第3話 第二王女・イメリア殿下の恋<3>
エステラにどう報告すべき悩みながら自室に戻った私の耳に、密かな声が響く。
「アルナ様、お部屋に入る許可をいただけますか?」
「あら、ミハイル卿。毎度毎度、律儀なこと。入っていいわよ」
私の言葉に応じるように、フロックコートを着込んだ病的に白い顔の、だが恐ろしい美貌を湛えた黒髪の人物……いや人間ではないのだが、音もなく姿を現す。
「我ら吸血鬼は、家主の許可がなければ部屋に入ることが叶いませぬからな。此度はアルナ様を我ら一族にお迎えしたく、再度お願いに参った次第」
ミハイル卿は吸血鬼で、どういう理由か私を見初め、何度も私を一族の同胞にしたいと勧誘に来ている。
「申し訳ないけど、私はまだ吸血鬼になりたいとは思わないんだ」
「そうですか……。我々が望むのは同胞だけでなく、血脈の真祖です。アルナ様のお力ならば吸血鬼の王・真祖に生まれ変わることができると考えていたのですが」
ミハイル卿は呟くと、霧となって姿を消した。同時に、部屋に血相を変えたエステラが入ってくる。
「大変だ、アルナ! 守旧派の貴族がイメリア殿下の暗殺を目論んでいることが露見した。この一件だけでは終わらず、次々と続く者が現れるだろう……今回の問題はもう限界に来ている!」
いつになく深刻な顔をしたエステラを見て、私は今回の事件に、そろそろ答えを出さなければならないと悟る。改めて問題を確認しよう。
まず、第一にイメリア殿下が懐妊されているということ。
第二にイメリア殿下の子どもが産まれてはならないということ。
第三に、国王カーライト陛下の私的な求めとして、イメリア殿下が可能な限り『どのような形でも』幸福になること。
私は考えをまとめ集中する。
魔術とはイメージした事例を事実として具現化するために、ありとあらゆる思考を巡らせる小さな儀式。誰よりも優れた魔術師であるはずの私に、導き出せない事実=答えはない。私はそのための術を思考活性と呼んでいる。
唱えよ、真実と根源を具象化する術を。
魔術師アルナ・マリステレーゼが真名において答えを発せよ。
導き出すは真理。
私は閃くと、国王であるカーライト陛下に拝謁を願い出た。ここから先は娘の幸せを願う陛下と、イメリア殿下の恋する女性としての覚悟を問わねばならない。
深夜、常春の国らしからぬ、驚くほどの濃霧に包まれた城の周囲。
「賊だ!」
声が上がり、場内を警備する兵士たちの走る音と撃剣の響き。だが間もなく兵士の勇ましい声は消え、城中から絹を裂くような悲鳴が聞こえる。
私は工房でそれらの音を聞きながら、事が成ったと察する。
「今回は協力ありがとう、ミハイル卿」
「いえいえ、常々申しておりますように、我らの同胞が増えることは望ましい。これを機にアルナ様が我々に興味を持って下されば
と、ミハイル卿はなにか気付いたように姿を消す。
しばらくして、部屋に入ってくるエステラ。血相が変わっていて、あたかも大事件が起きたという風。
「大変だ! イメリア殿下が城内に現れた吸血鬼に攫われてしまった! 早く助けに行かないと……」
「それって助ける必要、あります?」
私の笑みを隠した言葉にエステラは驚いた様子だったが、やがて何かに気付いたように叫ぶ。
「まさか! 地下に軟禁されていたベゼットまでが一緒にさらわれた理由は……」
そのまさかだ。
吸血鬼は吸血行為によってのみ同類を増やす。
吸血鬼は子供を産まない。仮に、吸血鬼に噛まれた者が妊娠していた場合、その子供は魂だけの存在となって別の世代へと転生することになる。
子を為したいという願いだけは叶わないが、イメリア殿下が破滅を免れる代償として、仕方ない。
そして天命教は不死者である吸血鬼を、人として認めていない。
「つまり殿下は吸血鬼になることで、天命教からは死亡とみなされ、王族としての権利と義務を失いました。子が産まれることもなく、王家の血を引く子供の悪用云々は不可能となるし、今やイメリア殿下はベゼットと、堂々と愛し合える間柄です」
イメリア殿下は王家の立場や貴賤にはこだわっていなかったから問題ない。人として、の恋愛関係でなくてもよいのか。試されるのはその点だけだ。
私の説明にエステラが頭を抱えて呻く。
「滅茶苦茶すぎる……その理屈は人間の思考として破綻している!」
「破綻している、のですかね? 殿下の幸福という問題も考えると解決策は他にないと思いますよ。少なくともカーライト陛下は納得していましたけど」
「カーライト陛下まで計画に与していたのか!」
エステラは悲鳴のように大きな声を上げる。
「だって家主……城の持ち主が許可しないと吸血鬼は内側に入れないですし」
「ああ、君にだけは相談するんじゃなかった。君には常識がなさすぎる! 次こそは、僕が主席宮廷魔術師として独力で問題を解決するからな!」
言い捨てて、エステラは工房を出て行った。
これをきっかけに彼が成長して、自力で問題解決するようになってくれればいいのだけれど。できないから何か月も私のもとを訪ねてくるんだよな。
私は部屋の隅に隠れていた、二つの霧に向かって話しかける。
「お幸せに、って言うべきでしょうか?」
「感謝しています、アルナ。いつかあなたが困ったときは、私もお礼に参りますね」
霧に姿を変えた元イメリア殿下の声は、実に満足そうだった。
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