第六章 花が爛漫と舞い落ちる中➁
スーツを身につけている見知らぬ男性だから、何人か尋ねれば直ぐに目撃情報を得た。私は情報に従って東エリアの隅に向かい、暫くすればエーデルの姿が見えた。彼は一人で街に歩きながら、相変わらずにきょろきょろとしていたが、目標がはっきりとして、止まらずに進んでいる。
「何やっているの。本当にまたぽったかれるのが怖くないの……」
私は一定の距離を保ちながら後ろに付き、どこに向かっているのか推測していた。
殆ど住民がいない寂しい街を通り抜け、直ぐに東エリアの工場エリアまで来た。メインの港に向かう道路とゴミ捨て場は未だに封鎖状態で、黄色の鉄のチェーンで立ち入り禁止テープを張っていた。また、そこに二名の警備隊員も派遣し、その場を警戒していた。
本当に何があったのか、よくわからなかった。
以前はゴミ捨て場を封鎖しても、こんな風に何日間も続いたことがなかった。
私は気になってチラッと見て、面倒事にならないようにすぐ視線を戻し、またエーデルの後についた。
暫くして、エーデルは東エリアの隅に位置するメンテナンス工房に着いた。
カールおじさんは元々ぼーっとしながらドアの前に座っていたが、エーデルを見た途端に立ち上がった。二人が衝突を起こすかもと思ったが、カールおじさんはなんと、笑いながらエーデルの肩を叩き、かなり話が盛り上がっているように見えた。
……いつからそんなに仲が良かったの?
私は戸惑いながら曲がり角に隠れ、遠くから観察していた。
カールおじさんはエーデルをメンテナンス工房の中に招きたかったけど、エーデルは微笑んで断った。更に言葉を交わした後に別れを告げ、来た道を引き返した。
私は急いで路地の深部に入り、暫く経ってからもう一度追い付いた。
暫くして、エーデルは北エリアの境界に着いた。
ここは依然として灯り、喧騒と繫栄に満ち、まるで空気自体もある種の特殊な匂いが含まれているようだ。キラキラと輝く端末センサーを嵌めてある城壁と誰も住んでいない建造物群を隔て、客人たちは賑やかにその扉を通り抜け、歌とダンスの世界に入り込んだ。
エーデルはゆっくりと足を止め、きょろきょろとした後に気まずい顔を見せ、隅に歩いて行った。
私は直ぐに同じく隅に立って、スーツを身につけているクールな男性が、「レオンスタ」と呼ばれている人であることがわかった。
「同じ服なのに、違う人が着れば結構違う感じになるだね……」
私はぶつぶつと呟き、客人の中に潜み、二人の話し声が聞こえる位置を見つけた。
これは闇エリアに生活している子供にとって必須なスキルだ。
行き来する人々の話の中から役に立つ内容を見つけなければ、生き残ることができなかった。
エーデルとレオンスタは会釈してから何も話すことなく、肩を並べて街の隅に立ち、続々と北エリアに出入りする客人たちをじっと眺めた。扉が開くたびに、歌声と寒い空気が中から流れ出し、床に近い位置を保ったまま外へ拡散したが、いつもすぐに雑然とした足音に遮られた。
かなりの時間が経った後に、レオンスタは口を開いて沈黙を破った。
「──エーデル、何でルールを破った?」
「気まぐれかな」
「それが、君がこれだけ考え込んだ答えなのか?」
「別にいいだろう」
レオンスタは横目で彼を睨み、仕方なくため息をついた。「昔からそうだ。説明したくない話題になると、できるだけ重点を避けて、無関係な部分で誤魔化し、何なら何とかして話題を逸らすばかりだ」
エーデルは直ぐに答えず、視線を遠くの方へ送った。
「自分がどこにいるのかわからない感覚を味わったことがある?」
「やっぱりまた話題を逸らすつもり?」
「微睡の間で暗闇に包まれた浮遊感を感じ、両足が地面を踏むことができず、両手も何も触れることができなかった。その次はまるで酸素を吸うことができず、強く息をすればするほど苦しくなり、何度もそのせいで目が覚めた」
「宇宙に生活している私たちにとって、窒息死は一番よく見る悪夢の一つ、珍しいことじゃない……自律神経失調症の症状のように聞こえた。この領域においては君がプロだ、薬の処方箋を出せばいいだろう」
「薬剤の効果には限りがある」
「それが、君が月を離れた理由?」
「さっきの答えは誤魔化しているわけじゃない。確かに一時的な衝動でここに来ることを決めた。しかし、宇宙船に乗った瞬間、いつも自分の身に纏う感覚が消え去った。歌声、薬剤やその他の娯楽品よりも、直接にその世界を見てみたほうが着実だ」
エーデルは後ろの壁に寄りかかり、視線を遠くの方へ送った。
「初めて月を離れて、外の基地は全部アイアングレイ色のつまらない基地だと思ったが、予想外のことに、元の生活と何の変りもなかった」
レオンスタは少し眉を上げ、明らかにこの会話をあまり気に食わなかった。
「もし選べるのであれば、ここに住みたい」エーデルは暫く間を置いてから言葉を付け加えた。
それを聞いて、レオンスタは信じられないように目を見開いて、「冗談だろう?」と思わず聞き返した。
「ここには月にないものがある」
「冗談だろう」
「じゃないとここから歌姫を連れて帰る必要はないだろう?」
「それとこれは別だ」レオンスタは平然として「ここ数日間、東エリアの巣枠にいるのか?」と尋ねた。
「まぁな」
「ならこの基地で最も暗いところの景色を見たはずだ」
「……確かに」エーデルは手を伸ばして傷つけられた肋骨を覆い、苦笑いを見せた。
「それでもここは月よりもいい場所だと思う?」
「両者には優劣があると言ったほうがいい」
「君の失踪報告を受けた時に、船に忍び込んで、私たちと一緒に離れると予測した。しかし私は君を連れた帰らなければならないという命令を受けていない。元々言えば、勝手に船に乗り、この基地に来たからには、自分で責任を取らないといけない。例えここで命を落としても自業自得だ」レオンスタはこの話題を続けず、あっさりと言った。
「覚悟はできている」
「そうか?」
レオンスタは眼鏡の枠を押し、「この基地に踏み入れたよそ者は全員酸素の料金を払わなければならない。例え月から来たとして、例外はなかった。それはこの基地を稼働させるための基盤となる。法律に従えば、密航者はその場で射殺することは可能だ。特に君はIDバッジのコードを勝手に変更したから、システムが認識できなくなる可能性がある……監視カメラのないエリアで長い時間に過ごさなければ、多分も早々に警備隊に拘束されたはずだ」と冷たく言った。
エーデルは初めて聞いたような表情を見せ、急に啞然として何も言えなかった。
「代わりに出しておいた」とレオンスタは言葉を付け加えた。
「……ありがとう」
レオンスタはこのお礼の言葉に何の反応も示せず、もう一度スーツを整えた。
「三日後に離れるつもりだ」
「だから事態は最悪な状況になっていないのか?」
「細かいことを説明する義務はない」
「離れるのなら、それは答えに等しい。それが一番いい結果だろう」
それに対して、レオンスタは何秒間を黙り込んで、「もしその時に港で君の姿が見てないのなら、ここで残りの人生を過ごせ」と言葉を続けた。
「強制的に僕を捉えるつもりはないのか?」
「そんな命令を受けていないと言ったはずだ。このナンバーC2059基地では何も見つからず、君が失踪したという報告書も出す」
「それはルール違反にならないのか?」とエーデルはまた尋ねた。
レオンスタは答えず、話題が終わったような態度を見せ、胸を張って離れた。
エーデルは両手をスーツのポケットに入れたまま、壁に寄りかかりながら下に滑り落ち、小声でため息をつき、暫くしてから顔を傾け、「千華、そこにいるでしょう?」と叫んだ。
私はゆっくりと曲がり角を離れ、エーデルの前に出た。
「本当にここで生活しているのが素晴らしいことだと思っているの?」と私は尋ねた。
「……僕は過去に月で生活し、今はこの基地にいます。自身の経験に基づけば、両者の生活は、あまり違いはありません」
「月の貴族様は本当に上から目線の態度で檻にいる平民の生活を語っているんだね。本当にここは月に劣らない場所だと思ってるの?本当にここで一生、暮らしていけるの?」
エーデルは驚きが隠し切れない表情を見せた。
続いて、私は彼の前に初めて「檻」という言葉を使ったことに気づいた。
胸から何かに塞がれたようなモヤモヤ感がする。
何を言おうと、この基地の出身ではないエーデルが私の前に立っていた。つまり、彼は宇宙に行ったことがあり、もっと広くて広大な世界を見たことがあった……もし本当に月からきて、ましてやあの「水の惑星」と呼ばれる青い惑星を遠くから眺めたことがあったら。
それは羨ましいことだ。
理解できないこともあった。
何でエーデルは……何で彼と姉は月を離れ、この何もない檻に戻ってきた?
エーデルのことが羨ましいからこそ、焦燥と不安に感じ、この時、胸にある塞がれたような感覚がチクチクと痛んだ。心の奥底は彼が月人であってほしくなかった。そうすれば、彼が話した内容は全部でたらめな戯言で、姉の「理由」も知るはずがなかった。
私は沸き上がった情緒を極力に抑え、「本当に月人なのか?」と口を開いて尋ねた。
「ようやく信じてくれましたか?初めからそう言っていますが」とエーデルは苦笑いしながら聞き返した。
「あの嫌なやつは誰?」
「レオンスタは視察官です。正式的な肩書きは長いから、やめておきましょう」
「知っている。半年か一年置きに、月から視察官が派遣される。中央エリアと北エリアに数日間を残り、それから遠くに航行する船に乗り、次の小惑星基地に行く。お姉ちゃんの時も視察官を接待して、確か顔に白いひげが生えているお爺さんだった」
「おそらくマルス爺さんですね。一昨年に退職しました」
「長い知り合いなの?」
「月の人口は多くありません。子供たちは何年の間も同じ場所に集り、教育を受けます。寮のようなものです。授業も生活も団体行動で、あそこで基本的な知識とスキルを学びます。年が近い人なら、基本的に知り合っています……レオンスタはちょうど僕と同い年で、寮も同じです」
エーデルは懐かしそうに言った。
北エリアの城壁にある端末センサーはキラキラと輝いていた。いわゆる「星空」もそのような景色なのかと昔は一度、姉に尋ねたことがあった。この質問に対して、姉は答えなかった。
月へ向かう途中、姉はその目でいわゆる星空を見たはずだ。
それでも、私はもう一度聞かなかった。
「だから、エーデル……あなたは確かに月人で、身分が高い友人を持っていた。なのに『深紅姬』のユニスにあれらの訳のわからない質問をするために、わざわざこの小惑星基地に来たの?」
「あれらの質問の答えは大事だ」
「さっきの眼鏡の人の言うとおり、あなたはいつも重要な点を避けるばかりだ。もしあなた一人でお姉ちゃんを探しに来たのなら、何の問題にもならない。しかし今は姉を探すために、月から視察官と大型の宇宙戦艦の組員が派遣され、これは一体何のつもりだ?」と私は厳しく尋ねた。
それに対して、エーデルは黙り込んだ。
「一体何を探しているの?まさかお姉ちゃんの楽譜が欲しいの?」
「『天穹姬』の歌声に溺れている船長があり得ないほどの金額で、彼女の楽譜と全ての音楽データに懸賞をかけたらしいです。しかし北エリアは全面的に録音、録画機材を持って入ることが禁止され、ビデオデータは求めて得られるものではなく、巡り合える珍しい品物です……例え本当に天穹姬の音楽データを手に入れたとしても、その劣等な録音の歌声を聞けば聞くほど、彼女の本当の歌声をもっと聞きたくなり、何の意味もありません」
「お姉ちゃんの歌を聞いたことがないくせに、よくわかっているよね」
「ただ身近な人から聞いたことがあります。それ以外に、月海基地の人類史保管庫には地球の数千年と関係する無数の資料が存在し、その中には書籍、漫画、映画、音楽やゲームなど各領域の娯楽品が含まれており、一生をかけても読み切ることができません……天穹姬の歌声は確かに俗世離れした、恐れるほどの魅力を持っています。例えこの基地の他の歌姫でも真似できませんが、それは僕がここに来た理由ではありません」
こんな時、私は遅ればせながらもエーデルがいつの間にか姉の名前を言わなくなったことに気づいた。
ずっと「天穹姬」という呼び方でこのことを話していた。
「『僕』ではなく『僕ら』だろう?あなたとそのレオンスタの目的は違うのか?」
「この話を隠さずに言うと、あなたを思ってもみなかった面倒事に巻き込んでしまうかもしれません」
「何でお姉ちゃんが面倒事を起こしたような口調で話すの?」私は思わず眉をひそめた。
「ゾイさんが何も話していないのなら、それが一番です」
「どこがだよ!」
私は一瞬怒りに飲まれ、前へ踏み出し、顔を上げて怒りながら彼の顔を見つめた。
エーデルはついうしろずさりし、背中が「トーン」と硬い壁にぶつかった。
「お姉ちゃんが何を考えているのか知りたくてあんなことに付き合ったの!色々な問題に答えたり、北エリアにも潜入したりしたのに、まだ何も話してくれないの?」
「ゾイさんはあなたが面倒事に巻き込まれることを望んでいません」
「お姉ちゃんは死んだ!望みなんて何の意味もなくなった」
私が叫んだ後に、エーデルの眼差しには憐れみに満ちていることに気づいた。
「早く……はっきりと説明して!約束したんだ!」
しかしエーデルは答えずに、ただ北エリアの城壁を眺め続け、内心の想いがわからないような表情を見せた。
私はまた問いかけるつもりだが、何回口を開こうとしても声が出なかった。胸に詰まっている情緒のせいで頭が少しくらくらして、気付いたらもう振り返り、走って北エリアを離れた。力を込めて金属の地面に踏みしめている衝撃は全身に渡り、その震動によって視線が揺らいだ、しかし私は依然として走り、酸素を求めながら走り続けていた。
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