弟(ボーイ)の話

石衣くもん

★★★

 私には6つ年下の弟がいる。この春から大学生になったが、まだまだ思春期爆発中の生意気ボーイだ。すでに社会人の私は「まだまだ子供ね」と思うのだけど、本人は自分も大人のつもりで接してくるからついつい揶揄いたくなるのだ。


「ねえねえ、今居酒屋のバイトやってるじゃん? 可愛い子とかいないの?」

「は? 俺バイトに遊びに行ってんじゃねーから」

「仕事しながらでも可愛いかどうかくらいわかるじゃん、いないの?」

「うっせー」


 プンプンしながら去っていく弟の背に


「そんなんじゃあモテないぞ~」


と更に追い討ちをかけてみたが、もう無視された。

 

 弟は近所の居酒屋が閉店してから掃除をする清掃バイトを先月から始めた。23時に閉店する店なので、近所とはいえ帰ってくるのは早くて0時、遅いと深夜1時を過ぎることもある。


 両親はやる前から今も「危ないからやめろ」と反対しているのだが、本人は「18歳はもう成人だし、法律でも深夜バイトできる年齢だ」などと言って、どこ吹く風である。


 まあ、自転車で10分のところなので、居酒屋の店員としてバイトするよりは比較的安全な気もしないでもない。


 6つも年が離れていると、成人したと言われてもいつまでもボーイなのである。親が一生、子供は子供と思うように、弟は一生、私にとってボーイなのだ。ちなみにボーイと呼んでいるのは、さすがに心の中だけだが。


 そんなボーイは、私含めて家族に対しては結構な塩対応というか、あんまり喋ってくれないのだが、大学やバイト先では割りとお喋りらしいのだ。情報提供者は私の会社の仲良しな同僚の妹ちゃんである。彼女はボーイの大学のサークルの先輩であり、かつ彼女の友達がボーイと同じバイトをしているのだ。


「結構サークルでもムードメーカー的なポジションですよ、何人かの女子からも推されてます」

「はぇ~! プレイボーイじゃん! 想像つかなーい!」

「えー! 私も密かに、いいなーって思ってますよ」


 とのことで、彼女が同僚の妹から、弟の彼女になる未来もあるのかもしれない。

 まあ、こうやってこっそり話を聞いてること自体、ボーイにバレたらキレられそうだが。





 ある金曜日の夜、午前25時。明日というか、もう今日は仕事が休みだと無意味に夜更かしをしていたら、突如コーラが無性に飲みたくなった。大変残念ながら、田舎で徒歩圏内にコンビニがないため、面倒くさいが車出すかと思って立ち上がり、坂の上の丁字路のところに、自販機があったことを思い出した。


 家は、斜度15%の坂の途中に建っており、その坂を5分ほど登ったところに自販機があるのだ。正直5分歩いただけとは思えないほどの労力にはなるが、車を出してコンビニに行って、その後、苦手な車庫入れをすることを思えば、坂を登る方がマシだ。ちょっとハードな散歩と思えばいい。なんてったって明日(もう今日)は休みなんだから。


 そう思って150円を握り締め、坂道を登り始めた。真ん中くらいまできた時に、スマホすら持たず出てきたことに気づいたが、別にコーラ買うだけだしと思ってそのまま自販機に向かった。思えば、これがフラグであった。


 到着した自販機で、百円玉を入れ、残りの五十円玉を入れようとした瞬間、自販機の光に引き寄せられたでかめの蛾が目の前に飛び出してきて、ギャッという悲鳴とともに仰け反り、五十円玉を落としてしまった。

 無慈悲にも、落ちた硬貨は自販機の下に転がった。


「嘘……さいあく、まじか」


 今まさに虫に襲われた私に、真っ暗で何も見えない自販機下に手を突っ込むなんて荒業はできそうにない。スマホを忘れたせいで、ライトで照らすこともできないし、取りに戻って、再度この坂を登ることを考えれば、一か八か手を突っ込んで探す方が良い。でも勇気がでない。


「母さんにスマホ持ってきてって電話……いやだからスマホがないんだってば」


 テンパって立ったりしゃがんだりしながら、まあまあでかい独り言を呟いてたら、丁字路の右の方からカップルらしき二人が近づいてきていることに気がついた。男の方が自転車を押しながら女の子と歩いており、不審者だと通報されるかもと更にテンパって、自販機の影に隠れた。


 二人が通り過ぎた後、再度自販機の前で立ったりしゃがんだり独り言を呟いたりしながら、何度か自販機の下の浅いところは探ったが、奥の方にまでいってしまったのか見つからず、諦めようとした時だった。

 さっきカップルが向かっていった方向から、自転車がきて、通り過ぎるかと思ったら止まって


「なんか困ってる感じですか?」


と声をかけてくれたのだ。たぶん、さっきのカップルの男の子だ。神か。


「お金を落としてしまって」


 半べそでそう言ったら、自転車から降りてくれて、近づいてきた男の子は言った。


「姉ちゃん?」


 この日から、弟は私の中でも、ボーイからプレイボーイに昇格したのだった。

 

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