エピローグ

しばらくすると、下校十分前のメロディーが流れ始めた。悲しみの留まる所は知らない、しかし少年は少女の最後の詩を写した後席を立ち、部屋を出て鍵を閉める。廊下では彼女が演奏した楽器、クラリネットを練習する音が聴こえてきて少年を立ち止まらせ、悲しみの底へと引きずり込もうとしてくるが、それに打ち勝ち歩き始めた。彼女がかつて所属していた吹奏楽部が合奏の練習をしている大ゼミを避けるように西階段から一階分降り、特別教室棟二階の廊下を歩く。一応形式的に所属している理科部が活動する物理実験室の前も通ったが、何も声をかけずにそのまま、ピロティー棟三階へ。

 ここでぶつかったことがそもそものきっかけだったのかな、と少年は回想する。窓から夕日が差し込み、真っ赤になった空間。あの時は昼下がりで、向こうから自分が来て、彼女がこっちから来て。先生に呼び止められた自分の背中に、少女がぶつかって。そんな光景が絵に描いたかのように目の前へと浮かぶ。いつまでもここにいたいという気持ちを振り切り、少年はその廊下を一歩一歩、歩き始めた。少女がいた光景が消えていくのが惜しくはあるけれど、自分は生きている以上前に進み出さなければならない。頭では解っているが、それでも少年の足は立ち止まりそうになる。

 学校を出て、少年は坂を下る。坂道に沿って造られたショッピングモールには多くの人がいて賑わっているが、少年は寄り道することなく坂を下りきった先、地下鉄の駅に着いた。階段を下り、券売機で切符を買う。二区、二百三十円分の切符。その切符で改札を通ると少年はいつも帰る方向とは逆、少女が帰っていた方面の電車へと乗った。無機質で規則的な音を発しながら、あの時と同じように電車は地上へと出て少女と最後に別れた駅へと向かう。少年はだんだんと、隣に彼女がいる気がしてならなかった。ごまかすように学生服のポケットに入った携帯電話を取り出すが、それはかえって少年の心を憂鬱にするのみ。自分達はお互いのメルアドさえ交換しておらず、直接会って話す、それだけの関係だったと少年は思い返す。そもそも彼女はケータイを持っていた? それすら、知らなかった。あまりにも自分は彼女のことを知らなかったのだ。少年は何度目か判らないが、後悔する。


 終点から一つ前の駅に着き、少年は電車から降りた。一歩目、二歩目、三歩目……。だんだんと悲しさが込み上げていく。下り階段でそれはピークに達し、少年は涙を流しながら一段、また一段と降りていく。

 そして改札口。少年と少女が最後に別れた場所。少年はただ、泣き崩れた。どうしてもっと一緒にいてあげなかったんだろう。わずか二百三十円ばかりをケチってここで別れてしまったんだろう、と。

「大丈夫ですか、どうかしましたか?」

 改札口から駅員が出てきて少年に話しかけるが、少年はただ泣き声をあげるばかり。

「何かあったんですか? 何か、盗まれたんですか?」

 駅員が話しかけ続けるとやっと少年は顔をあげ

「いえ、大丈夫です……。ただこの場所に来て、悲しくなっただけです」

それだけ答え、再び泣きじゃくる。駅員も悲しそうな顔になって

「そうですか」

とだけ言い、深入りせずに改札へと戻っていった。しばらくして少年は立ち上がり、一旦改札を出る。階段を降り道路に出ると、駅の裏口だからか寂れた住宅街のような街並みが少年の目に映った。ここから先はどう行くか判らない。バスターミナルは別の改札口にあるのだから、きっと歩きか自転車でここまで通っていたのだろうなと少年は思った。切符を買って再び改札を通り、先程とは別の階段を上る。心残りはあった、しかしそれを振り切り少年は自分の本来帰る方面に行く電車に乗った。予告ベルが鳴って扉が閉まる。ただ、悲しくてしょうがなかった。


      #


 少年は家に帰るとすぐ自分の部屋に籠った。そして声をあげて泣く。改めてMDを聴いて、さらに泣いた。

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机上詩同好会 愛知川香良洲/えちから @echigawakarasu

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