第7話 魔女の聖泉

 ペイタルへと帰り着いたのは、もうずいぶんと夜も更けきった頃であった。暗闇に沈んだ魔女街まじょがいの門を目前にして、相も変わらず無口なアルカイヤを先頭にガヴィたちは楽しげに談笑しながら歩を進めている。そんな中、メーラはほんのりと白い頬を桃色に染めて、またもやガヴィを自宅へと誘っていた。


「ガヴィ、今夜もウチに泊まりに来ない? ペイタルに帰ったら、まだ私は街の結界樹けっかいじゅに禊の湯をあげるお仕事があるけど……」

「お。嬉しいお誘いだな。……で、禊の湯って?」

「ええ。結界樹けっかいじゅの周りに他の植物が生えてしまったら、結界魔法がそちらにも分散してしまうから。結界樹を清めるを沸かして、ついでに雑草除けにもするの。実は大昔に私が考え出した禊方法なんだけど……便利でしょう?」

「へぇ、なるほど。流石はメーラ。賢いな」

「ふふ、ありがと」


 微笑み合っているガヴィとメーラに、ラトーナは半眼で大きく息を吐いて見せる。


「騙されちゃダメよ、メーラ。その軽薄野郎はそうやって女をいい気分にさせて……」


 しきりに悪態を吐いてくるラトーナに、ガヴィは妖しくニヤリと口角を上げて振り向く。


「何だ、ラトーナ。嫉妬?」

「そ、んなわけないでしょうが!」

「ほんと、ラトーナはメーラにくびったけ」

「うううるさい!」


 そうして、四人が魔女街の門をくぐったところで、何やらガヴィはアルカイヤから短く耳打ちされた。ガヴィはそれに微かに眼を細めて見せる。

 その後アルカイヤはラトーナたちを振り返ると、小さく頭を下げた。


「それでは、ここまで世話になった。ありがとう。きみたちは解散でいい」


 誰かが口を挟む間もなく、アルカイヤは短くそう言い残すと、早い足取りで街長まちおさの館へと直行してしまった。ガヴィは肩を竦めて、すぐに闇に紛れて見えなくなってしまったアルカイヤを見送ると、ラトーナとメーラにひらりと手を振る。


「と、いうことで。ラトーナのヤキモチに免じて、俺は宿にでも泊まるとするよ。それに、メーラもラトーナもお疲れだろ? 今夜は仕事もほどほどに、ゆっくりお休み」


 ガヴィはそうやんわりとメーラの誘いを断ると、いつかの朝、メーラの鏡を売ってできた金を手にいい宿に泊まるのであった。


 ◇ ◇ ◇


「はあ~。ここで一日中食って寝て過ごせたら至高に違いない」


 宿をとってしばらく。ガヴィは未だにふかふかの寝心地のよさそうな広い寝台でくつろいでいる。

 不意に、窓が二度叩かれた。それがわかった瞬間、ガヴィは微かに笑みを浮かべながらすぐさま起き上がって窓のそばに立つ。


「さて。夜這いかな?」


 そんなことを独り言ちては、目の前のカーテンと窓を開け放つ。そこには、如何にも不機嫌そうな顔したアルカイヤがいた。ガヴィはアルカイヤのしかめっ面を見るなり、笑いを堪えて首を振る。


「あなたが俺にボアン婆の館に近いこの宿に泊まれって指示してきたんじゃないですか。そんな顔しなくても」

「……」

「何です、先生。もしや、やっぱり……夜這いだった?」


 戯言を遮るように、アルカイヤの鳥の脚がガヴィの顔を丸ごと鷲掴む。ミシミシと音を立てさせながら低い声でアルカイヤは唸った。


「きみの頭蓋、木っ端微塵に潰されたいの?」

「あああだだだだだ!? じょーらん冗談! じょーらん冗談れふってですって!」


 アルカイヤはフンと鼻を鳴らして鳥の脚からガヴィを解放し、ボアンの館に向かって顎を振って見せた。


「ボアンの館に来て。誰にもつけられないように。いい?」

「いたたたた……わかりました。にしても、俺に何のご用で?」

「……」


 アルカイヤは何やら目を細めてガヴィの顔をしばらく見つめると、小さく呟く。


「顔色、悪いね。ほんの少し」


 アルカイヤの言う通り、実のところガヴィの体調はここ何日も優れていない。今までちょっとした自分の不調など誰にも悟らせたことが無かったガヴィは、驚きながらも少し嬉しく思いながら小首を傾げて見せる。


「心配、してくれたんです?」

「……。無駄話はおわり。さっさと来て」


 しかし、アルカイヤは一つ瞬きをすると表情を変えることなくそう短く残して、二階から夜闇へと飛び降りた。


(俺が資料? うーん、どうにも)


 ガヴィはアルカイヤが吞まれた夜闇をじっと見つめ、片手で後頭部から首筋を何度も擦る。そして、「掴めない人だ」と小さく零しながら素早く身支度を整え、宿を出た。


 ◇ ◇ ◇


 ガヴィは街長の館に到着するやいなや、使用人に館の裏口へと通される。そのまま、裏口から繋がる館の裏庭へと出ると、そこではボアンとアルカイヤがガヴィを待っていた。

 ガヴィが現れるなり、アルカイヤはガヴィを頭から足まで隈なく眺め、淡々と尋ねる。


「体調。ここに来るまでに、何か変わったことは?」


 意外な質問に、ガヴィは目を丸くしながらも思わず笑みを溢して答える。


「おや? 随分俺のこと心配してくれますね。素直にうれしいな」

「いいから。早く報告」

「頭痛が少し強くなりました。あと、指先に少々痺れが」

「その一連の体調不良、いつから出てる?」


 片手を何度も閉じたり開いたりしながら、ガヴィはどこか神妙な面持ちをしたアルカイヤからの問いに、静かに答える。


「……この魔女街ペイタルに来てから、ですね」

「ぼくもだ。ぼくの場合は激しい頭痛に吐き気、手足の痺れと眩暈だけど」


 またもや意外なアルカイヤからの返答に、そうは見えないとガヴィは驚きつつ、思いがけず心配の声を掛けようとするが、その前にアルカイヤの鋭い声が闇夜にしんと響いた。


「ぼくたちの体調不良の原因は恐らく、ペイタルでの鳥や小動物、虫たちの大量死の〝凶兆の呪い〟とやらと関連がある。そして、この呪いの源泉がたった今わかった。ボアンの案内で今からそこへ調査に行く」


 アルカイヤはボアンに目を向けると、ボアンは未だ訝しげな表情で頷いた。


「ああ。ワシにはまだ、それが呪いの源泉であるなどと信じられんのじゃが……とりあえず、案内しよう。〝魔女の聖泉せいせん〟へ」


 ◇ ◇ ◇


 ボアンによって案内されたのは、魔女街ペイタルから森の中へ入り、少し奥まった場所にある美しい泉。ボアンによると、〝魔女の聖泉せいせん〟と呼ばれるこの泉の水は、街の結界樹の毎日の禊に使われているのだという。


(魔女の国もそうだったが。この世のモノとは思えない光景だ)


 ガヴィは内心で密かにそんなことを思う。魔女の聖泉の水は、水底が遠くからでもはっきりと見えるほどに透き通っており。そばに咲く癒守花ユシュカの宝石の如き色めきと輝きを乱反射して、まるでステンドグラスのような幻想的な美しさをその水面みなもに湛えていた。

 ふと、アルカイヤが突如、その美しき聖泉の中へと一切の遠慮もなく入ってゆく。それを目にしたボアンは、思いがけず声を荒げさせた。


「な、何をしとるアルカイヤ! いくらおぬしであろうと、その聖泉へ身を浸すことなど許されぬぞ!?」

「まあまあ、ボアン婆。アルカイヤ先生はそう無意味なことはしねぇよ」


 すかさずガヴィがボアンの肩を抑え、宥める。


「見つけた」


 アルカイヤはそんな二人にも構わず、水底からのようなものを拾い上げると、すぐに泉から上がってくる。

「先生、それは?」と尋ねてくるガヴィにアルカイヤは短く答えた。


黒魔こくまうろこ

「コクマ……の、鱗?」


 聞いたこともないとガヴィは首を傾げるが、一方ボアンは身体を硬直させ、酷く驚愕した様子で息を吞んだ。


黒魔こくまうろこ……? まさか、それは」

「ポンコツ錬金術師はともかく」

「やだ。ポンコツて」

「五百年生きてきたボアンなら、その名は耳にしたことはあるだろう。この黒魔の鱗は、数百年前に人類による乱獲の末絶滅した生物の鱗。そして古代薬学史にも名を残す程の〝妙薬〟でもあり〝毒物〟でもある」

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