第一章 青さ②

 私ははっと目を開けた。


 濃い灰色の天井が狭い空気孔から差し込んだ光を反射していた。


 視界がぼやけたが、何回か力を入れて瞬きすると、スムーズに巣枠の様子が見えるようになった。


 元々は二つの一人用の巣枠だったので、金属の仕切りパネルがない巣枠は広く感じられる。鉄製のキャビネット、テーブル、椅子が壁沿いに設置されている他、隅には垂直の梯子があり、上の段にあるシングルベッドにつながっている。中央には擦り切れて色あせているソファが置かれ、巣枠の両側にはそれぞれユニットバスにつながる小仕切りがあった。


 広い巣枠がここでは贅沢だが、二つのユニットバスは他の用途がない。最近ではそのうちの一つを小仕切りで隔絶させた小部屋として使い、便器に座ってぼーっとしていることが多い。


 洗面台中央にある金属製水差しを取って、その縁を口に当てて、水を一口飲んだ。


 体がだるい。もしかしたら風邪を引いたかもしれない。


 内心では嫌な予感がした。私はすぐに部屋に戻り、鉄の引き出しを開けて順番に従って各薬缶から大小さまざまでカラフルな錠剤を取り出し、掌で力を込めて握り、朝食のビタミン錠と一緒に口の中に入れた。


 固い錠剤がのどに挟まると、刺すような感覚が更に強烈になった。


 とはいえ、水は酸素に次ぐ貴重な資源だ。


 私はのどの痛みに耐えて、力を込めて何回も唾を飲み込んだ。


 テーブルの端に置いてある鏡には疲れ切った顔が映し出されていたが、恐らく、さっき見た姉についての夢のせいだろう。


 ここには昼夜という概念が存在しない。


 意識がなくなるまで目を覚ましているよう努力して、疲れたら寝る人もいれば、アラームと睡眠薬を利用して、昔みたいな日が出ると活動し、日が沈むと休むような規則正しい生活を送っている人もいる。


 上質な睡眠薬を使えば夢を見ない睡眠が得られると言われてる。かつて使用した、闇市で購入した劣悪品は、起きた時の頭痛のせいで一日中思考力がなくなり、仕事はおろか、二度とこの薬を飲むまいと思うようになった。


 私は頬を揉んで気付けをしながら、素早く外出用の服装に着替え、巣枠を出た。


 金属扉のオートロックが静かに音を立てた。


 このエリアの巣枠は外層の近くにあり、地面は内壁には無数は配管が設置されているため、大型機械の運転する音が時折聞こえる。そのせいで、住民以外の人間はほとんどこのエリアに近づかず、不要な人間関係を作らずに済むのだ。


 私はネズミ色の金属製通路を通って、密集して並ぶ巣枠や様々ながらくたが放置されている階段、使われていない倉庫を通り抜けた。金属製の通路の両側の隅にはスペースダストがかなり堆積していて、その表面は金属の光沢を放っていた。通路のそばの無数の配管は偶発的に奇妙な音が響き、固いものが「コロコロ」と転がる音やガスが隙間から漏れるときのガサガサという音がすることがあるが、大抵外層のもっと大きな騒音にすぐかき消されている。


 照明の電球はほとんどが破損していた。薄暗い街道には濁った空気が充満し、鉄さびの匂いが少し鼻を刺した。二年前に他の基地の技師が来て酸素供給システムを修理した後、その匂いはずっと存在している。


 スマートウォッチにはローマ数字の「II」とアラビア数字の「07:43」が表示されていた。


 現在、第一班と第二班の交代時間まで、まだ十三分ある。


 私は早歩きでエリアの境界線を歩いて、北エリアへの通過を避けたルートを選んだ。


 この近くは基地内で最も賑やかな中心地帯であり、いつでも人の行き来が絶えない。この時間、通りに面したレストランはほぼ満席で、第一班の住民が大多数だった。


 その喧噪は通りにも響きわたり、その日常会話には、隣の基地の機動巡視艇が小惑星帯に漂っている幽霊船を発見、多くサルベージャーが正体不明のエイリアンを目撃、神秘的な群青の歌姫がまた北エリアに出現、月人が来訪などさまざまな噂が含まれていた。


 電光掲示板には様々な情報が常に表示され、その点滅が人の目に染みる。


 私はそのまま前を歩いていると、ほどなくしてあれこれ噂話とネオンライトを後にした。


 基地の東エリアは外層のゲートと格納庫と繋がっているが、ここに住む人は普段「ジャンク置き場」と呼んでいる。あそこには数万人の基地住民の生活ゴミや宇宙船が停泊する際に捨てられる廃棄物が堆積されていて、油で汚れた機械と部品が山積みされ、その数は他のエリアにも溢れるのではないかと疑問に持つ人がいるくらいだ。


 また、全てのゴミを一斉に放出すると基地の外側を半永久的に漂い、宇宙船の出入りに大きく悪影響を及ぼす。質量が大きい器具や爆発を引き起こす可能性のある燃えカスなどには不確定の危険性が存在する。故に、私たちの仕事はそれらをゲートまで運び、粉砕して基地の外に放出できる粉末にすることだ。大型の金属部品は粉砕機が故障しないよう特別に回収する必要があって、役に立ちそうな物が見つかった場合は集めて、仕事を終える前にリーダーに渡す。


 このような話ではあるが、大型の部品のみが引き渡され、持ち運べるものは東エリアからこっそり持ち出され、闇市場で売られるのが現状だ。


 東エリアに到着すると、入口には人が集まっているのが見えるが、中には誰も入っていない。


「何が起きているのだろう……」


 私はペースを落として慎重に進んだ。


 人込みを通り抜けると、東エリアの入口ゲートの一つが封鎖されていたと見えた。ゲート横に赤い文字で、四十八時間内の東エリアへの立ち入りを禁ずると書かれていた。


 人々は相次いで抗議したが、ゲート前のリーダーは不快そうな表情で去るように横に手を振った。


 しばらく観察した後、口論しても意味がないと判断して、来た道を戻っていった。


 突然の空き時間に対して、私は暇つぶしの方法が思いつかなかった。東エリアの境界線沿いをぶらぶら歩いて、監視カメラと制服を着た警備員を避け、しばらくして、大型倉庫の隙間から体を横向きにして東エリアに侵入した。


 この場所は普段の職場から離れていて、ジャンク置き場と多少距離がある。船体が空っぽの大型船が何隻か放置されていた。元々は華やかな紋章や模様があった船体は金属の錆やぶつけられた跡でいっぱいであり、その模様はもう見えなかった。その高い部分は、輪郭しか見えず、まるで巨大な怪獣の死体だった。


 私は引き続き前進した。


 十数分後にジャンク置き場のエリアに到着した。そこには名称が分からない様々な部品やがらくたが堆積していた。中から流出するねばねばした液体がくぼみに溜まってできた濃い色の油の池は、表面の薄い膜がつやを放ち、それは時に思わず見とれることもあった。


 ポケットに入れてある放射線検出器は、普段ジャンク置き場に立ち入った時と同じく、常に「危険」の数値のままだった。今日の数値が「非常に危険」なレベルまで数値が上昇しないことを密かに祈りながら、顔の下半分を防毒マスクで覆って、油の池を踏まないよう気を付けつつ、前を歩き続けた。


 防毒マスクを着用しても、吸う空気の匂いは相変わらず酷かった。


 天井の照明は一定の頻度で左右に移動し、二つに重なった細長い影が描かれた。


 ジャンク置き場の奥は道に迷いやすかった。


 大型船が停泊中にゴミを捨てるたび、地形が変化する。ランドマークとしての大型のゴミが埋まれたら、あるいは誰かに持っていかれたら、ゴミの山が滑り落ちて元の通路も覆いかぶさってしまうのだ。


 過去の経験を活かして、サーチライトを見ることが一番のガイドだ。


 細かく観察すると、ライトの光や角度の違いに気が付き、計算することで大体の方向がわかる。


 迷わないことも大切だが、職場で支給されるスコップとつるはしがないと発掘が難しく、一人の力では大型の廃品を運搬することも難しいので、隙間から入って探したはいいが引っかかって動けなくなるのは本末転倒だ。


 私は頭を低くしてまだ使えると思われる廃品を探して、少しの間、腰を曲げて手のひらサイズの測定器を拾った。この測定器は表面につやがあり、本来の用途がわからなかった。真っ黒の画面には自分の顔が映し出された。


「これを売れば食費が足りるはず……」


 私はそうつぶやきながら、地面に落ちた布で簡単に油汚れをふき取り、落とさないように気を付けながらポケットに入れた。サーチライトの位置を確認しつつ動いていると、小さい部品が何個か拾った。


 そのとき、少し小さな音が聞こえてきた。


 私はすぐに顔を上げて、信じられない様子で左右を確認した後、そう遠くない場所にある固くてカーブ状の残骸の下に素早くもぐり込んだ。


 すると、その音はみるみるうちに巨大な轟音へ代わり、それに合わせて地面が振動して強い風が吹いた。


 私は急いで地面に伏せて、片手で防毒マスクを抑えた。揺れが収まった後、今にも倒れそうなゴミの山から急いで離れた。


「運が悪いなあ、なんで大型船はこんな時ばかり停泊するのだろう……」


 小型のゴミは風で四方に転がり、クランクランした音が絶えずに聞こえていた。


 私はここを離れることに決め、足元のハードディスクを拾った後、他のコースから東エリアを離れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る