱化を図った。魔女の国跡、全ての結果樹の切株を焼いて毒の痕跡を消そうとしたのもきみだ。随分前から、魔女の国跡へと足繫く通っている君の姿を見たと、多くの魔女たちから聞いたよ。だからこそ、ぼくの魔女の国跡への案内役にもきみが選ばれた」


 メーラは一度目を伏せると小さく微笑みを零してから、ゆっくりアルカイヤへと身体ごと振り返った。


「やっぱり、アルカイヤさんには全てお見通しでしたか。流石は、考古学だけでなくあらゆる学会で『人類が記してきた史実を捻じ曲げ、喰い荒らす』と疎まれてる〝火喰ひくい〟の女史ね」


 メーラはどこか皮肉めいた声でアルカイヤを〝火喰ひくい〟と呼ぶ。アルカイヤはその言葉に微かに目を伏せると、小さく首を横に振った。


「史実とは、視点によって変わるものだと考えてる。ぼくは歴史上の勝者だけが残した史実だけでなく。敗者が命懸けで密かに受け継いできた別の史実も、比較対象として研究してきただけだよ」

「ふふ……そうね。魔女の歴史も、敗者の歴史。人間の歴史書では『勇敢なる勇者の国が、悪しき魔王の治める国を打ち倒した』ってことになっているんだもの。本当は、私が国の魔女みんなを裏切って、殺して、滅ぼして……数少ない生き残りの魔女も全て、人間たちの奴隷に堕としたんだから」


 自嘲するように、メーラは鼻からふっと息を漏らす。


「だけど裏切られたのは、きみもなんだろ。きみもラトーナたちと共に、人間の奴隷として売り飛ばされたんだから」


 アルカイヤの言葉に、メーラは悲しげに目を細めて首を横に振った。


「……お話はここまでにしましょう。私はね、アルカイヤ先生。真実の全てを知ってしまった、あなたを殺しに来たのだから」

「きみでは到底、ぼくを殺すことはできない」

「いいえ、できるわ。だってあなた、ずいぶんと強がっているけど、既に隠しきれていない。黒魔の毒であなたはもう、ろくに動けないのでしょう」


 メーラの言う通り、アルカイヤの体調は魔女の国跡よりペイタルに帰って来てからさらに悪化していた。アルカイヤはいつでも体術を繰り出せるよう足を踏ん張ろうとするが、眩暈でふらつき、視界が霞む。いつの間にか息も上がっていた。

 微かに額に脂汗も滲ませているアルカイヤへ、メーラは冷たい声を突き刺す。


「歴史を守り、語り継ぐあなたをここで殺す。そして、魔女もすべて滅ぼす。魔女の歴史は、ここで途絶えさせるのよ。私が」

「魔女を歴史ごと滅ぼす? それがきみの目的?」


 アルカイヤの問いに、メーラは少し間をおいて語り出した。


「私は今、歴史を繰り返してる。そう、愚かな生き物なの。このままではまた、きっといつか現れるわ……私と同じように、敵国の男を愛して、男と添い遂げたいがためだけに国を滅ぼす愚かな女が。必ず」


 メーラは顔を両手で覆いつくしながら、血反吐を吐くように震えた言葉を連ねる。


「彼は、当時の魔女の国の王だった〝魔王〟さえ差し出せば、魔女の国と民に危害はくわえないと。私を心から愛してると、そう言ったわ。私はそれを信じて、魔王さまの絶対不落の大結界魔法を、毒を以て薄氷のものとした。だけど、彼は、人間たちは! 数えきれないほどの魔女たちを笑いながら虐殺していった……その後生き残った数少ない魔女は、私は! 人を人とも思わぬ残酷な人間たちの奴隷として売り飛ばされた!」


 メーラは唇を今にも噛み千切ってしまいそうなほどに食いしばり、血を流した。


「それでも私は……私は! 彼を嫌いになんてなれなかった! 人間を、心から愛してやまないままだった! ……そんな自分が、何よりも憎くてたまらない。殺したいほどに」


 メーラは虚ろな目で再び顔を上げ、アルカイヤを見る。


「だから、心底思い知ったの。人は歴史を繰り返すというのなら。私は……魔女は、決して人間に恋してはいけないのだと。もう、こんな地獄のようなおもいは……私だけで、じゅうぶん。また、いつかの魔女がこんな地獄を引き起こすのなら、全て滅ぼしておくべきなの。歴史も、人も。何もかも。再び間違いを起こさないために」


 メーラの心の叫びを聴き終えたアルカイヤは、伏せていた碧い瞳をゆっくりと開け。その透き通る鮮やかな碧の双眸で真っ直ぐにメーラを見据えたまま、大きく首を横に振って見せた。


「そう。メーラはそうおもうのか。……でも、そんなことはぼくがさせない。あらゆる生き物は間違いをおかしながら生きてゆくもの。その無数の間違いも、歴史に記し、後世へと伝えてゆくべきものだ。死んでいった多くの魔女たちが。そしてきみが紡いだ歴史は、これからを生きる魔女たちとぼくが継ぎ、守るよ」


 アルカイヤの言葉でさらにその美しい顔に険しさが増したメーラは、懐から短剣と何やら小さな小袋を取り出した。アルカイヤはふらつきながらも鳥の両足を開いて一度力強く踏ん張ると、メーラへと向かって駆け出す。

 しかし、メーラは突如、小袋に入っている粉状の何かをアルカイヤの前でばら撒いた。それを微かに吸ったアルカイヤは身体を唐突に硬直させてその場に崩れ落ち、激しく咳き込みながら血を吐き出す。


(これは……結果樹の、花粉。黒魔の毒を、吸い過ぎた)


 アルカイヤは止まらない吐血を片手で抑えながら、近寄ってくるメーラを睨み上げる。


「戦士としても。業火をも喰らう獰猛なつわもの〝火喰〟と恐れられるあなたでも、黒魔の毒には敵いませんね。……今のあなたではもう、何も守れません」


 メーラは短剣をアルカイヤに振り上げる。


「さようなら。歴史の守り人、火喰のアルカイヤ」


 刹那。振り下ろされたメーラの短剣は、鋭い蹴りに弾き飛ばされ——アルカイヤの前には、メーラの短剣を蹴り飛ばしたガヴィの姿があった。アルカイヤは思いがけず、目を丸くしてその大きな背中を見上げる。


「きみ、は……! なぜ、ここに」


 アルカイヤの掠れた声に、ガヴィは意気揚々と応える。


「何度も言ってるでしょ? アルカイヤ先生。俺は、なんです」


 小首を傾げて、ガヴィはアルカイヤに綻んだ視線を寄越した。


「助手ってのは、言いつけを破ってでも、命に代えても。何よりも優先して、あなたを守るものだ」


 それを聞いたアルカイヤは一瞬目を大きく見開くが、すぐに呆れたように目を伏せて、微かに笑いの滲んだ吐息を小さく吐き出した。


「そんなバカな助手、いてたまるか」

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