第二夜:神民(3)また塩と砂糖を間違えたな

「ミラーズシティの皆さん、おはようございます。昨晩は二十六名の市民が人狼に殺されました」

 今朝のニュースはミラーズシティ全体を騒然とさせた。

 ここ十年間、ミラーズシティの狼殺率は極めて低い。市民は人狼に殺されるよりも、車にかれて死ぬほうが心配だ。

 これまで、たとえ市民が夜に人狼に殺されても、死者は多くても二、三名を超えなかったので、二十六という数字は確実に人々を大いに震撼させた。

 大通りから小さな路地まで、全ての市民がこの事件の話題で持ち切りになり、しばらくの間、戦々恐々とした。

 安平高校一年C組の教室では、このニュースもホットな話題になった。

「現場は青松里の違法クラブらしいぜ。麻薬レストランと呼ばれている『クレイジーウルフ』という名前の店だ」

「叔父さんが警察なんだけど、実際の死者は二十六名を大幅に超えて、少なくとも五十名って言ってたぞ。その人たちは人狼に殺されたんじゃなくて、爆発事故で死んだらしい」

「うちの母さん、ニュース見てびっくりしてさ。これからは夜に外出するなだって、うぜえ」

 このニュースを見た後、林若草は心配でいてもたってもいられなかったが、心配していたのは社会の治安だけではなかった。

「なんで市民がこんなに死ぬのよ?神民は私たちを守ってくれるんじゃなかったの?何もしてないんじゃないの?」

「死者の中に神民も含まれているらしい。自分たちさえ守れないのに、私たちを守れるわけないじゃん。本当、役立たずなんだから」

「神民だって頑張っているのよ、そんなこと言わなくてもいいじゃない?」

 神民への批判が聞こえた林若草は思わず彼らを擁護すると、納得いかないという視線が集まった。

 林若草が教室の後ろを見ると、井千陽と南宮樹の席が空いている。

 ——二人とも遅刻?休み?それとも……色んな考えが林若草の脳内を駆け巡った。

 始業のチャイムが鳴ると、担任の顧逸庭が教室に入ってきた。普段は落ち着いた表情だが、今日は少し厳しい表情だった。

「皆さん、既にニュースでご存知かと思いますが、昨夜、首都区で人狼による深刻な殺人事件が発生しました」顧逸庭は深刻な表情で言った。「この事件の発生を受け、学校はしばらくの間、放課後の活動を禁止します。皆さん、放課後は街中をぶらぶらせず、必ずすぐに帰宅してください。違反者は罰則の対象になります」

 担任の話を聞いて生徒たちは騒然とした。

「こんな話を聞きたくないことはわかっています。ですが、これは皆さんの安全のためです。あなた方だって新聞の一面を飾りたくはないでしょう?」顧逸庭が微かに苦笑した。「それと、井千陽くんと南宮樹くんが風邪でお休みです。委員長さんは二人の宿題を取っておいてくださいね」

 二人が共に休みを取ったことを聞くと、林若草は内心不吉な予感がしたが──本当に風邪であればいいと思った。


「千陽、阿樹、入るよ」

 シスター・アンジェラがノックしてから、教会基地の医務室へ入ってきた。

 ベッドが二台並んでいる。井千陽と南宮樹はそれぞれベッドで横になっている。

 井千陽のベッドは布カーテンにしっかり囲まれていて、まだ寝ているようだが、南宮樹は既に目を覚ましていた。数日前、ナイトクラブ『クレイジーウルフ』で爆発事故が発生し、その場にいた神民と市民が被害に遭った。

 市民側の死傷者数は深刻で、神民側も二名が焼死した。人狼に殺された神民も含めると、神民の死者数は十名だ。

 井千陽の傷は中等で軽傷に近い。魔女の薬を塗り、医療班の高度な治療を受けたから、容体は既に安定している。

 魔女である南宮樹は、本来強力な治癒能力を持っているが、普段の生活に戻れるにはしばらく休養が必要だ。

 人狼の身体は異常に強靭だから、爆発を食らっても死ぬとは限らない。調査員はナイトクラブの廃墟で数名の人狼の死体と残骸を発見したが、頭目のザナイと大半の人狼は恐らく逃走に成功した。

「お粥を作ったわ。お腹がすいたら食べてね」

 アンジェラは熱々のお粥二人分をテーブルの上に置いた。お粥は絹のように滑らかで、表面にはネギと砕いたピーナッツが散りばめられ、放たれる香りが食欲をそそった。

「ありがとう、シスター・アンジェラ」南宮樹が感謝しながら、「後で食べるよ」と言った。

「あなたは元気みたいだから、安心したわ」アンジェラが安堵して言った。「学校には私がお休みを取ったから、安心してゆっくり休んでね。色々考えたらだめよ」

 南宮樹が頷いた。

「では、私はこれで。困ったことがあったら私に言ってね」

 アンジェラが医務室を去ろうとしたとき、南宮樹が彼女を呼び止めた。

「シスター・アンジェラ、あの……」南宮樹が言いよどみ、「昨夜、人狼を全部仕留めることができなくて……ごめん」と言った。

「人狼退治はうまくいかないこともあるわ。あなたたちは全力を尽くしたのだから、謝る必要はないわ」アンジェラがそう慰めた。

「でも、俺たちが失敗したから、人狼に逃げられてしまった」南宮樹がうなだれた。その言葉は後悔で満ちていた。「俺たちは助けに来た他の神民も巻き添えにして……挙げ句の果て死なせちまった」

 アンジェラは軽くため息をつきながら、椅子を持ってきて、南宮樹のそばに座った。

「神民になったその時から、私たちは殉職を覚悟しているわ」

 アンジェラは優しくこう言った。

「一部の神民が冗談で言ってたんだけど、教会が墓地の下に建てられている原因は、私たちが半ばお墓に入っているんだって。彼らを殺したのは人狼、あなたたちではないわ。だから、自分を責めないこと、いいわね?」

「でも……俺たちがあのナイトクラブに行かなかったら……」

「だったら、他の神民がザナイと他の人狼の退治に向かっていたわ。これは、本当にあなたたちのせいじゃないよ。いい?」

 それでもまだうなだれていて、辛そうな南宮樹の様子を見て、アンジェラは少し黙ってから、「実は、私が人狼を退治していた頃も……今回のような事はあったわ」と言った

 南宮樹が少し顔を上げた。

「私はあなたたちと一緒よ。子供の頃、人狼に両親を殺されたの。私はある神民に助けられて教会に連れてこられたわ。そのときの神民が今の長老よ。教会で育った私も、若いうちに神民になった」

 アンジェラはゆっくりと話を続け、追憶しているような目をした。

「その頃の私は若くて血気盛んで、復讐に心が支配されていた。両親の仇をとるために、全ての人狼を殺そうと、それだけをずっと考えていたわ。

 ある人狼退治の任務で、私は人狼の罠にかかってしまって、教会は私を救うために十名の神民を派遣したの……結果、九名の神民が二度と帰ることはなかったわ。ただ一人の神民が私を救出して難を逃れることができた。

 戻ってきた私は毎日自分を責めて、最後は体にダイナマイトを巻き付けて、人間爆弾として人狼を巻き添えにして死ぬつもりだったわ」

 南宮樹はそれを聞いて怪訝そうな表情をした。アンジェラは自分が子供の頃から穏やかで優しい人で、失敗した姿を見たことがなかったから、少女時代の衝動的な一面を想像できなかったのだ。

「だけど、私を救ったあの神民が私を止めたの。彼は私にそう言った。今日から君は人狼の魔の手からより多くの市民を救うのだ。十人、二十人、三十人……これ以上救うことができなくなるまでだ。一番良い罪滅ぼしは殺すことではなく、救うことだ。救う対象にお前自身も含まれていた」

 話し終えると、アンジェラは少し間を開けて、息を吸ってから告げた。「その神民は一人の魔女で……あなたの父親よ」

 南宮樹は思わず目を見開いた。

「あなたのお父さんは私より年上だったから、私にとっては兄のような人で、私たちは家族のようなものだったわ。あなたの姿に、彼の面影が見える……本当に、よく似ているわ」

 アンジェラは南宮樹の顔をじっくり見ながら、懐かしそうな表情で話した。

「わかるわ。気持ちが落ち着くまで時間がかかる。それは自然なこと。自分に無理させないであげて」アンジェラが付け加えた。「それと、人狼との接触が多くなるほど、気が付くかもしれないわ。人狼も人間と同じく、複雑な群れを形成していることがあって、一概に論じることができないわ」

「ということは……人狼の中にもいい奴がいるかもしれないってことか?」南宮樹が聞いた。

「その答えは、自分で見つけたほうがいいわ」アンジェラが微笑んだ。「私自身の考えを直接伝えることもできるけど、あなたが自分で答えを見つけることは、もっと有意義なものになるの」

「だったら……親父はどう思ったんだろう?」南宮樹は迷いが帯びた口調で言った。「人狼に殺された親父が……人狼にいい奴がいるなんて思わないんじゃないか?」

 アンジェラの表情が急に硬くなり、少し黙ってから、辛そうな口調で言った。「その質問に……私は答えられないわ」

 アンジェラは立ち上がると、南宮樹に涙を見せないように振り向いた。

「千陽、起きていたのはわかっているわ。さっき私が阿樹に話したことはあなたにも当てはまる話よ。あなたは時折思い詰めることがあるから、あまり自分を追い詰めちゃだめよ」

「うん……」カーテンの向こうからどもった声が聞こえてきた。

 アンジェラはにっこり微笑むと、医務室を去っていった。

 彼女が去った後、井千陽はカーテンを開いてベッドを降りた。

「食うか?」

 南宮樹が微笑みながらテーブルの上に置いてある熱々のお粥を指すと、井千陽が頷いた。

 二人はテーブルのそばに座り、お粥を少し口にした後、如何ともしがたい表情をした。

「また塩と砂糖を間違えたな……」井千陽が呟いた。

「この甘さ、キッチンにある砂糖を全部使ったのかよ?」南宮樹が苦しそうな表情で聞いた。

「不味い……」

「だな」

 それにもかかわらず、二人の少年はパクパクとお粥を完食した。

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