第一章 青さ③
元々巣枠に戻って休むつもりだったが、内心、焦燥感がつきまとってはなれなかったから、街を無闇に歩きながら、最後は東エリアの隅にある修理工場にたどり着いた。
街道の隅に建てられた工場内にはいつもエンジンオイルの匂いが漂っている。その隅に金属の骨組みだけが残った巡視艇は数隻放置されていて、各種の部品、道具や中古の備品も全て地面に乱雑に置かれていた。一部が天井まで届くほど積み重なっていて、ぐらぐらして今にも倒れそうに見えた。
元々は巡視艇の船首に付ける大型サーチライト用の替電球一つが天井に取り付けられていて、工場内を明るく照らしている。
私は入口に置いてある無数のオイル缶を避けながら、少し歩いていると、足音が聞こえた。
がっちりした体格の剽悍な大男が後ろの部屋からそそくさと現れた。彼は頬ひげを蓄え、筋肉が隆起し、袖を肩までめくっていた。服の裾とズボンは濃い色をしたエンジンオイルまみれになっていた。男は入る人が私だと気づくと、ほっとした表情でレンチを棚に置いた。
「入るなら挨拶しろよ。泥棒かと思ったぜ」
「最近の治安はこんなに悪いのか?」
「いろんなところで被害が発生しているらしい。警備隊員も確認しに来てたぜ」
「だったらせめて鍵をかけてよ」
私は呆れ気味に顔を振った。
この男性はカールおじさん、姉が小さいころから成長を見届けた数少ない人だ。
私が小さい頃もよく姉にここに連れてこられた。
ざっと見ると、無骨で粗野なおじさんに見えるかもしれないが、実際はお人好しで、親戚でもないのに姉と私を家族のように扱ってくれて、食べ物が余ったときはよくおすそ分けしてくれた。
ここは巣枠以外で数少ない私がリラックスできる場所だ。
昔、私と姉がまだ子供の頃、いつもこの修理工場で過ごしていた……たとえ姉が亡くなった今でも、それは変わらない。カールおじさんは、この基地では最も身近な人だ。たまたま工場に来た時も、どこから手に入れたかわからないお菓子をくれたこともあった。
カールおじさんは椅子を引いて、それに座った。眉間にしわを寄せながら聞いてきた。「東エリアが緊急閉鎖されたらしいな、事故でもあったか?」
「わからない。通達がされただけで全員追い出されちゃった」
「さっき、外でいろんな噂を聞いたぜ。どうやらここ数日に月の貴族が視察に来るらしくて、予定より早く着いたかもしれないな。その件を大げさに捉えて、東エリアを封鎖したかも」
「噂のエイリアンが基地に侵入したかもしれないよ」
「真空の宇宙に生物なんざ生きられないよ。そんな都市伝説は噂よりも意味がない」
「おじさん、本当に想像力ないね」
私は勝手にネジで壁に固定された長テーブルで座って、テーブルにいっぱい広げられていた各種の雑物をよけて、先ほど東エリアで拾ったものを取り出した。
「当店は法律を守るから、盗品の売買はしないよ」
「ジャンク置き場で拾ったがらくたは盗品のうちに入らないでしょ」
カールおじさんは仕方なさそうにため息をついて、顔を振りながらそれ以上聞かなかった。
私は順番通りに拾った部品を調べた。恐らく二食分の食事券と交換できるだろうと思い、思わずほっとした。次に、最後に拾ったあのハードディスクを目の前に持ってきて、調べ始めた。
ゴミの山でハードディスクを拾ったことはよくあるが、その大半は宇宙船の廃棄品であり、各種データや航行記録が保存されている。ものすごくラッキーなら、地球に関する電子ファイルが見つかることもある――ノイズの混ざった音楽、歪んだ形の不完全な画像、文字化けした文章など、内容はほとんど読み取れないが、地球に関する確実な情報が記録されている。
地球に関する情報を含む電子ファイルは全て闇市で高く売れるのだ。
それにもかかわらず、私はいつもこの種のハードディスクを巣枠にある机の後ろの隠しスペースに大切に保管している。
このハードディスクは見た目より重く、表面に酷い傷が付いている。接続部には焼けた跡があり、内部のデータを確認するなら複雑な方法が必要なようだ。
「おじさん、あの各種コネクタを入れた箱はどこにあるのか?」
「あんたが前回使った後に置いたところだろ。」
「確かテーブルの下に……」
私は少ししてからあの箱を見つけた。それをテーブルに置いて、順番通りに色々なコネクタを試してみたが、どれも合わなかった。
カールおじさんは同じようにエンジンオイルまみれのタオルで何回か拭いて、私のそばに座った。
「千華、まだあのジャンク置き場清掃の仕事をしているのか?」
「……無駄なおしゃべりも人間関係も必要ないし、給料もまあまあ。満足してるよ」
「毎日の暮らしで必要な浄水の代金も辛うじて払えてるんじゃなかったか?」
カールおじさんは仕方なさそうに聞いた。
私はすぐにその話に反応せず、俯いて手元にあるハードディスクを見つめて、少し経ってから口を開いた。
「ずっとここにいるつもりはないよ」
「そうだとしたら、どこに行くつもりだ?」カールおじさんが苦笑いして言った。「地球関連の童話も結局虚構なわけだろ。嘘つきと狂人を除けば、地球から来た人間など数百年にわたって誰も見ておらんぞ……もし俺が地球で生まれたなら、わざわざ長い時間かけてこんな何にもない小惑星の基地になんざ来ないけどよ」
「おじさんはこの基地から出たことあるの?」
「俺は辺境のある貧乏基地で生まれたんだ。住民は基本的に命がけで宇宙鉱石を採掘し、『ブラックゴールド』という燃料の原液を集める。若いころは『九姫』の名に憧れて、ここにやってきたんだ。いつの間にか何十年もここで暮らしているけど、これからもここにいるつもりだぜ」
子供の頃から知っているけど、この時初めて自分がカールおじさんの過去についてあまり知らないことがわかった。
姉がまだここを出ていない頃、私たちは色んなことについて話した。そして今、私はこの修理工場で退屈な日常に関する話と姉の思い出についてしか話していない。
「千華、ここを離れたいのか?」
このわかりきった質問に対して、私は聞いていない振りをしたまま、箱の中身をひっくり返しながら、別のコネクタを探していた。
「他の基地に行っても、生活はこことあまり変わらないよ。そして、よそ者は溶け込むまで時間がかかるぞ」
「外の世界は小惑星基地だけじゃないよ」
私は我慢できず、口答えした。
カールおじさんはまた「しょうがないな」という表情でため息をついた。
「まさか、月にあるガラスの宮殿に行くつもりか?それとも地球にか?」
「その二か所は確かに存在しているよ」
「何百年前のあの宇宙疫病が流行ってから、地球側の人間は徹底的にロックダウンして、小惑星基地からの人間は立ち入り禁止になって、現在も交流が断たれている。俺たちは地球から学んだ技術と知識をたくさん失ってしまったんだ。大型船すら自分達で造れなくなった。もちろんあの青い星まで航行することも叶わない」
「無事地球に着いた人が戻って来てないだけかもしれないじゃない」
「かもな……だが、ゾイはあんたがそんなことするのを望んでいないよ」
「姉さんの名前を出さないでよ!」
私はつい大声を出してしまい、自分の大声にびっくりしてしまった。
カールおじさんは特に驚いた様子を見せず、しばらく経ってからそう話した。
「あんた、昔、ゾイと一緒にいたとき、一番近くで彼女の歌声を聴いていて、そっち方面のレッスンを受けていたんだよね。もし他人に知られていない楽譜や曲があるなら、あんたは十分歌姫になれる……
「私は北エリアに行かない。絶対行かないから」
その言葉には決意が秘められていた。
カールおじさんはため息をついて、それ以上話を続けなかった。立ち上がって近くの商品棚まで行って、工具バッグを取って作業の準備をした。
そのとき、突然襲ってくる悲しみを、私は感じた。
心臓がギュッと締め付けられ感覚が胸元部分に伝わり、何も言わず修理工場を離れた。
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