深夜のおっさん
あじさい
* * *
――おっさんなんて、
と、
春、まだ肌寒く、桜が咲かない頃のことだ。
会社の飲み会で遅くまで
今日はもう電車がないから、帰るにはタクシーを使う必要がある。
だが、同じ状況の人間が多いようで、
こうなることはタクシー会社も分かっていそうなものだが、タクシーは1台も待機していない。
スマホで近所のタクシー会社を調べて電話をかけてみたら、いかにも面倒くさそうに、「今向かってますよ。順番にお待ちください」と言われた。
――こっちが頼るしかないと思って、いい気になってやがる。ぼったくり商売のくせに!
と、昭夫は思った。
こうなったのは寝過ごした自分の責任だとか、タクシー会社の人々は収入が低いのにこんな深夜まで頑張ってくれているとか、そんなことは思い浮かばない。
自分の失敗や不手際については仕方がなかったと自己弁護に余念がないが、他人も自分と同じように疲れたり苛立ったりするとは想像できない。
昭夫はそういう男だった。
建設会社、
スーパーで働く妻と、中学生の娘がいる。
サービス残業が日常茶飯事、休日は会社の人間と好きでもないゴルフに
会社は経費節約のために職員を
休日のゴルフは、辞退することもできなくはないが、ゴルフ場、あるいはその後の居酒屋や風俗店で仕事上重要な話が決まってしまうことがあって、翌週出勤したとき、社内の話についていけなくなっていたり、面倒な業務を押し付けられていたりする。
ただ、文句を言えた筋合いではない。
昭夫自身、ゴルフや飲み会の場で上司のご機嫌をとり、割のいい仕事を回してもらったことが幾度となくある。
今日の飲み会も、どうしても行きたいわけではなかったが、
二次会に行ったのも同じ理由からだった。
どうしてこんな会社に
だが、別に転職は考えていない。
そんな
幸いなことに明日は予定のない正真正銘の休日だし、いち早く家に帰りたい理由もない。
――あのコンビニで飲み物と軽食でも買おう。
と、昭夫は
仕事終わりの深夜で、酒が入っていることもあり、昭夫は商品
コンビニに
ただ、残念ながら、美味しそうなものほど、立ったまま食べるのには向かない。
昭夫はコンビニを出てから近くをぶらついて、どこか公園のベンチでも探すことにした。
この駅周辺の地理には詳しくないが、
とりあえず海の方に向かえば、公園か何かあるだろう。
そう思って暗い住宅街を歩き始めると、思いの外すぐに、黒々とした海が見てきた。
昭夫が
そこに海が見えるという事実は、昭夫の気分を何となく
――我ながら良い思いつきだったな。
さらに5分ほど歩いて、海に面した遊歩道に入ったとき、昭夫は
――夏でもないのに、こんな真夜中に海を
昭夫は自分のことを
暗くてはっきりとは見えないが、若い女だ。
昭夫はほとんど直感的にそう思った。
実際、それは当たっていた。
ストレートロングの黒髪、あるいは茶髪を垂らしていて、ほぼ横からなのに顔が見えない。
すらりとした体型で、スカートではなくタイトなズボンを
バイクに乗るか、バンド活動でもしているのだろうか。
昭夫は彼女にもっと近づいて、声をかけたくなった。
――というか、顔を見たい。こんな
彼女の小ぶりで引き締まったお尻をガン見して、じりじりと距離を詰めながら、昭夫は「ロマン」を
それがどれだけ気持ち悪いことか、気付くだけの客観性は持ち合わせていない。
だが、実際に声を掛けるわけにはいかない、とは思った。
――おっさんなんて、
と、昭夫は内心
――立場が逆なら、何も
昭夫は家庭で
妻はガミガミとうるさいし、娘は反抗期
そのことが昭夫は不満でならない。
もちろん、人が他者への――しかも最も身近な家族への――嫌悪感をあからさまにするからには、
少し考えれば分かることだ。
仕事と「付き合い」を
また、家族での団らん中にゲップやおならをして
ただ、妻も娘も、2人で
日々の不満を受け止めてもらえない経験から、自分たちが何を言ったところで昭夫はろくに聞かないし、更年期や反抗期のせいにして自分を改めることはないと知っている。
面倒な相手に
昭夫にはそれが分からない。
だから、自分は真っ当な人間で、浮気もDVも児童虐待もせず、会社でも家でも真面目に生きてきて、なのに
今もまた、女性のお尻から目を
おっさんだから警戒されると心配するばかりで、彼女が昭夫の視線や距離感などから下心を
そのとき彼女が何を思うか、それが彼女の人生の中にどんな経験として
真夜中に海を見つめるほどの何かを内に
昭夫は彼女から10mほど
数分
彼女は昭夫に見られるためではなく、自分の都合で海を見ていたのだから、予告なく動くのは当然だ。
だが、昭夫は不意を突かれた思いで、目を
目が合った瞬間、彼女もまた身を引いて、一歩後ずさりした。
――ヤバい! 悲鳴を上げられるかも。それか、持ってるスマホで通報されるかも。
だが、彼女は声を出さなかった。
その代わり、スマホの画面を光らせたまま、すたすたと歩き去った。
彼女の背中がすっかり見えなくなってから、昭夫は
――目が合っただけだし、通報はされないよな。でも、真夜中に海を見て
そんなことを、昭夫は思った。
彼女がギョッとしたのは、中年男性が近くのベンチに座っていたからという以上に、彼がずっと自分を盗み見ていたらしいと
女性が夜中の外出を
「にしても、あんまり美人じゃなかったな。残念」
深夜のおっさん あじさい @shepherdtaro
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