第2話 碧き少女

 花と共に生まれ、花と共に生きる——それが魔女。

 街長の館はまさに、そんな言葉を体現したかのような屋敷であった。石壁でできた建物の全体が大量の蔦に覆われ、壁から屋根一面にまで美しい花々が咲き誇っている。

 まるで御伽噺の絵本にでも出てきそうな街長の館を正面から見上げながら、ガヴィは館の敷地内を誰か探している様子でせわしなく動き回っていたボアンに声を掛けた。


「で。何の用なんだ、ボアン婆。何か俺に言いたいことでも?」


 ガヴィの軽薄な声に、ボアンは立ち止まって怒鳴り声をあげる。


「おぬしには言いたいことが山のように大ありじゃ! ワシへの借金返済に、街の魔女たちをだれかれ構わず誑かしおって! おかげで魔女街の風紀の乱れがのお!」

「なーに。小言のためにわざわざ呼んだのか?」


 どうやらガヴィの言う小言は、ボアンの用事とは違ったようで。ボアンは小さく息を吐きながら、ガヴィに長杖を向ける。


「違わい。此度は錬金術師であるおぬしに、火急で任せたい仕事ができてのう。その仕事を一緒に任せるもう一人の客人がさっきまでいたんじゃが、どうも見当たらなくてな……ワシは別の場所を探してくる。ガヴィ、そこから一歩たりとも動くなよ!」


 そうボアンはきつく言い残して、表の庭園側へと行ってしまった。

 しかし、その間言いつけを守って、大人しく待っているガヴィでもなく。ガヴィはすぐさまふらりと館の敷地内をうろつき出す。

 ボアンが向かった方向とは正反対の、館の裏側。ガヴィはそこからさらに広大な庭の外れへと出て、珍しい花畑を偶然見つけた。


「宝石みたいな花……なるほど。これが魔女の癒守花ユシュカか」


 ガヴィは身を屈めて、そこら一面に広がる花畑を間近で観察する。

 宝石のように花弁が結晶化した薄紫色の花々は、〝癒守花ユシュカ〟と呼ばれる魔女の魔法の花。太古より魔女は厄を祓う御守り、または傷や病を癒す薬として〝癒守花ユシュカ〟という魔法の花を作ることを生業としていた。そしてこの癒守花ユシュカは希少性も高く、売ればそれなりの金にもなる代物である。


「……誰もいない、な」


 周りを見渡して、この宝石の花畑には自分一人であることを確信したガヴィ。そしてしばらく悩んだ後。一本くらい頂戴してもバレんだろうと、ガヴィは癒守花ユシュカを摘み取ろうと手を伸ばした。


「駄目だ」


 不意に聞き覚えのある、低めの女の声がすぐそばから聞こえてきて、ガヴィは咄嗟に伸ばしかけた手を止めようとする。しかし、その腕は勢いよく大きなに鷲掴みにされ、地面に叩き堕とされた。


「な……!?」


 ガヴィは痛みも忘れて、己の腕を地面に縫い付ける鳥の脚を弾かれたように見上げる。その脚の持ち主は、先刻質屋で見かけた碧色の小柄な少女であった。


(さっきは顔しか見てなくて気付かなかった。鳥の脚、ってことは……この子、数十年前には絶滅したはずの鳥人類ちょうじんるい? その生き残りか)


 鳥人類ちょうじんるいとは。花山羊はなやぎの民、魔女と同じく人間以外の種族として分類される〝異人類いじんるい〟の種の一つである。鳥の脚や翼を持ったとされる鳥人類は、数十年前に大規模な大戦の最中に絶滅したとされていた。

 少女は驚愕のあまり固まったガヴィの腕を足で抑えつけたまま、ガヴィを冷たい表情で見下ろす。


「この館の〝シオンの癒守花ユシュカ〟は、惨い戦火によって死んでいった名も知れない魔女たちの墓標。みだりに摘み取るものじゃない。わかった?」


 少女は無機質な声でそう言いながら、脚で掴んでいるガヴィの腕へと鳥の鉤爪を喰い込ませる。ガヴィは襲い来る痛みに慌てて、何度も少女に頷いて見せた。


「っわ、わかった! わかりましたから、もげる! 腕があだだだだだだ!」

「……」


 少女は無表情のまま、未だガヴィの腕を解放するそぶりは見せない。このままでは、いよいよ鳥の鉤爪で己の腕が引き千切られやしまいかとガヴィが冷や汗を滲ませた頃、背後からガヴィの叫びを聞きつけたボアンの声が掛けられた。


「ガヴィ! あれほど動くなと言いつけておいたというのに、何の騒ぎじゃ! ……と、おお! おぬし、こんなところにおったのか! 随分と探したぞ。ついでにガヴィもおるし、これはちょうど良い」

「ボアン」


 少女はボアンがこちらへ近づいてくるのに気が付くと、あっさりとガヴィの腕から脚を離した。ボアンと少女は並び立つと、何やら親しげに会話をしている。その脇でガヴィは鳥の脚で掴まれた腕を擦りながら立ち上がり、ボアンに視線を向けると少女を手で指し示して首を傾げて見せた。


「ボアン婆、そちらの子は?」

「む? ああ、ガヴィにはまだ紹介がまだじゃったな。では、今から言うことがおぬしへの依頼じゃ。心して聞くのじゃぞ? ……ガヴィ。おぬしには今日から、我々異人類最高峰と讃えられる考古学者、アルカイヤの助手になってもらう」


 ボアンは少女に目配せを送ると、少女は鼻から小さく息を漏らして、相変わらずの無表情のままガヴィへと向き直った。


「アルカイヤ・ラズワード・カセウェアリー・スパロウ。きみは?」

「……どうも。俺は錬金術師のガヴィ」


 その、広大な大空よりも鮮烈な碧を纏った考古学者の少女の名は、アルカイヤといった。

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