私の足を止める音

水定ゆう

第1話

 こんな怪談を聞いたことがありますか?


 私の住む街では、××公園を真夜中に一人で歩くと時折聞こえることがあるそうです。


 誰もいないはずなのに、背後から聞こえてくる音。

 その音は過去の後悔と共に一緒になって舞い込むそうです。


 そんな噂が数年前から頻発していました。

 実際に音を聞いたことがある人と居たそうですが、ほとんどの人は信じたりしませんでした。


 だって、所詮はネットの噂話。

 怪談にもならないようなちっぽけの怪談でした。

 だから私も信じてはいませんでした。

 だけど、如何しても少しの興味と後悔が私のことを突き動かしてしまうものでした。


 真夜中は午前零時。

 季節は三月。冬の寒さがまだ残るので、私はコートを着てマフラーまでしていました。


「ううっ、寒い」


 今年最大の寒波は無事越えました。

 だから大丈夫だと私は思っていました。

 だけど全然大丈夫ではありませんでした。


 寒い。寒すぎて前を見るのも億劫でした。

 それでも雪が降っているわけではありませんでした。

 寒いのは気のせいです。そう、私の心が前に踏み出そうとしていないだけなのです。


「それでも、それでも行かないと」


 私は勇気を出して一歩足を前に出しました。

 ××公園の柵を越え、深夜の公園を一人で散歩してみました。


 昼間は子供連れの親子がたくさん来ていました。

 中央広場の噴水は時折水柱を上げました。

 虹をかけ、子供達がはしゃぎ、木漏れ日を浴びたり遊具で遊んだりと笑いに満ちていました。

 まさしく陽の気でした。


 ですが今はとても冷たいです。

 寒くて冷たくて、一人で歩くことが心細く感じてしまいました。


 手袋もして来た方が良かったかもしれません。

 だけど今更帰る気もありませんでした。

 今振り返ったら、二度とここには来ない気がしたのです。


「噂なんて本当にあるのかな」


 私はだんだん噂の真相が嘘なのでは思いました。

 しかし足は前に進みました。

 心が不安定なった時でした。ふと軽いヒールの音が聞こえました。


 トントン--


 本当に聞こえて来ました。

 ふと私の足が立ち止まり、音がより鮮明に聞こえるのを待ちました。


 トントン--


 音は一定のリズムと一定の間隔で聞こえました。

 ああ、この感じだ。この音だ。

 私は胸の高鳴りを感じました。

 半分は懐かしさ、もう半分は贖罪でした。


 トントン--


 かなり近くに聞こえました。

 もうすぐだ。もうすぐ会える。

 そう思った時できた。急に音が聞こえなくなりました。


 ピタッ--


 音が聞こえなくなりました。

 振り返ってみようとしましたが、多分誰もいません。


 私は分かっていたのです。

 そこには誰もいない。いるのは過去への戒めだけなのです。


「ずっと待っててくれたんだよね」


 私は声を掛けました。

 すると風がそよぎ、葉っぱが揺れました。

 さっきまで風なんて吹いていなかったはずが、柔らかく私に呼応してくれました。


「そうだよね。ずっと待っててくれてんだよね」


 私は笑みを零しました。

 ずっと笑えなかったはずの唇が動き、震えてしまいました。


 すると急に私の体を暖かな風が包み込みました。

 まるで泣かないでと言っているように感じました。


「うん。分かってるよ。だから私は貴女に会いに来たの……


 振り返っても誰もいたりしません。

 そこにいるのは私が置いてけぼりにした過去の私なのです。

 だから私は笑みを溢していました。


 あの日捨てた私は、今こうして私の元にいました。

 それだけで十分なのでした。


「あの日、私が慣れないヒールなんて履いたせいで、高校最後の大会を逃しちゃったんだもんね。私だもん、よく覚えてるよ」


 私は薄ら目を瞑りました。

 高校最後の春高バレーで私はヒールを履いてしまいました。

 自分のせいです。それで足を捻ってしまい、大会に出られなくなったのでした。


「あの時は悔しかったよ。三年間ずっとスタメンだったのに……でもね。おかげで私は叶ったんだよ」


 あの時の痛みがあるから私は今を真っ当にいられた。

 今度私はオリンピックに出る。

 もちろん選手って言いたいけど、それは違った。流石に怪我をしちゃって、今でもプロとして活動しているけど、代表にはなれなかった。


 でもなりたかったものにはなれた。

 スポーツドクターだ。私は選手のケアができている。

 おかげで選手としてでは見られなかった景色が見られた。


 だけど後悔はあった。

 私のせいで台無しにした選手としての一つの転換期を無駄にしてしまった。


 それを取り返すためにここに来た。

 だから私はやって来たのだ。


「だから私と一緒にいて。きっと素敵なヒールの似合う大人になれたから」


 体がスッとした。

 さっきまでの後悔が洗い流された。

 やっぱり来て良かったと、私は心から救われた気がした。


 いいや、もう救われていたはずだ。

 だって、ここに来た時点で私は決めていたのだから。

 だから諦めたりしないで突き進んだ道と、転換期の自分を取り返すことができたのだ。

 

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私の足を止める音 水定ゆう @mizusadayou

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