第十章 歌声は存在しない空に響き渡った➁
月海基地の外にある発電所に向かうためには月面車に乗る必要がある。
エーデルが選んだ車庫は明らかに長い間に誰も足を運んだことなく、監視カメラですら回ることができない古いタイプのもの、腰をかがめば死角から回避することができた。
とは言え、月面車は殆ど小惑星基地では見かけない交通機関だ。港とメンテナンス工房で荷物を運ぶクレーンやトラックに比べて、月面車のデザインはもっとシンプルで、殆ど骨組み、座席と四つのタイヤしかなく、起動したら段々と崩壊するじゃないと疑わずにはいられなかった。
「このデザインはあり得ない!本当に廃棄品じゃないのか?」
「月面車に乗る時は宇宙服を着ます」
「そういう問題じゃない。密閉空間ではない車両を運転して基地を離れるなど、まるで東エリアのメンテナンス工房のおじさんたちが話し合って、宇宙バイクを作ろうとしているのと同じように狂っていた。私が東エリアのジャンク置き場で見つけたパーツで組み立てたほうがより良いものが作り出せる……まぁいいや、これでいいよ」
私は頭を振りながらエーデルがタンスから取り出せた宇宙服を受け取り、一瞬思わず指を握り締めた。
「心配しないでください。標準の手順に従えば、月の塵を吸い込むことはありません」エーデルは淡々と注意を促した。
「……わかっている」
身に着ける過程は思ったよりも多くの時間をかけた。
私は詳細を一つずつ繰り返して検査し、監視カメラの死角で少し走ったり、跳ねたりしていた。活動の限界を確認してから気を引き締めて助手席に座り、深呼吸をして、車庫の鉄ドアがゆっくりと開くのを見た。
正直に言うと、月面車は思ったよりも平穏だった。
真正面のフロントガラスのモニターはナビゲーションの前進方向と様々なデータを示していた。
エーデルはハンドルを片手に握って、引き続き前に向かって運転した。
濃い灰色の月の土壌は大地を覆って、視界の限界よりも遠いところまで広がって、偶に聳え立つ山脈の輪郭と底が見えないほどの窪地があった。それは小惑星基地では永遠に見ることができない壮麗な景色だ。
掃き出し窓の後方に立っている時とは違って、自らこの大地にいるのは全く違う体験だ。
私は振り返って車輪によって引き起こされた月塵の埃をじっと見て、今後はきっとこの景色を懐かしむだろうと急に意識した。もしかしたら完全に無関係の場所にいる時、もしくは会話の中で月を話した時、いずれにせよ、頭の中は必ず居たことがあった広大な大地を鮮明に思い浮かべるだろう。
「──大気がないため、外力の影響がない限り、目の前の景色は何の変化もありません。それは思わず恐怖を心から湧き上がらせ、まるで時間が止まったように、一度も流れたことがなく、千百年前の様子をずっと保っていました」
エーデルは急に口を開いた。
淡々とした口調で、まるでごく普通の出来事を語っているようだ。
宇宙服のイヤホンを通して伝わった声は少し鬱で、微かなノイズが混ざっていた。
「そういえば、あなたは初めて月に踏み入れた地球人の足跡はまだどこかに残っているという逸話を話したことがあった」
「それは月人なら必ず一回は巡るスポットですよ」
「その大戦を乗り越えてなお残るとは、ある意味では確かに奇跡かもしれない」
「遠回りして見に行きますか?」
「大丈夫」
「実はあの足跡は他の月海基地にあります。本気で見に行くのなら、旅立ちを延期せざるを得ません」
「それは当たり前だろう!そんなくだらない質問をしてどうする!」
エーデルは何回かそっと笑って、暫くしてから「ここは停滞した世界だと思います。生活は穏やかで静か、かつ殆ど変化は現れない、元々は悪く思っていないが、ゾイさんの歌声を聞いた後、段々と違和感に気づきました」と言葉を続けた。
「それがお姉ちゃんに恋をしたきっかけ?」
「月の外にはもっと広い世界があると気づくきっかけになったと言うべきでしょう」
エーデルはそっと訂正した。
私は鼻で笑って、フロントガラスの隅につけている灰色の塵をじっと見つめた。
「千華、これからは何をするつもりですか?」
私はわざとその質問が聞こえなかったふりをした。
この間、私たちは姉に関する話題を話さなかった。
私が牢屋から普通の客室に移った後、私は月海基地を離れたいと言って、エーデルは協力すると約束し、その他は取るに足らない日常会話だった。
「自分なりの理由を見つけましたか?」エーデルはまた尋ねた。
「……自分なりってどういう意味?」
「ゾイさんはもう居なくなり、彼女がした様々な行動はもう説明が付きません。残された僕たちは想像、憶測、妄想という形でしか解釈できません。だから彼女はあなたのために月海基地を離れ、あの基地に戻ったと思っていました。それは僕が導き出した『理由』です」
「だからそれはあなたの推測だろう」
「はい、もしかしたらあり得ないほどに間違っているかもしれません。でもその同時に、事実の可能性もあります。それは極めて利己的な結論、だから僕が見つけた『理由』はあなたに受け入れてもらえないと言いました……それでも、受け入れてくれるかどうかは重要じゃない、だってあなたも自分なりの理由があるはずです」
「お姉ちゃんは私と約束があった」
「でも空はもう存在していません」
「それがどうした?」私は背筋を伸ばして、「お姉ちゃんは私と一緒に空を見に行くと約束したが、それは単なる最初の一歩、私たちは地球の様々な景色をこの目で見て、自ら体験する。空がもう存在しないなら、私は相変わらず約束を守って旅を続け、あの檻に居ては見ることができない景色を見る」とゆっくりと言った。
「なるほど、だから宇宙船を修理、操縦する方法を学びましたね」
エーデルは悟ったようにうなずいた。
私は話題を続けず、車のドアの手すりに寄りかかり、果てしないオフホワイトの大地を眺め続けた。遠くにある山脈の輪郭はある種の大型動物のように、私が名前を知り、骨を触れたことがあるが、その目で見たことがないクジラのように見えた。
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