第八章 灰色の地に佇むガラスの宮殿①

 私はエーデルの後ろに付いて突き進んでいった。


 通路は狭くて暗い。隅にはどこに繋がっているのかわからない複雑なパイプが並んであった。殆どは稼働しておらず、数台だけ内部から風に吹かれたようなカサカサ音を出して、一部のパイプの割れ目には乾き切った黒い汚れが溜まっていた。


 ここは小惑星基地とはあまり変わらなかった。


 それを意識した瞬間、心のどこかで微かな痛みを感じた。まるで胸を締め付けられたように、息をするだけで極度に疲れを感じてしまう。


 まだ月の重力に慣れていないため、私はゆっくりと歩いていた。


 エーデルは促すことなく、私の歩幅に合わせ、前方で数歩の距離を保ったまま歩くようにしていた。


 通路には多くの分かれ道があり、先が見えない暗い彼方に繋がっているが、エーデルは壁で見つけたガイドマップを信じているようで、殆ど歩みを止めずに、思いのままに進んでいた。


 暫くした後、通路は段々と広くて明るくなった。


 様々なパイプは壁に埋められたように、浅い灰色の壁に地球の景色を描いている油絵を飾っており、段々と空き部屋が見えてきた。あるいは様々な廃棄したパーツが積み重なって、または何もないが、小惑星基地とは違う独特な雰囲気が漂っていた。

「この先のエリアでは他の人に会うかもしれません。何があっても話さないで、僕に任せてください」


 エーデルはそっと言いつけた。


 私は答える余裕がなく、考える自体も難しいから、答える代わりに荒っぽくうなずいた。


 暫くして、私たちは生活感にあふれるエリアに着き、それぞれ活動している月人が見えた。彼らは殆ど私たちに興味を示さず、例えすれ違っても、ただ何回かチラッと杖を見ただけだ。

「おい。こ、ここは深い入りしすぎただろう。燃料、食糧や飲用水などの補給を見つければ。船に戻るだと思った」


「千華、そのまま離れるつもりですか?」とエーデルは驚いて尋ねた。


「じゃないとここに居てどうする?」


「基地に居た時はお世話になりました。ここにいた時は僕がガイドになるので、安心して見物してください」


 私たちは密入国して来たのだろう?


 見物するのか?


 とは言え、地球が完全に閉鎖している状態にいれば、コネがなければ近づけられない。


 色々な考えが次々と頭に浮かび、重力の影響でうまく考えられなかった。


 いつの間にか、私がエーデルの後ろに付いて歩くことになった。彼は続いて口を開いて紹介しているが、声はうまく耳に入らず、立つことと足を踏み出すことで精一杯だった。


 暫くして、私はエーデルの背中にぶつかって、彼が止まって、白いローブを着ている女性と話していることに気づいた。あの女性は栗色の長い髪を適当に頭の横に結び、焦ってかつ怒っているように見え、小声でずっと色々な質問をしていた。


 エーデルはお手上げのように両手を胸の前に上げ、苦笑いをしていた。


 私は気を引き締めて彼らの会話を聞こうとして、「逃げる」、「どれだけの迷惑」。「レオンスタのお陰」。「期限はまだ」、「何を考えているのかわからない」などの言葉を次々と耳にしたが、理解するほどの余裕がなかった。


 くらくらする感覚がまた襲ってきた。


 手足はまるで力を失ったように、上げるだけで精一杯で、胸元も重かった。


 壁に支えたいけど、次の瞬間に視野が傾いて天井に見つめていることに気づき、意識を失う瞬間で自分が倒れていたことに気づいた……



 ある懐かしい歌声が耳元に響く。


 ふわっとして柔らかい、まるで頬にそっと髪が滑り落ちるような優しい歌声だった。


 私は辺りを見回して、疑惑しながらもここは小惑星基地の巣枠であることに気づいた。でも姉と一緒に住んだ巣枠じゃなく、もっと狭くて、色々な雑貨が置いてあるが、同じように懐かしい。


「これは……」


 自分は夢を見ていると意識して、そしてここは小さい頃の家と理解した。振り返れば、父、母と幼い自分がテーブルを囲んで、笑って話しているのを見た。


 父と母は外層に近い安い巣枠に住み、淘汰されそうな古い巡視艇を借りて、小惑星基地の周辺エリアで宇宙ゴミを拾っていた。運が良ければ、稀少な鉱物と使えそうな船のパーツ、用品を見つけられ、それを売ることで生活費を稼いでいたが、多くの時は何も見つけられなかった。


 巡視艇を借りる費用を積み重ね続けていて、膨大な借金になっていた。


 ある時、彼らは港を離れた後にもう戻らなかった。


 あの朝の朝食はジャムに合わせた保存食であることをまだ覚えていた。それは誕生日しか食べられない食べ物で、私は何回か強く目をこすって、見間違いじゃないことを確認した。テーブルを囲んでいる父と母は笑っており、例え昨晩は夜遅くまで喧嘩していたとしても、依然として笑っていた。


 それでも、父と母は戻らなかった。


 スマートウォッチの時間は減り続け、一班、一班と、また一班が変わった……


 私は物凄く静かな巣枠に残り、膝を抱えて地面を見つめ、酸素供給システムのブンブン音しか耳に入らなかった。


 長い時間を経った後、私は警備隊員が巣枠に入ってきたことに気づいた。彼らは電子ファイルが表示されているタブレットを持って、わかりにくい内容を話し、それから私を巣枠から追い出した。


 街は真っ暗で、どこに居ても追い出され、最後はほとんど住民がいない路地の深部に来た。昔は時々父と一緒にここに来て、拾った物を持って怪しそうな人たちと保存食を交換したが、いつも深部に行っちゃいけないと言われてきた。


 お腹が空いて、喉が張り裂けそうなほどに痛い。唾を飲み込むだけで、思わず指を握り締めてしまった。


 私は隅に座って、両手で膝を抱き締めた。


 時間が流れ続け、偶に大人が通り過ぎ、または大声で色々と話し、あるいは。


「──君も一人なのか?」


 あれは一人のお姉さんだった。ボロボロな服を着て、何なのかわからない濃い色の汚れが付いていた。


 それでも、白い長い髪と青色の瞳に思わず見入ってしまった。


 姉は私に手を差し伸べて、「一人なのか?」ともう一度尋ねた。


「……うん」


 私はそう答えて、ゆっくりと手を伸ばして握り返した。


 それが姉と私の出会いだった。


 私はゴミだらけの路地に立って、今の自分よりも小さくて、軽く手を繋ぎ合わせている二人の姿を見つめた。


 時間が流れていき、姉は歌唱方面で素晴らしい才能を見せ、北エリアの歌姫になった。


 私は彼女の妹として、パフォーマンスのスケジュールを管理し、ライブごとの詳細内容を確認し、楼閣のオーナーと交渉し、姉と裏方の要求を調節し、客人たちからもらったプレゼントをチェックした。


 充実して多忙な生活だが、お腹を満たすことができた。しかしちゃんとお喋りできる時間もどんどん減ってきた。


 例え隣の巣枠に住んでいたとしても、殆どの時間は疲れて寝てしまった。


 だから私たちは交換日記を始めた。


 小惑星基地において、紙とペンは貴重なものだ。例え廃棄された布で作り上げられた無地でも、数日間の食糧と飲用水の価値に等しい。でも客人たちは姉を喜ばせるために、どんなに高いものでも、プレゼントとして楼閣に送り込んだ。


 姉は基本的に受け入れずに、そのまま送り返したが、紙とペン、ペイントと地球に関する書籍だけを受け取った。暫くして、殆ど全ての客人はこの方面のプレゼントを贈った。


 ──千華、知っている?地球の空は青色だよ。


 ──お姉ちゃんの瞳の色と同じなの?


 ──そうだよ。


 ──ここに居て、頭を上げれば漆黒な宇宙しか目に入らない。例え秘密基地に居ても、散々たる星の光しか見えない。でも地球に行けば、無限に広がる青色が見えて、きっと心を震わせる美しい景色だろう。


 小惑星基地には気候の変化が存在せず、常に最適な温度を保っていた。


 一部の大型基地と特殊な場所は部屋の周りや天井にモニターを設置し、時間によって地球の昼夜と様々な気象現象をシミュレーションをするところもあるそうだが、私もそれを聞いたことがあるだけだった。例え煙雨楼の華房に居た客人がどれだけ激しくて熱烈に話しても、なかなか実感が湧かなった。


 さらに、これらの話題を聞くたびに、いつもひどい焦燥感を感じてしまった。


 檻の中にいる時間全て、私にとってまるで息ができないようなものだった。


 私は一番間近で姉が第一姫になり、全ての住民が羨ましい地位、財産や栄耀を獲得したのを見た。それでも、私たちが生活していた小さな世界は何も変わらず、ただ闇エリア、巣枠から楼閣の華房に変わっただけだ。


 ──空の本当の色をこの目で見たかった。


 この言葉を書いた時は力が入りすぎて、ペン先が紙を破った。


 それを書いた後、私はもう後悔した。この思いは強すぎて、「天穹姬」になった姉は、まだ小さい時の約束を同じように覚えているかどうかわからなかった。答えをもらえる前にノートに書いたその言葉をこっそりと変えると考えたことがあった。


 交換日記を取り戻した時、姉は一言しか返さなかった。


 ──絶対に一緒に見に行こうね!


 この約束があるからこそ、私は前に進められた。


 例え姉がもう居なくても、私はこの約束を果たしてみせる……

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