第六夜:雪狼(1)相手を選んで病気のフリをしてたんだ
「千陽はまだ部屋から出て来ようとしないの?」教会の拠点でアンジェラは心配そうに聞いた。
「うん、アイツずっとドアを開けないんだ」南宮樹は答えた。
アンジェラはため息をついた。「あなたたちが満月の荘園から戻ってきてから、あの子ずっと変なのよ。いったい何があったの?」
「う……」南宮樹は首の後ろをかいた。
「それは私にも言えないことなの?」アンジェラは尋ねた。
「えっと……千陽が自分で話したほうがいいと思うんだ」
「長老は今狼王の死因を調べてるの。あなたたちの協力を望んでいるわ」アンジェラは眉をひそめた。「前回チャリティディナーで神民の包囲を切り抜けた狼王が、こんな風に火災で死ぬというのは実際のところ信じがたいのよ」
井千陽と南宮樹が満月の荘園を去った後に火災が発生し、建物全体が灰燼と化した。
神民の調査の結果、火災の原因はオイルランプに関連しているようであった。焼け跡からは狼王の遺体、そのほか老いた人狼の死体と狼の毛皮の残骸が見つかった。
「ごめん……本当に言えないんだ」南宮樹はうなだれ、その口調は本当にすまなそうだった。
「じゃあ、いいわ」アンジェラは察して言った。「長老たちにはうまく言っておくわ。あなたたちが話したくなったときは私に言ってね。わかった?」
アンジェラとの会話を終えると、南宮樹は井千陽の部屋の前にやって来た。
指でノックしたが、返事はなかった。
「千陽、もう閉じこもって一週間だぞ?いったいいつになったら出てくるんだ?学校とかもずっと休んでるわけにはいかないし、担任にしょっちゅうお前の様子を聞かれてるんだよ」
しばらく待っても返事がなかったので、南宮樹は思い切ってドアの外に座り込んだ。
「どっか行け」中からようやく声がした。
「ここにいたって邪魔にはならないだろ。どうせ出て来ないんだから」南宮樹は言った。
「早くどっか行けって」
「鉢植えは日に当てなくていいのか?」
「余計なお世話だ」
「子供の頃は明らかに俺が拗ねることのほうが多かったけど、なんで今は逆になっちまったんだろうな?」昔のことを思い出して、南宮樹は思わず微かな笑みを浮かべた。「教会に来たばかりの頃が……本当に懐かしいよなぁ」
*****
「かわいそうに」
七歳の南宮樹が教会に来たばかりの時、最も耳にした言葉だ。
神民たちは皆、幼くして両親を亡くした南宮樹をたいそう可愛がり、格別な愛情を注いだ。そのうえ父親ゆずりの美しい顔立ちは、皆をさらに魅了した。
夜眠っていると、南宮樹はいつも悪夢にうなされた。そのため一人で眠りにつくのを嫌がり、大好きなシスター・アンジェラと一緒にいたがった。
彼のほかに、もう一人常にアンジェラにつきまとっている子供がいた。それは井千陽だった。
神民たちは、年端もいかず親を失った井千陽も同様に可愛がったが、井千陽は過剰に関心を寄せられるのが好きではなかった。いつも感情を隠し、アンジェラだけに弱い一面を見せた。
真夜中に二人の子供が小さな枕とブランケットを引きずりながらドアをノックした。一人は目に涙を溜めながら甘えた姿を見せ、一人はうつむき黙って唇を噛んでいる。そんな姿を見たら、アンジェラもドアを開けて彼らを入れてやらざるをえなかった。
アンジェラは部屋に小さなベッドを二つ余分に並べ、井千陽と南宮樹を自分の両脇に寝かせた。二人の子供たちは今ようやく、天使の羽に覆われたかのようにぐっすりと安らかな眠りにつくことができた。
井千陽と南宮樹が八歳を過ぎた頃、アンジェラは、もう一人前の男になったのだから今後彼らと同じ部屋では寝ない、と告げた。
二人の子供が教会に来てからすでに長い時間が経っていた。神民たちは彼らもそろそろここの生活に慣れたと考え、最初の頃のように四六時中彼らを気に掛けることがなくなった。
その時から、南宮樹は突然病気がちになった。
あるときは胸が苦しいと言ったり、ある時は背中が痛いと言ったりして、めまい、発熱悪寒、あらゆる病気が彼の口をついて出た。歩けばさらにいつでも転倒した。
彼が病気だとわめけば、アンジェラは仕事を放り出して彼の世話に尽力し、神民たちもまた彼にあれこれ気を配った。
教会の中で、唯一井千陽だけが南宮樹が転んだときに助け起こそうとしないばかりか、何の慰めの言葉をかけようともしなかった。彼にはとっくに見えていたのだ――南宮樹という人間が、まぎれもなく芝居の名人であることが。
ある晩、井千陽が眠りに落ちかけたとき、ふとルームメイトの南宮樹がブランケットをかぶっておいおい泣いているのが聞こえた。
「一人で寝るのは嫌だよ……シスター・アンジェラと一緒がいいよ……うぅ……」
「君は一人で寝てるっていうのかい?」井千陽が冷たく聞いた。「じゃあ、僕は何?しゃべる枕?」
「うぅ……寒いよ……頭も痛い」
「君はウサギなの?誰もかまってくれないと死んじゃうんだ?」井千陽はとても見ていられず、彼のウソを暴くことにした。「病気のフリをするのは楽しいかい?」
南宮樹はブランケットから真っ赤な顔を出し、どもりながら言った。「ぼ……僕は違うよ……」
「冗談はやめなよ」井千陽は彼に対して容赦しなかった。
「ぼ……僕は寂しかったから、みんなに心配してもらいたかったんだ。いけないの?」南宮樹は大声で言った。
「君が寂しいのは君の問題なんだから、人に迷惑かけちゃダメだ」
「僕のパパとママは人狼に殺されたんだよ!」南宮樹は同情を誘うかのように叫んだ。「今でもまだ怖いんだ。だからみんなもっと僕をかわいそうに思って、もっと僕を大事にして、もっと僕をかわいがってほしいだけなんだ。それもいけないの?」
「僕も同じだよ。それの何がそんなにかわいそうなんだい?」
「同じじゃないよ、僕は君みたいに血も涙もなくないよ!」
「なんだって?このバカ樹!」「バカって言ったな!」「君はバカさ!」「僕はバカじゃないよ。ママが僕はおりこうさんだって言ってたもん。この無表情な奴!」
二人の子供は大声で罵り合った後、ベッドから飛び降りて取っ組み合いを始めた。
井千陽が南宮樹の腹にキックを入れ、彼は痛さのあまりうめき声をあげた。続いて南宮樹が井千陽の顔にパンチをお見舞いし、彼に鼻血を出させた。
「ご……ごめん……」井千陽が血を流しているのを見て、南宮樹はパニックになった。「わ……わざとじゃないよ。……ううぅぅぅ……千陽……千陽死なないで!」
そして南宮樹は井千陽に飛びついて、彼を抱きしめながらわんわん泣き始めた。
井千陽は彼を振りほどくのに苦労した。涙と鼻水とよだれでぐしゃぐしゃな南宮樹の顔を見たら、怒る気も失せてしまった。
しばらくして鼻血が止まった後、井千陽は不機嫌そうに言った。「僕は……血も涙もないわけじゃないよ。僕だってパパとママが恋しくて、昨夜こっそり泣いたばかりさ」
「えっ?」
「パパとママが死んですごく悲しかった。でも僕は自分をかわいそうだと思ったことはないよ」井千陽は小さな声で言った。「二人は僕がみじめに生きていくために自分を犠牲にしたんじゃないからね」
その話を聞いて南宮樹はうつむき、押し黙った。
「これからはもう病気のフリなんかしちゃダメよ。かわいそうだなんて思われなくていいんだよ」井千陽はきっぱりと言った。「君が何度転ぼうが、僕は助け起こさない。自分で立つんだよ。」
「千陽……カッコいいなぁ」
「とりあえずさっさと寝よう」
「あのさ……僕病気のフリはしたけど、転んじゃうのは本当だよ!まぁ、たまにはフリをすることも……」
「早く寝なよ」
「あと、あと、本当はね、相手を選んで病気のフリをしてたんだ。僕だって誰からも心配されたいって思ってるわけじゃないんだよ。僕はただ――」
「早く寝ろ!」
*****
「千陽があの時ああ言ったから、俺はそれ以降病気のフリをしなくなったんだ。でも、よくすっ転ぶことだけは変えられないんだけどな」南宮樹は軽く微笑んだ。「お前は助け起こさないって言ったけど、たまには例外もあったよな」
「もうそんなマネはしない」部屋の中から冷ややかな声がした。「僕は君に近づくことすらしない」
「なんでさ?」南宮樹が尋ねる。
「首に穴を開けられて、全身の血液を吸い尽くされたくなかったら、僕には近づかないことだ」
南宮樹はためいきをついた。「やっぱりあのことでへそを曲げてるんだな」
「今でも、僕は……君の血を吸いたいと思ってるんだ」部屋の中の声が震えを帯びた。「僕は……人狼と同じようなバケモノになってしまったんだ」
「お前を助けるためなら、数リットルの血はくれてやるよ。どうせ魔女なんだから、血を流すのは日常茶飯事さ。俺が心配なのは、俺の血がお前にとって毒にならないかどうかってことだけなんだけど、問題はなさそうだな。
それと、お前はバケモノなんかじゃない。あの時お前が翼を広げて飛ぶ姿は、俺には天使が降臨したように見えたよ」
南宮樹は軽い口調で話していたが、次第にシリアスな口調になっていった。
「ここ数日、あの狼魔が言ったことをずっと考えてたんだ。俺が知る限り、人狼っていうのは悪いヤツで、人を食うバケモノで、人間にとって不倶戴天の敵だ。
でもあの狼魔は人狼を殺した俺たちを許して、俺たちを兄弟と見なすと言った。その時にはっきりとわかったんだ。俺の人狼に対する認識は本当に浅はかで、そのほとんどが間違っていたんだって。」
部屋の中からは何の音もしなかったが、井千陽がじっくり耳をすまして聞いているであろうことを南宮樹は感じていた。
「人狼のことはまだそんなに分かっちゃいないかもしれないけど、千陽のことはわかってる。お前が吸血鬼だろうが人狼だろうが、あるいはそれ以外の人間じゃない生物だとしても、お前はお前であって、無表情で、毒舌で、強くて優しいって知ってる。だから俺のお前に対する態度は、お前が何であろうと変わったりはしないよ」
井千陽は結局ドアを開けなかった。南宮樹は外で待ちくたびれ、そのまま廊下で寝てしまった。翌日目を覚ますと、南宮樹は体の上にブランケットがかけられているのに気づいた。そして、淡々とした声が彼に告げた。
「学校に遅れるぞ」
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