本編――恢炉あおいの悪習 Ⅱ

 授業が終わると全校集会が開かれた。体育館に生徒が集められた。じめじめした広い場所に衣替え間近の黒い服の人間が密に詰め込まれた。密閉を防ぐために窓が開放されて、湿気の多い空気がこれでもかと中に入ってきた。

 一週間足らずのうちに同じ学校でふたりの生徒が自殺する。異常事態――明らかに良くないことだった。電球のように頭が光っている校長先生が、悲しいことがありました、と言って、生徒を慰め、宥めるようなことを話す。

 校長の話は決まり文句だけでできていて、ほんとうに重要なことには触れていない。

 なぜこのようなことが起きるのか。そもそもこの二件の自殺は、一連の連続自殺の一環なのではないか。だとしたら、この連続自殺はなぜ起きているのか。

 疫病と世界戦争への不安。未来の見通せなさ。

 でも、ぼくたちはもう慣れっこになってしまった。生憎と、敷かれたレール、ジェンダーロール、確かな未来が見えているという経験は、旧世紀を知らない子どもたちには、初めから縁が無かった。不安がっているのは大人たちで、自分の不安を若者に投影して何か言っている。

 今日は伊藤とは会わなかった。クラスが違うと放課後の部活以外では会う機会がない。

 午後六時――妹は今日もひとり楽しんでいる。両親は今日も八時過ぎに帰ってくる、夕方の家には僕らふたりしかいない。呻くような声が黒い染みの向こうから聴こえてくる。


   *    *


 おととい三人が飛び降りて以来、この二日は自殺者が無い。

 黒い染みは広がっているような気がする。横死した人の全身を象っているように見える。重曹とクエン酸で拭いてみても落ちる気配がない。

 もしかすると目の錯覚だろうか?

 隣にいる妹を呼ぶ。宿題を終わらせてからと言って、ややあって来る(これは本当らしい。壁越しには何も聞こえなかった)。いつも通りの全身ゴシック・ロリィタ姿。黒ずくめのレースとフリルに身を固めてあおいは部屋の壁を見た。ちゃんと見えていると言う。本当にある染みなのだろう。あおいはぼくの本棚から古い怪奇漫画を借りて部屋に戻った。いや勿体ぶらないでも楳図かずおだ、最近文庫になった。

 ギャーーーッ

           ギャーーーッ

   ギャーーーッ

 と、同じ顔、同じ台詞が何コマも続くが、自殺、これも同じように何日も何日も続いてきた。どうせまた始まるだろうとぼくは思っている。続くんじゃないか、あおい?

 黒い染みは落ちず、自殺は続き、ティッシュは一昨日も昨日も消えなかったが、今日になって持ち去られた。

 黒いと言えばあおいの服も黒い。中学一年生の冬頃から着ているように思う。

 それまで小学生の服を着ていたのが、急に真っ黒けになり、それまでかわいらしい絵の表紙に描かれた少女小説(いや、時代がかっていてかわいらしくはなかった)を読んでいたのが、分厚く黒い表紙や装丁の本に走り出した。服が高いのでぼくの小遣いでほしい本を買ってくれと言う。ときおり引き受けた。古本屋の棚の埃臭い本だった。自分でもたまに読んだけれどあおいの方が詳しい。そのおかげで伊藤と話したことについてあおいに聴くと結構な割合で答えが返ってくる。永遠的な存在に対する時間的有限的な実存という観点は、云々。

 ちょうど伊藤とそんな話をした。

 時間は、時間による変化は、地上的な事物に特有の存在様式、実在の欠如である。天使や神は時間による摩耗をうけつけない永遠的な真実在であり、人の魂の永遠性もかれらの実在に由来した。方法的懐疑は自我の実在の論証に真実在する神を密輸したが、次第に自我が独立していき、かつて存在論的基礎だった神を失った。自同律の不快は密輸された根拠の消失による。

 ――基礎との関係を失ったから自我は浮遊する自分しか持たない、それで不快だと。

 近代人の神の喪失というのは信心の希薄化というレトリックではなくて、自我の存立基盤に関する存在論的な変容の謂である、らしいんだ。

「天使になりたいんだ」――時間の無いものになりたい、と伊藤は言った。

「キューピッドじゃなくて、旧約聖書の熾天使セラフ、六枚の翼、燃え盛るものに」

 部活動はまだ問題なく続いている。これ以上自殺が連続するとどうなるだろうか、コロナとは違うから自粛する必要はない気もするけれど、自粛というのは合理的な理由があってするのではないからわからない。

 ここ一年少々、あおいは服といい言葉といい、まるで武装だと思う。ぼくをよそよそしく兄さんと呼ぶようになったのも同じ頃だ。休日はあの服でどこかに出かけている。同じ趣味の知り合いがいるのだろう。どこのどんな人なんだろうか、ぼくは知らない。


   *    *


 呼気と吸気の韻律を首尾一貫したものにする。

 ひとたび息を吐くごとに肉を人造陰茎が貫く。

 裁尾――いや裁尾ではない。

 雌の器官を引き裂くように自涜。裁雌か。

 筋肉管の全体を潰す。腺液が噴き出して股が焼ける。

 痛みにも馴れた。もはや痛みではなかった。

 ディープ・マゼンタのディルド。

 鼻先には新鮮な、兄の命の片割れの底深い臭い。

 噎せる。鼻を犯す。死せる兄の命の、十の三分の一億の片割れたちが、揮発して私の鼻粘膜を知る。片割れのいない粘膜に沈み、分子のひとつまで今度こそ死に絶える。死せる命が滲出液に溶け、全身を巡り、目指すべき場に辿り着くとき最早かれらはかれらではなくなっている。私は十の三分の一億の兄を、もう十二殺して、四十億の兄の命の片割れを殺して、叫びを殺して、再び死ぬ。Acme。意志的な自殺。

 自殺――

 半月で何人死んでいるのだろう。

 兄は部屋の壁の染みを気にしている。憂鬱に覆われているらしい。

 彼の高校では既にふたり死んだ。

 部活動が無くなること、学級が別の人に会えなくなることが寂しいと、兄はそう思っていると私は感じる。

 兄が日課のようにしているとき、きっと彼女を想っているのだと思う。

 もう一度跨る。暗い中を落ちていくのが見える。再死。


   *    *


 妹の鼻歌が移ったらしい。部活中に「野ばらなんて歌うの」と言われた。

 ぼくは曲名を知らなかった。曲名というより詞の名前だった。

「21世紀育ちに言わせると、いささか気味の悪い詩だね。なに簡単な歌なんだが」

 ひとりの少年が一輪の薔薇、野に咲く薔薇を見出す。若々しく朝露に輝く野ばらを近くで見るべく少年は走り寄り、たいそう楽しんでこれを見る。

 少年は言う。「野に咲く薔薇、きみを折っていこう」。薔薇は言う。「きみを刺そう、永久とこしえにわたしを想い出すように。きみに手折られはするまいよ」

 酷薄な少年は野ばらを手折る。薔薇は自らを守って手指を刺すが、痛みも呻きもこれを救い出すことはなく、その手に落ちることを免れない。

   Röslein, Röslein, Röslein rot,

   Röslein auf der Heiden.

「茎を折られて根から切り離されれば――薔薇はすぐに死んでしまうだろう」

 伊藤は言った。

「二十歳前後、法学生時代のゲーテが、エルザスのシュトラースブルクで逢瀬を重ねたフリーデリケという少女に重ねたと言われる詩なんだが、ふたりの関係は一年ほどしか続くことがなかった。破局だったようだね。 エルザス のフリーデリケは終生独身を貫いたそうだが、詳しいことはわからない。ロシアのエカチェリーナ二世は十人以上の愛人を生涯抱えていたそうだし、そういうこともありうる」

「別れてしまった女性と添い遂げたかった、生まれ育った土地から根こぎにしてでも一緒にいたかったという――願望充足――のようにも見えるよ」

 伊藤は頷いて、しかしね桃李(恢炉ひろいろりという苗字はいささか長い)、と続けた。

「それでも見ての通り、粗野な少年がヴォルフガングであり、荒れ地の薔薇がフリーデリケであるとすると、いささか慄然とせざるをえない含みがある。、まさか殺したわけではあるまいよ。しかし――彼は何を手折ったのだろうね?」

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