第七夜:屠神(3)これまでに見たこともない幻の生き物
蒸し暑い真夏の夜。一人のサラリーマンがバスを降りると、通りに留まるのも憚られるため、すぐさまブリーフケースを手に住まいの方へと急ぎ足で向かった。
最近は朝のニュース報道でも毎日「昨夜は平和な夜でした」と言っている。だが、少しでも社会の状況に関心を持つ者であれば、それが紛れもない嘘であることがわかるだろう。
このところ行方不明者の数が不可解に多くなっており、さらには『野良犬』に噛まれたバラバラ死体も多く発見されているが、誰が聞いても人狼の仕業であることはわかる。
しかしながら政府は依然として何の対応措置も講じず、教会への経済援助も削減している。新市長がすでに人狼に操られているという陰謀論まである始末だ。
交差点にあるコンビニエンスストアを通りかかるとおでんのいいにおいが漂っており、それを嗅いだ男性の腹がタイミング良くグーグー鳴った。
一刻も早く家には帰りたかったが、やはりまずはごちそうを買っていくことにした。
ピンポーン!
男性は店に入ると、真っ先にドリンクコーナーに行き缶ビールを手に取った。それからカウンターに来て注文しようとしたところ、店員の姿が見当たらなかった。
なんとなく何かがおかしいと感じ、男性は身を乗り出してカウンターの奥を見た。目に飛び込んできたのは、食い残された人骨と引き裂かれてボロボロになった従業員の制服だった。
「うわっ!」男性は恐怖のあまり尻もちをついた。「頼む……勘弁してくれ……ただ夕飯を買いたいだけなんだ……」
それからまた『ピンポーン』と音がして、二人の女性が店に入ってきた。髪の色は一人が金髪で一人が茶髪だった。地面に座り込んでいる男性を見て、彼女たちは驚いた。
「何があったんですか?」金髪の女性が緊張した面持ちで尋ねた。
「カウンターの後ろ……人が……されて……」男性は言葉に詰まりながら答えた。
「何なの?」茶髪の女性が頭を突き出してカウンターの奥を見た。「あらあら、これは本当にひどいわねえ――先を越されちゃった、って意味なんだけど」
「え?」
次の瞬間、二人の女性は男性の眼前で急激にその形を変え、野生の狼の姿になった。
「痩せ過ぎみたいだけど、腹の足しにはなりそうね」茶色の人狼と化した茶髪の女性が凶悪な笑みを浮かべながら言った。
男性はすぐさま這い転がりながら逃げようとするも、二匹の人狼にあっという間に捕まった。混乱の中で商品棚も倒され、商品が床に散乱した。
金色の人狼と化した金髪の女性は男性の太ももに狙いを定め、肉片を咬み切って丸呑みにした。男性は凄まじい阿鼻叫喚の叫び声をあげた。
「ねえ、脳みそは私にとっておいてよ。あの柔らかい食感が何よりも好きなのよ」
茶色の人狼が言い終わるか終わらないうちに、一発の銀色の銃弾がコンビニエンスストアのショーウインドウを打ち砕き、正確に女の頭に命中した。
次の瞬間、神民のいでたちをした二人の少年が店の中へ入ってきた。金色の人狼は怒号を上げ恐ろしい形相で彼らに飛びかかるも、すぐさま血の刃を手にした少年に首を切り裂かれ、鮮血が赤い水柱のように激しく噴き出した。
「人狼二匹撃破。どちらもメス。場所は
ハンターは抑揚のない声で報告をしながら、店内をくまなく調べていた。
「他市民二名のうち、一名死亡、一名負傷、関係機関に報告してください」
魔女は跪くと、男性の太ももの傷の治療のために懐から『解毒剤』を取り出した。
「君たちは神民か?」男性は恐怖がいまだ冷めやらず、震えた声で尋ねた。
「はい」魔女が答えた。
「来るのが遅いんだよ!」男性は憤慨して詰った。「最近治安が悪くなったのは、全部お前たちの人狼退治が無能なせいだ!俺はお前たちと違って懸命に深夜まで働いているのに、お前たちの職務怠慢のせいで怪我をしたんだよ!」
ハンターは彼に構うことなく、そのままコンビニエンスストアを去っていった。魔女もやれやれと首を振ると、後を追って出ていった。
彼らの後ろ姿が遠ざかるまで、男性は背後で罵声を浴びせていた。
「あの人を咬んだのはあきらかに人狼なのに、どうして僕らが犯人扱いされなきゃならないんだよ?」魔女はため息をついた。「僕らはできる限り急いで駆け付けたけどさ、深刻な人手不足はどうにもできないよ」
「予言者が次の場所を教えてくれた。早く行こう、バカ樹」ハンターは言った。
「え?」
「
この二人の少年がまさに、新たに結成された人狼退治のコンビ――井千陽と
袁士豪は井千陽や南宮樹とほぼ同じ年齢で、彼らと同じく教会で育った子供であったが、彼らとは違う学校に通っていた。
今はちょうど夏季休暇のため二人とも学校に行く必要がなく、全力で人狼退治にあたることができた。
「
彼の神職は魔女であり、南宮樹が失踪して以降、彼の位置に取って代わって井千陽とコンビを組んでいる。
「でも、南宮樹はいったいどこへ行っちゃったんだろう?もう失踪してから何か月も経つけどさ、生きていてほしいよね」袁士豪は髪をかきながら、腑に落ちない様子で言った。「僕も彼も魔女だけどさ、彼はいつも君とばかりいっしょにいたから、彼とは数えるほどしか話したことがないんだ」
「あいつは絶対に生きてる」井千陽はきっぱりと言った。
アンジェラは井千陽に雪狼救世福音教と接触しないよう警告したが、南宮樹木を探すため、井千陽はこのところ何度も危険を冒して雪狼救世館に潜入捜査を行っていた。残念ながら、何一つ有力な情報は得られなかった。彼は信者たちによってブラックリストに入れられるどころか、懸賞金の対象にもなっていた。
最近は狼殺率が急激に増加しており、狼王が猛威を振るっていたときよりもさらに深刻な状況になってきている。直接的な証拠はないが、おそらく雪狼救世福音教の台頭と無関係ではないだろう。
首都区は狼殺による被害が最も甚大なエリアであったが、最近ではほかのエリアの狼殺率が急増しており、事態は非常に深刻となっている。
そのため本部は各支部に支援の人員を派遣せざるを得ず、首都区に残っている神民はむしろ最も少なくなっていた。
井千陽と袁士豪はコンビニエンスストアの人狼を処理し終えると、すぐに次の任務の場所である五階建ての廃アパートへ向かった。
彼らはここで四匹の人狼に遭遇し、そのどれもが非常に手強かった。
彼らは真夜中まで苦闘の末、ようやくそのすべてを虐殺した。そして井千陽はいつものように教会に戦果の報告をした。
「人狼撃破……もしもし?もしもし?」
「どうしたの?」袁士豪が尋ねた。
「電波が届いてない」井千陽が答えた。
袁士豪が自分のトランシーバーを試してみたが、結果は同じだった。
「どうしたんだろう?」袁士豪は合点がいかない様子で尋ねた。「ここは確かに圏内だし、以前はちゃんと受信したんだけどな……」
二人は何度も試したが、トランシーバーの向こうからはやはりノイズしか聞こえず、彼らは理解に苦しんだ。
次の任務の場所がわからない以上、彼らはまず教会に戻ることにした。
*****
二人が教会のある墓地へ戻ると、すぐに異変に気づいた。
通常、基地に入る前にはまず墓守の像に隠された入場管理システムを通過しなければならないのだが、今はすでにその必要がなくなっていた。像は瓦礫の山と化しており、地下への入口も破壊されていたからだ。
二人の心の中に不吉な予感が広がり、彼らは武器を握りしめながら恐る恐る階段を降りた。
基地の中には本来完全な防御対策が設置されており、入るためにはいくつもの認証を経なければならない。今は至る所のドアが開け広げられており、識別システムを経なくても通過することができた。
二人はますます不安を募らせた。礼拝堂に来た彼らの目に飛び込んできたのは、言葉を失うほどの驚愕的な光景だった。
その瞬間井千陽の頭の中は真っ白になり、自分の目がまったく信じられなかった。袁士豪は言葉を詰まらせながら疑問を口にした。「これは……いったい……何が起こったんだ……」
礼拝堂全体が完膚なきまでに破壊されており、十字架像は折られ、ステンドグラスは粉々に砕かれていた。予言者たちが人狼を見つけるために使用していた先端機器も残らず破壊され、鉄くずの山と化していた。
さらに恐ろしいのは辺り一面に神民の遺体があり、そのすべてに野獣に咬まれた傷痕と引っ掛かれた傷痕が付いていたことだ。いくつかの遺体は手足の一部も欠損していたため、犯人の正体は言うまでもなく明らかだった。
礼拝堂の壁の一つには、まるで地獄からの嘲笑のように、巨大で歪んだ「屠神」の二文字が鮮血で書かれていた。血の跡はまだ乾いておらず、塗られてまだ間もないようであった。
「あそこ!」
壁の隅を見ると、女性がもがき苦しんでいた。井千陽はすぐさま駆け寄り、袁士豪もあとに続いた。
その女性はまさに予言者のソップティムであるデボラであった。全身血まみれで腰の部分にはきわめて大きな傷があり、内臓までもが飛び出ていた。
「シスターデボラ、しっかりしてください。すぐに治療しますから!」
袁士豪はすぐさま『解毒剤』を使うも怪我があまりにひど過ぎて、すでに救いようがなかった。
デボラは唇を引き攣らせ、憎しみを込めて鮮血とともに「人狼」の言葉を吐き出すと、ついに息絶えた。
彼らはむりやり心中の悲しみを抑え込み、一人一人地面に横たわっている神民を調べ続けた。
大部分の者はすでに生命の兆候を失っていたが、依然何人かまだ息のある者もいた。そこで袁士豪はすぐに彼らを治療し、できる限り多くの人の命を繋いだ。
井千陽は礼拝堂の遺体の中からアンジェラを見つけることはなかった。それでも油断することなく、袁士豪とほかの場所へ行き注意深く捜査を続けた。
彼らはまず監視室へ向かった。ここは基地全体の警備システムをコントロールすることができるが、すべての装置がひどく破壊されていた。これでは敵に抵抗できなかったのも無理はない。
「人狼たちはこの基地の配置を熟知していたみたいだね。ここを破壊すれば、警備システムを麻痺させられることを知っていたんだ」袁士豪が言った。「でも基地のことは神民しか知らないはず……まさか教会に裏切者が?」
井千陽も考え込みながらつぶやいた。「そいつは僕たちの内情にやたら明るいな。基地の配置だけでなく、現在ほとんどの神民が前線で人狼退治にあたっていて、ここに残っていたのはすべて非戦闘員だということまで知っている。」
「そう言われてみると、ほかのエリアの狼殺率が急増したのも意図的に引き起こされたものなのかな?」袁士豪は突然思い出した。「人狼は意図的にほかのエリアで反乱を起こしたんだ。もしかすると奇計で虚を突くことで本部の兵力を分散させて、侵入に抵抗できないようにしたのかもしれないよ」
二人は考えれば考えるほど恐ろしくなり、人狼の腹黒さと狡猾さに驚愕した。
このような深謀遠慮な計画はこれまでの人狼のやり方と大きく異なっており、おそらくは綿密な組織が背後ですべてを画策しているのだろう。
そのような組織といえば、彼らが思い浮かべるのは一つしかなかった――雪狼救世福音教だ。
井千陽と袁士豪は続いて監視室の隣にあるオフィスに来た。現場はひどく荒らされており、一人の老人が血だまりの中で死んでいるのが目に入った。それはまさしくアレクサンダー長老であった。
長老の右手には猟銃が握られており、壁と床は弾痕だらけだった。明らかに激しい戦いの末に殉職したのだろう。
神民の最高指導者までもが殺されているのを目の当たりにして、二人とも寄る辺ない気持ちを感じずにはいられなかった――今後教会はどうなってしまうのだろうか?
効率を上げるために二人は手分けして調査を行い、礼拝堂で落ち合うことにした。
井千陽が捜査を続けたところ、人狼たちが基地全体を徹底的に破壊したことがわかった。医療室、書庫などの場所はすべて被害を受けており、武器庫もまた被害を免れなかった。人狼に対抗するための武器はすべて略奪されていた。
彼は自分の寝室に戻った。どうしたことか、ここは例外的に破壊されていなかった。鉢植えも含めて部屋のすべての物がまったくの無傷で、葉の一枚さえも欠けていなかった。
あらゆる場所を捜索して井千陽が唯一僅かに安心したのは、アンジェラの遺体が見つからなかったことだった。
彼は礼拝堂に戻ると、再度死体が至る所に転がっている光景を見た。心の中で悲しみと憤りが止むことはなく、悲惨な死を遂げた仲間たちの敵を討つために血で血を洗うことを密かに誓った。
このとき、礼拝堂の入口から突然かすかな足音が聞こえてきて、井千陽はすぐさま振り向いた。その瞬間視界に飛び込んできたのは、これまでに見たこともない幻の生き物であった。
それは全身が雪のように真っ白な野生の狼だった。強大で、力強く優美で、暗い地下において聖なる光にも似た柔らかな光を発しているその姿は、まるで氷雪の精霊のようであった。
井千陽はその瞬間背筋に冷たいものが走ったが、本能に突き動かされて猟銃を掲げた。『カチッ』という音とともにガントレットを引き、銃口を相手の頭に向けた。
雪狼は動じることなく依然としてその場に立ったまま、まばたきもせずに井千陽をじっと見つめていた。彼の姿、ひいては魂までもその目に刻み込もうとしているかのようだった。
哀しさを帯びて美しいアメジストのようなその瞳の中には、なんとも言えない悲しみと言い尽くせない感情が宿っていた。
井千陽は引き金を引くつもりであったが、なぜだか体が硬直してしまった。
この狼の身体的特徴は明らかで、これまで見たことがないと確信しながらも、なぜだか心の中で親近感を覚えるのだ。
まるでかつては兄弟のように親密で、共に生死の境をさまよい、共に数えきれないほどの昼と夜を過ごしたかのように。
一人と『一狼』は長い間対峙していた。どちらもそれ以上動くことはなく、まるで時間が永遠に止まったようであった。
井千陽は引き金を引くことができなかった。雪狼はゆっくりと頭を下げ、口にくわえていた物を地面に置いた。
よく見ると、この狼は全身純白ではあるが、口もとの毛がうっすらと赤く染まっているようだった。
「お前は……いったい誰なんだ?」
雪狼は井千陽には答えず、最後にもう一度だけ彼をじっと見つめると、身を翻して去っていった。まるでゆっくりと闇に溶けていく白い霧のようであった。
井千陽は前へ進み出て、雪狼が残した物を調べた。
それが何であるのかを目にした瞬間、心臓が止まりそうになった。
それは血に染まった天使のネックレス――彼がシスターアンジェラに贈った誕生日プレゼントであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます