終章:長い夜(1)トリック・オア・トリート

「トリック・オア・トリート!」

 十月最後の一日、ミラーズシティの首都区の街頭では、思う存分お祭り騒ぎを楽しもうという人々が大勢集まっていた。今日はいたずらをするのに最適な日――ハロウィンだった。

 昔からの言い伝えによると、一年は光と闇の二つに分けることができる。ハロウィンのこの日こそがまさに、光が闇へと足を踏み入れる日なのだ。

 この日の夜、死者の魂は再びこの世へと戻り、悪霊もこの機に乗じて騒ぎを起こすと言われている。彼らを追い払うために、人々は奇抜な服装をしたり恐ろしいマスクをかぶったりするのである。

 しかし二十一世紀になるとハロウィンもクリスマスのように商業化されてしまい、もはや伝統的な意味は失われてしまった。

 今夜は霧雨が降っていたが、大衆の祝祭に対する情熱は依然として消えることはなかった。

 ミラーズシティ首都区の最も賑やかな中心エリアでは、街頭仮装パーティーが熱狂的に行われていた。

 ほとんどの参加者が若者であり、彼らはフランケンシュタイン、ミイラ、ピエロ、ひいては人狼や吸血鬼などの様々な妖怪変化に扮していた。

「九時になったら帰るよ、わかった?」

 林若草が三人の友人に確認した。

「でも大パレードが始まるのは十時なんだから、この機会を逃すのはもったいないよ」

 小恵が口を尖らせながら言った。

「そうだよ、そんな早く帰ったらしらけちゃうよ」

「ハロウィンは一年に一回なんだから、家に帰るのが遅くなっても大丈夫でしょ?」

 芊芊と桃子も追随した。

 ハロウィンの街頭パーティーに参加しようと提案したのは小恵たちだった。彼女たちはこの一年に一度のお祭りに、胸を躍らせてやまなかった。

 小恵は猫耳と尻尾を付けて黒猫を装い、芊芊は恐ろしい西洋人形に扮し、桃子は三叉槍を持った小悪魔に変身した。

 林若草は実際のところパーティーに参加する気分ではなかったが、友人たちの再三の懇願を無視することもできず、参加することにした。それもあって特に手の込んだドレスアップはせず、ただカボチャの髪飾りを付けて適当にお茶を濁した。

 彼女は姉がカルトにハマってしまったことを彼女たちには言わなかった。友人に変な目で見られたくなかったのと、こんな恐ろしいことに彼女たちを巻き込みたくなかったからだ。

「若草、今日は貴重なハロウィンなんだから、リラックスして思いっきり楽しみなさいよ」小恵が彼女の腕を引っ張りながら言った。「このところずっと元気がなかったからさ、私たちみんな心配してたんだよ」

「私はただ遅くなるとバスがなくなると思って」林若草はなんとか笑顔を作ろうとした。「それにもし人狼と遭遇しちゃったらマズいし」

「大丈夫だって。今夜は全部の公共交通機関が一晩中動いてるんだし、タクシーだってあるんだからさ」芊芊はニコニコ笑いながら言った。去年自分が人狼に襲われたことなんてすでに忘れてしまっているようだ。

「あちこちに警察がいて治安を守ってるしテレビ局も生中継してるから、人狼はおろか、スリだって出てこられない……」

 桃子は話している途中で突然目を輝かせ、遠くに向かって嬉しそうに手を振った。

「おーい!こっちこっち、ここにいますよー!」

 見たところ二十歳前後の男性四人が彼女たちのところへ来ると、双方自己紹介を始めた。

 この男性たちはみな大学生で、そのうちの一人は桃子がネットで知り合った友人であり、残りの三人は彼の同期であった。

「桃子がみんなイケメンだって言ってたけど、やっぱり間違ってなかったね」芊芊が林若草の耳元で興奮気味に言った。

 この四人の男性もまたドレスアップしており、それぞれにオペラ座の怪人、マッドハッター、エドワード・シザーハンズと殺人鬼ジェイソンに扮していた。顔が完全に隠れている最後の一人を除き、ほかの三人のルックスは確かにかなり目を引くものがあった。

「でも井千陽に比べたら、彼らは足元にも及ばないよね。でしょ、若草?」小恵が友人をからかった。

 林若草はわずかに顔を赤らめた。

「なんであんなヤツの話なんかするのよ……」

 井千陽のことを思い出すと、ついつい憂鬱な気分になった。

 以前、井千陽は猟銃を貸したあとも何度か彼女を誘い特訓を行った。だが夏季休暇が終わると井千陽は学校に来なくなり、連絡も途絶えたため、彼女は彼に何かあったのではないかと心配していた。

 その男子大学生たちは、とても明るく話し上手で場の雰囲気を盛り上げるのがうまかったこともあり、二組はすぐに意気投合した。

 彼らは移動屋台でわたあめやポップコーンなどのおやつを買って、気前よく女の子たちに振る舞った。さらには気を遣ってノンアルコールのシードルまで、彼女たちのために注文した。

「桃子ちゃんが友だちを連れて遊びにくるって言ったとき、まさかこんなに可愛い女の子たちだと思わなかったよ」

 オペラ座の怪人に扮した男性が笑いながら言った。彼はついさっき自分の名前を名乗ったばかりだったが林若草はすでに忘れてしまったため、それぞれの扮装で彼らを呼ぶことにした。

「こんなに可愛かったら、学校でも絶対モテるでしょ?」

「もっと遊びに行こうよ。今度カラオケ行かない?」

「友だちが湖畔に別荘を持ってるんだけど、景色がすごくいいから、今度一緒に行こうよ!」

 マッドハッターとシザーハンズも大いに林若草たちの歓心を買おうとした。四人の男子の中でジェイソンだけが最も口数が少なく、時折友人の言葉に相槌を打つだけだった。

「もうすぐ十時だ。そろそろパレードが始まるから、中央のメインストリートに行こう」ファントムがほかの者に言った。

 小恵、芊芊と桃子はすでにそれぞれターゲットがおり、気に入った男性とペアを組んで歩いていた。残った林若草とジェイソンもペアを組むしかなかった。

 前を行く楽しげな笑い声溢れる三組と違って、彼らのペアはかなり気まずいムードであった。

 ジェイソンのあの冷ややかなマスクは身の毛がよだつ上に、一言も発しないためさらに不気味な感覚が増し、林若草は少し不安になった。

「このままここにいるのは危険だから、早く帰ったほうがいい」ジェイソンは突然小さな声で言った。

「え?なんて言ったんですか?」周囲は実に騒がしく、林若草は彼の言った言葉がよく聞こえなかった。

 夜の気配が深まるにつれ人波もどんどん多くなり、街じゅうの至るところが身動きもできないほど混み合っていた。

 夜十時になり、パレードが本格的にスタートした。

 先頭は、闇夜に不気味かつ神秘的な笑みを浮かべながら宙を漂う、超巨大なジャックオーランタンであった。

 続いて竹馬に乗った暗闇に光るガイコツ、そして血まみれのゾンビの群れが登場し、積極的にギャラリーと絡むことで多くの叫び声を引き起こしていた。

 パレードが最高潮に達したとき、林若草は突然遠くで響く大きな音と、それに続く叫び声と大騒ぎする声を聞いた。

 振り向くと、酔っ払いの集団が道端に停まっていた軽トラックをひっくり返していた。

「あの人私のお尻を触ったわ!」

 ゴスロリに扮した女性が突然大きな声で叫んでキョンシーに扮した男性を指さした。

 それを聞いたゴスロリのボーイフレンドはすぐさまその男性の所へ行って言い争うも、双方の話が嚙み合わず殴り合いを始めた。

 ガシャガシャーンッ!

 どこかで突然ガラスが砕け散る音が響き渡った。群集が絶えず押し合いへし合いしていたため、ブティックのショーウインドウが圧迫されて割れてしまったのだった。

「火事だ!火事だ!」誰かが大声で叫んだ。

 一難去ってまた一難、現場はますます混乱の様相を呈してきた。林若草の頭の中で警報が鳴り響き、やはり先に帰ることにした。

「小恵、やっぱり早く帰ろう……え?」

 林若草は辺りを見回したが小恵の姿は見当たらなかった。芊芊と桃子もどこに行ったのかわからず、あの何人かの男子大学生も行方がわからなかった。状況からして人波に押し流されてしまったようだ。

 今日のパーティーの参加者はみな最善を尽くしてこの上なく恐ろしい格好をしているため、まるで本物の百鬼夜行のようであった。

 人狼はハロウィンの仮装として常に人気があり、今日も多くの者が毛皮で覆われた狼のかぶり物をして人狼に扮していた。

 林若草は周囲を見回し、ふと何かがおかしいと感じた。

 ――人狼に扮した人が……多過ぎない?彼女は心の中でつぶやいた。

 林若草の前方にちょうど狼のマスクをかぶった女性がいた。彼女は突如右手を高く挙げて空を指さすと、人狼ジェスチャーを作り出した。

 このジェスチャーはある種の合図のようで、人狼に扮しているほかの者も即座に反応した。

 一が十に伝わり、十が百に伝わり、瞬く間に周囲はすべて人狼ジェスチャーで埋め尽くされ、あたかも火花が草原に火を起こしたようであった。

 ほとんどの者は相変わらずポカンとしており、周囲の雰囲気の変化にまだ気づいていないようであった。林若草は制御不能な状況になる前に、できるだけ早くここを離れなければならないと承知していた。

 林若草は三人の友人にメッセージを送りながら、あちこちで彼女たちを探していた。

 芊芊と桃子はおそらく取り込み中らしく未読スルーで、小恵からはとある路地にいると返信があった。

 林若草はなんとか人混みを通り抜けると、比較的人通りの少ない路地にたどり着いた。

 遠くの街灯の下で、小恵とファントムは笑いながらおしゃべりしていた。仲睦まじく、いいムードであった。

 林若草はお邪魔虫扱いされることも顧みず、今すぐ小恵に帰るよう声をかけることにした。

 だが次の瞬間、ファントムの風貌が激変した。服は瞬時に破裂し、人間から茶色の人狼へと変化した。

 小恵は口を開けたまま呆然と相手を見ており、何が起きたのかまだはっきりとわかっていないようであった。そしてファントムが恐ろしく大きな口を開け、小恵の頭を食い千切ろうと準備した。

「今すぐ小恵から離れなさい。じゃないと撃つわよ!」

 この叫び声を聞いて茶色の人狼が振り向くと、左手で猟銃を持ち、右手を引き金にかけ、漆黒の銃口で彼に狙いを定めている少女の姿があった。それはまさしく林若草であった。

「手がひどく震えているぞ」ファントムは凶悪な笑みを浮かべた。「人狼を撃ったことはあるのか?」

「もし小恵を傷つけたりしたら、あなたを殺す!」林若草は懸命に手の震えを落ち着かせながら、脅しをかけた。

「やれるものならやってみろ!」

 ファントムの注意をそらすことに成功すると、彼は小恵を放って、矢のように林若草のほうへ突進してきた。

 林若草は慌てふためき、急いで引き金を引いた。弾は発射されたがファントムの前脚をかすめただけで、相手の凄まじい攻勢を止めることはできなかった。

 だが初めての実戦における射撃としては、悪くはなかったと言える。以前昼も夜も休まず特訓したのは、決して無駄ではなかった。

 ファントムが林若草を地面に投げつけその喉を咬み切ろうとしたとき、ホッケーマスクをかぶったジェイソンが突如現れた。

「彼女たちは食べないって決めたじゃないか?」ジェイソンは怒りながら言った。「死体を食べて生きていけるのに、どうしてわざわざ生きた者を食べるんだ?」

「俺はお前みたいな、いつでもブラックマーケットで買ってきた高級なラムを食べられるお金持ちのお坊ちゃんじゃないんでな」ファントムは冷たく言い放った。「牧師がすでに公言したように、今夜は人狼がミラーズシティを奪い取るときだ。ほかの人狼たちはみな派手に食ってるんだから、俺を止めようなんてするなよ!」

 ファントムが聞く耳を持たずに独断専行しようとしているのを見て、ジェイソンは軽く歯ぎしりをすると灰色の人狼に変身し、彼と激しく戦い始めた。

 林若草はタイミングよく彼女たちを助けてくれたジェイソンに心の中で感謝をした。そして急いで小恵のところへ行くと、彼女は恐怖のあまり足の力が入らず、腰が抜けて地面に座り込んでしまっていた。

 暗雲が立ち込め始め、ぱらぱらと降っていた小雨は次第に土砂降りへと変わっていった。空の状況がその色を一変すると、群集に潜んでいた人狼たちも次々にその姿を変えた。

 彼らは羊の群れに入った狼同様、周りの人間を生きたまま食い荒らし、その悲鳴と泣き声が耳から離れることはなかった。

 街頭でお祭り騒ぎをしていた人々はみな、パニックになって近くの店に逃げ込み避難した。林若草も小恵を支えながら急いで一晩中営業しているショッピングセンターに入った。

 入ったあと彼女たちはすぐさまほかの出口を探すも、すべての出入口は人狼たちによって守られていた。

 そもそも人狼は故意に市民をショッピングセンターの中へ逃げ込ませ、彼らを袋のネズミにした上で一網打尽にするつもりだったのだ。

 ショッピングセンター内の店舗はどこも自衛のためにシャッターをおろしていたので、林若草は小恵とともにトイレに逃げ込むしかなかった。

 トイレを避難所としたのは彼女たちだけではなく、多くの人が殺到した。

 人々はトイレに入るやいなやドアの鍵を閉め、そこらにある物でドアを塞いだ。

 ここにほかの出口はなく、幼い子供でもくぐり抜けられないような通風窓しかなかった。もし人狼が侵入してきたら、どこにも逃げ場はなかった。だが外に留まっていたとしても、人狼の餌食になり果てるのは目に見えている。

「若草、芊芊と桃子たち……」小恵は悲しみのあまり声も出なかった。「もしかするともう……もう……」

「あの子たちは……きっと大丈夫」

 林若草はそう言いながらも、心の中ではおそらく彼女たちが不幸な結末を迎えることになるだろうことはわかっていた。

 多くの人がスマートフォンで通報していたが、回線はすべて塞がっていた。実際このような重大事件が発生し、警察はとっくに手が回らない状態であった。たとえ電話が繋がったとしても、すぐさまここに救助を派遣することは不可能であろう。

「お母さん……私ここで死ぬかもしれない……ううう……」

 一人の少女が電話の向こうの母親に向かって号泣し、すぐさま男が小声で𠮟責した。

「声を抑えろ。ここに人狼を呼び寄せたいのか?」

 外から聞こえ続ける狼の遠吠えと悲鳴は、彼らをますます絶望させた。人狼が彼らに目をつけることなく、食べ終わったら去ってくれることを密かに祈ることしかできなかった。

 ――来ないで、来ないで、来ないで……林若草は頭の中で何度もその言葉を繰り返した。だが、まさにいわゆる「悪い予感ほどよく当たる」もので、しばらくもしないうちに誰かがトイレのドアの外にやって来た。ドアを開けようとして開かないとみるや、力を込めてドアを叩いた。

「助けて!」それは若い女性の、必死に助けを求める声だった。「中に誰かいるの?お願いだから中に入れて!人狼に食べられたくない!」

 Vフォーヴェンデッタに扮した男性が助けを求める声を聞いてドアを塞ぐ物をどかそうとするも、ほかの者によって制止された。

「万が一ドアを開けたあとに人狼が侵入してきたらどうするんだ?」

「あの女はひょっとしたら人狼かもしれないぞ。俺たちを騙してドアを開けさせようとしてるんだ!」

「やっぱり中に人がいるのね!」女性の声にかすかな希望の色が滲み出た。「ドアを開けて!お願い!」

 Vフォーヴェンデッタは再度物を動かそうとしたが、ほかの者にまたもや制止された。

「ドアを開けるな!そんな危険を冒すわけにはいかないんだ!」

「このバカ野郎!人狼に食われたいのか?」

 Vフォーヴェンデッタはしばらく沈黙したあと、彼らに尋ねた。「もしあの女性がドアを開けなかったせいで人狼に殺されたら、あなたたちはどう思うんですか?」

「それは彼女の運が悪かったんであって、俺たちには関係ない!」

「聖人になりたいなら、他人を巻き込むことだって許されないぞ」「

 これは緊急避難なんだよ。俺たちはただ自分の命を守りたいだけだ!」

「なら人狼が人間を食べるのも彼らの命を守るためなんですから、我々は彼らを咎めるべきではないですよね?」Vフォーヴェンデッタは問い返した。

 人々は互いに顔を見合わせると同時に、沈黙に陥った。

 外の女性は大声で泣きながら訴え続けていた。Vフォーヴェンデッタはもうほかの者を相手にすることなく、自ら物をどかしてドアを開けた。

 ほかの者たちは不満そうな表情を浮かべて口では文句を言いながらも、彼を強く制止することはなかった。

 ドアが開いた瞬間、誰もが息を呑んだ。

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