ナイトウォーク・バトル~爺さんと犬と私の夫~

紫陽_凛

「そういう癖なんでしょ」

 紫陽凛は困っていた。KACの4つ目のお題が消化できずにいたのだ。なんだ「深夜の散歩で起きた出来事」というのは。

 紫陽というアマチュア作家はことホラーに関してはずぶの素人である。かといって「深夜の散歩」というシチュエーションも大学生の時に経験してからこっちご無沙汰である。

 お題はピンとこないが皆勤賞は狙いたい。しかし案が思い浮かばない。

 そこで彼女は、夫を誘って夜の散歩に決め込んだ。彼女の夫になる以前は当然彼氏であったこの男は、彼女と「深夜の散歩」を経験したことのある数少ない人間なのだが、本人は「お腹が減ってご飯を買いに行った記憶しかない」とのたまう。もっとなんかあるだろうと紫陽は思ったが、自分も思い出せないので何も言わなかった。


 時刻は午後8時を回ったころである。夫とは手をつないで歩く。夫はどういうわけか利き手同士をつなぐのが好きである。右利きの彼女と左利きの夫が、雪解けのあとのアスファルトを歩く。すっかり春のあたたかさ。

「あ、犬」

 そんな折に、彼女たちは柴犬と老人に行き会った。ふさふさでかわいらしい、若めの柴犬と、ジャンパーを着こんだおじいさんだ。夜の散歩だろうか?

 彼女たちの歩みは速い方だ。だからゆっくり、ときに寄り道しながら歩く老人と犬のことを追い抜かしてしまう。

 その時だ。

 柴犬がおもむろに老人の左足に縋りついた。そしてかくんかくんと腰を振り始めたのだ。何がそんなに盛り上がってしまったのか。老人は困っているし、犬は盛っているし、紫陽と夫は見てしまった。

 それがちょうどすれ違いざまの出来事だった。老人は何か困ったように彼女たちを見ていた。そして彼女たちも老人とその犬のありさまを知らぬふりをした。それがせめてもの情けというやつだろう。


 紫陽の右側から奇怪な音がし始めたのはその時である。


「こっこっこっこっこっこっこ……」


 いや、ふつーに怖すぎる。


 紫陽は夫の左腕をひっぱたいた。「ねえ」


「こっこっこっこっこっこっこ……」

「いつまでわろとんねん」

ばしんばしん。

叩くたびに「こっこっこ」だか「かっかっか」だか、とにかく音が出る。

音の出所は、夫の喉仏である。


 実の両親から「おらいの雄鶏おんどり」と呼ばれる紫陽の夫は、高らかな笑い声を家じゅういや町内中に響かせることで有名だが、あまりの笑い声の大きさに本人も思うところがあったらしく、我慢するすべを覚えたようなのだ。それがこの奇怪な「こっこっこ」である。この「こっこっこ」はベッドの上など振動の伝わりやすいところで行うと、かなりの振動を生み出し、地震でも起きたかと思わせるほどの威力である。どれだけの笑いをかみ殺せばそんな音が出るようになるのだろう。音というか、波である。振動である。震源である。


紫陽は決めた。

「いや、絶対これ書くからな」

「ひっひっひっひっひ、っふ」

何がそんなにおかしいのか。コンビニに行って酒を買って帰ってくるその間も、夫はずっと「こっこっこ」と笑っていた。そして紫陽凛、ことわたしは、これを酔っぱらった状態で書いている。深夜じゃないけど許してほしい。

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