口開きの女

林きつね

口開きの女

「そう、あの日は散歩をしてたんだよ。コンビニに寄った帰りにちょっと寄り道してさ。通ったことのない道を通ったんだ。Y地路になっててさ、俺ん家は右なんだけど、その時俺は左に行ったわけ。ほんで、まあしばらく進むと、細い林道があるんだよ。通り抜けると俺ん家の近くに出るんだけど、通ったことはなかった。

 で、俺はその日そこを通ったんだよ。するとさ、視線の遠くの方でさ、女が立ってるんだよな。まさかこんな時間……夜中の二時ぐらいだ。そんな時にそんな道に人がいると思わねえじゃん? だから俺思わず『うおっ!?』ってでっけえ声で叫んじまったんだけど、その女微動だにしねえの。歩きもせずにずっと立ってるまんま。

 ――で、なんか気持ちわりいなあと思いつつ、その女の方向に俺歩いていったわけ、するとだ、なんとだよ、その女に一歩近づく度にさ、その女の口が開くんだよ。下に下に一歩ごとによ。なんかよく見たら目も真っ黒だしさ、その女の口がどんどんどんどん開いていって、ありえないぐらい開くんだよ。でさ、あと3歩進んだらその女の口が地面にくっつくってところでもう限界。怖くなって走って逃げて家帰ったんだよ。

 …………どうです? この話」



 対面に座っている友人の怪談を聞き終えた畑中は、ひとまず話の途中に運ばれてきたコーヒーに手をつけて、ふと窓の外を見る。

 そして腕時計を確認する。午前11時。仕事の予定にはまだ時間があると、目の前の男に向き直った。


「どうです? とは」

「いや、わかるでしょ畑中さん! この俺の怪談、買い取ってくれるんですかって話ですよ。なんかこう、裏でコソコソやってるんでしょ?」

「裏でコソコソはやってない。堂々とやってんだよ」


 ため息をつく畑中。

 畑中は漫画編集者の仕事をしている。今日も午後から担当作家との打ち合わせだ。

 それまではゆっくりしたかったのだが、朝起きるなり衣笠という名の後輩に呼び出され、嫌々近くの喫茶店までやってきた。

 要件は、衣笠が先程言った通り。『怪談を買い取って欲しい』ということだ。

 畑中は編集者とは別に、趣味であった怪談集めが高じて、それらを舞台やイベントで話す怪談師としての仕事も最近行っている。

 聞いた話を自分がそういった場で披露するために買い取る、ということも畑中は実際にやっているのだが、今日のこれはナシだと、かけていた眼鏡をあげて眉間にシワを作った。


「衣笠、お前仕事は?」

「探そうとしてます」

「つまり探してすらないんだな」

「うっす」

「こんなくだらない小銭稼ぎしてる暇あったら早く仕事を探せ。誰だったか……お前の無職仲間もいよいよ仕事始めたんだっけ?」

「バイトっすけどね」

「偉いじゃないか」

「いやそうじゃなくて!」


 外れていく話を戻すように、衣笠は声をあげた。あからさまに不機嫌な顔になる畑中に少し気圧されるが、気を取り直して話を進める。


「俺の話買い取ってくれるんですか? これね、実話なんですよ。その日はすっげえ怖くね寝れなかったぐらいなんですが、朝起きてあっ! 畑中さんこういうの集めてたよな! って思って」

「寝てるじゃないか」

「細けえことはいいんですよ。で、怖くなった分元を取りてえってことでですね。……ね?」


 畑中の答えは初めから決まっている。間を開けずに首を横に振った。

 今の話のどこがだめなんですか! と騒ぐ端的に理由を告げる。


「つまらん」

「そんなアッサリ!」

「納得したか? じゃあこの話は終わりだ早く帰れ 」

「いやいやいや、元がつまんなくても面白くするのが漫画編集者って仕事じゃないんですか?!」

「そこに素人の怪談は含まれてないんだよ。いいからもうその話は終わりだこれから仕事があるんだよ、頼むから帰ってくれ」

「ちえ〜……なんか畑中さん今日機嫌悪いなあ……」

「仕事のある日にいきなり呼び出されたら悪くもなる」

「はい、さーせんした」


 なにかをブツブツと呟きながら伝票に千円札を二枚挟んで立ち上がる衣笠。

 律儀なやつだな……と軽く感心している畑中に、去り際衣笠は声をかける。


「俺漫画とか読まねえっすけど、名前知ってる漫画が三つだけありますよ。 ワンピースと、ヘル&ヘヴン……ファンタジア?」

「ファンタジー」

「それと、畑中さんが担当してる漫画――『おっぱい戦艦浮上中』……プフッ」

「帰れ!!」


 衣笠が去った後、畑中は店の外を見る。ガラス越しに見えるその景色は、いつもの街並みが広がっていた。


「ふう……」


 張っていた気を緩ませるように、ため息を吐く。

 怪談の買い取り、それを行う際に畑中が注意していることがある。

 あまりにも荒唐無稽なものや既存の話の流用であれば当然買い取らない。けれど、今回畑中が衣笠の話を買い取らなかった理由はそれらではない。

 畑中が怪談に興味をもったのは高校の頃、そういったものに触れ始めて十年近くは経つ。

 その中で畑中は知った。この世には語ってはいけない、世に広めてはいけない話があるということを。


「さっきのあいつの話は、その類だ」


 先程の衣笠の語った話が、創作であるか実話なのかはわからない。どちらでもいい、あの話をいたずらに広めるのは、危険だ。

 畑中はもう一度外を見る。そこにはいつもの街並みが広がっていた。

 けれど、衣笠が話ている途中からはそうではなかった。

 衣笠の話に"女"が出てきた辺りから、窓の外に女が立っていた。人々が行き交う中、その女はただそこに立って、真っ黒の目を畑中と衣笠の方を向いていた。

 そして、 衣笠が話を進めるにつれて、衣笠がその話を蒸し返そうとする度に、その女の口がだんだんと開いていった。

 衣笠が帰る頃には、彼が語ったように、その女の開いた口は地面と接しかけていた。

 夜の散歩で、衣笠はなに障ってしまったのだろうか。 あの女は今後も衣笠に憑いたままなのだろうか。

 そんなことを考えていると、いつの間にか黒い目をした女が畑中の視界の中で立っていた。

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口開きの女 林きつね @kitanaimtona

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