第5話 盗人

 アルカイヤは、森が開ける少し手前の位置にある木の陰から密かに、目の前に広がる花畑に覆われた墳墓群ふんぼぐんを凝視していた。

 不意に背後から息を切らして走ってきたガヴィが現れて、アルカイヤは振り返ることなく後ろ手でガヴィに制止の合図を送る。それをすぐに察したガヴィは、息を潜めてアルカイヤの隣へと静かに移動してきた。そして、ガヴィはアルカイヤの視線の先にある墳墓群を見て、大きく目を見開く。

 花畑の墳墓群には、十数人の人間の男たちが群がって、盛り上がった小さな丘の如き墳墓を掘り返そうとしていた。


「あれは……まさか」

「盗掘」


 ガヴィの声を遮ったアルカイヤの声は恐ろしく低い。アルカイヤは早足で木の陰から出て行って、墳墓群へと近づいてゆく。そのまま、躊躇うことなく背に負っていた弓を構えると、一気に三本の矢を番え、目にも留まらぬ速さで連射した。

 ビュン、と風を切って放たれた三本の矢は、既に墓の土を掘り返していた三人の男の肩を的確に射貫く。


「があっ!?」

「おい、何だ!?」

「矢だ! 矢に撃たれ、ぎあっ」


 そうして、男たちがこちらに気づいて振り返った瞬間には、アルカイヤが地が踏み割れるほどの勢いと速さ駆けてきて、既に他数人の男たちを蹴りで地面に伸していた。アルカイヤは強靭な鳥の脚で、幾人もの男たちを容易く地に転がしながら、低い声で唸る。


「警告する。今から五つ数える間にこの場から立ち去らない者、何人たりとも生かしておかない」


 しかし、矢に撃たれ、蹴り倒されたのにも関わらず。男たちは自分たちよりはるかに小さな少女であるアルカイヤを未だ侮っている様子であった。


「ああ? なんだてめぇは……ここは劣等種魔女共の墓場。つまりは副葬品の宝の山だ。異人類にはもったいねぇ宝を俺たち人間が回収して何が悪い? 最近できたグリアン王国の対異人法によりゃあ、法も犯しちゃいねぇんだぜ?」

(また、グリアン王国の対異人法。……本当に厄介なモノを作られた。ペイタルの大結界魔法は、やはり早く完成させるべき。魔女の国跡の調査も急がなければ)


 アルカイヤは内心でそんなことを思いながら、小さく息を吐く。

 そして、数名の男たちが剣の柄に手を伸ばしかけた時。アルカイヤの強烈な回し蹴りが剣を弾き飛ばし、身体を柔らかく器用に捻って同時に放った弓矢が男たちの手を貫く。


「助太刀しますよ、っと。先生!」


 ふと、いつの間にかアルカイヤのそばに駆けつけていたガヴィも、蹴りで数人の剣を弾き飛ばした。


「先人たちを敬い、悼む心の欠片も無い盗掘者どもは、許さない——ひとつ」


 アルカイヤは底冷えした声で数を数え始めるのと同時に、矢を番える。


「ふたつ」


 男たちの「バケモノだ!」という悲鳴がたちまち上がる。アルカイヤはその悲鳴を突き刺すような冷たい声で引き続き数を数え、弓を強く引き絞った。


「みっつ」


 この時にはもう、全ての盗掘者が逃げ去っていた。

 ガヴィは呑気に口笛を鳴らしながら、片手をかざして逃げ出した盗掘者たちの背中を見送っている。


「にしても、随分な手練れのようで? 高名な考古学者さんとは思えない動きでしたよ、アルカイヤ先生」


 アルカイヤは最後の鳥人類であるし。身を護るため必然的に身についたものだろうかと、ガヴィが予測しているところで、アルカイヤは淡々と弓矢を矢筒にしまいながら答える。


「考古学者は歴史の守り人でもある。つまりは、戦士。戦士は強くて当然」

(思ってたのと全然違う! 何か男前!)


 ガヴィは内心で小さくぼやきながらも、思わず苦笑を零してアルカイヤに首を傾げて見せる。


「戦士、って……ええ~? わっかんない理屈だなぁ、俺には」

「わからなくて結構。きみも武芸には優れてるように見えたけど」

「はい。まあ、到底あなたには及びませんが。師匠の錬金婆れんきんババアに多少しごかれておりましたから」

「そう。……それより、掘り返された墳墓を元に戻す作業に移る。きみは、ラトーナとメーラを呼んできて」

 

 腕が立ちそうなのは、街長まちおさの館で会った時から思っていたが。案外、それなりにまともな会話もできるのだとガヴィはアルカイヤを意外に思いながら、既に墳墓の掘り返された土を戻そうとてきぱき手を動かしているアルカイヤに恭しく返事を返した。


「かしこまりました。アルカイヤ先生」

「ふざけてないで、はやく」

「ふざけてないのに」


 ◇ ◇ ◇


 結局、日没近くまで墳墓群の復旧作業に明け暮れていたアルカイヤ一行。ラトーナとメーラによると、魔女の国跡までまだ時間がかなりかかるとのこと。それを知ったアルカイヤは、近くで野営をして明朝に魔女の国跡へと出発することを決める。

 携帯してきた保存食のパンに癒守花ユシュカの花弁を練り込んだ蜂蜜を塗った夕飯を食べ終え、メーラとラトーナは早めにアルカイヤが休ませた。アルカイヤは、先刻追い払った盗掘者たちがまた戻ってこないとも限らないので、ガヴィと交代で不寝番を引き受けた。

 アルカイヤは日中に使用した弓の整備を終えると、いつも肌身離さず身に纏っている外套を脱ぐ。そして、露わになったのは、アルカイヤの二の腕から指先までを覆う冷たい鋼鉄——アルカイヤの両腕は、鳥人類ちょうじんるい特有の翼はなく。精巧に造られた義手であったのだった。


「弓の引き方から思ってたんですが——やっぱり先生、義手だったんだ」


 不意に背後から、ガヴィの柔らかな低い声が掛けられる。アルカイヤは外套と同じく常に身につけていた黒色のグローブを外し、己の義手の調子を確かめながら、振り向くことなくため息を吐いた。


「覗き? 相変わらず良い趣味をしているな、きみは」

「まあ、そう言わず」


 ガヴィはアルカイヤの隣まで来ると、そのすぐ横に座ってアルカイヤを愛嬌のある碧い眼で覗き込む。


「ボアンばあが、アルカイヤ先生に錬金術師が必要だって言ってた意味。ようやくわかりましたよ。俺、もちろん錬金術の基礎の一つ、義肢装具の技術もかじってますが。よろしければ、アルカイヤ先生の御手、見せてもらっても?」

「結構。これくらい何てことない」

「つれないなぁ」


 間髪入れずに断られたガヴィは、小さく肩を竦める。そして、背後の地面に手をついて星々の瞬く夜空を見上げながら、懲りずに静かな声でアルカイヤに話しかけ続けた。


「どうして腕、失くしちゃったんです?」


 答えが返ってくるとは毛頭も思っていなかった。しかし意外にも、アルカイヤは何てことないようにガヴィの問いに応える。


「母国が滅んだ時。人質にされ、見せしめにられた。まだ幼かったからか、記憶はぼんやりだけど」

「……そうですか。その腕に、翼はあったんです?」

「ああ、あった。ぼくは飛鳥人ひちょうじん走鳥人そうちょうじんあいの子だから。空も、少しだけ飛んだ記憶がある」

「……翼が無いのは、辛いだろうな」


 辛い思い出を、話させてしまったかもしれない。ガヴィはざわめく胸元を抑えながらふと、すぐ隣を見ると、アルカイヤもガヴィと同じく空を見上げている。

 細められた紺碧の双眸は、恐ろしいほどに穏やかな色をしていた。


「ぼくは翼が無くて良かったと思う。翼があったら、上手く弓を引けないだろうし。何より、空に夢中なままだったら。大地に刻まれたヒトビトの痕跡とその歴史を辿る、考古学という学問に出逢えなかったかもしれない」


 アルカイヤは瞳を閉じて、何かを思い出すような。懐かしそうな声色で語る。


「今でも空を懐かしいと。帰りたいと思うことはあるけど。それよりもぼくは大地を歩んで、大地で生きることが好きだから。これがいい」


 ガヴィはアルカイヤのその思考が、生き方が。素直に好きだと思った。


(俺なら……失ったモノに執着して、囚われて。きっと何も見えなくなる)


 アルカイヤは長く吐息を漏らすと、唐突に素早くその場に立ち上がった。そして、隣に座っていたガヴィをいつもの無表情で見下ろす。


「きみといると、余計なことまで話す。やっぱりきみは嫌いだ」


 どこか苦々しげなアルカイヤの表情に、ガヴィは噴き出すように笑って、小首を傾げて見せる。


「そうなんです? お褒めに預かり光栄だ」

「褒めてない。不寝番、交代。後は頼んだ」


 アルカイヤは短くそう言い残して、メーラとラトーナが眠っている更に奥の木の根元へと歩いていくと、そこに背を預けて眠ったようだった。

 アルカイヤの寝顔を覗くのは、やはり怒られるだろうか。いや、怒られるどころか渾身の蹴りを入れられる可能性が高い。そんなくだらないことを考えながら、ガヴィは再び静寂しじまに吞まれた夜空をしばらく見上げるのであった。

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