8-3 「だがあなたは昨日までの自分のレプリカでもない」
安卓未は辛うじて動かせる筋肉で目を丸くして七、八秒ほどの沈黙を経てから、「こんな繊細な工作……こんなに身体の動きを制御しなければいけないことはできるわけがありません。もっとほかにないでしょうか」と慌てふためいた顔で言った。
「ない」
「もっと上質な物を用意いたします。金や銀を用いたり、ブルーダイヤモンドやあらゆるあなたのお気に入りの宝石を嵌めたものも用意できます」
「いいや、これがいいんだ」
冀楓晩は安卓未が文字を出力する前に俯き、片手で彼の枕の傍を押さえて、至近距離で痩せ細った青年を睨み付けた。
「できなければ、手術を受けて神経を治せ」
安卓未は愕然として、半分間ほど経ってからようやく唇を小刻みに震わせてモニターを通して叫んだ。
「手術は受けられません。今受けたら死んでしまいます。死んだらあなたに贈るアンドロイドも完成させられなくなります」
「今すぐにとは言っていない。体の調子を整えてからでいい」
「整えていても七割の確率で死んでしまいます!」
「じゃ死なないように努力しろ」
「死は努力ではどうにも……」
安卓未の言葉はここで途切れた。冀楓晩の口角ががくがくと震えていて、目に宿っていた氷にヒビが入り、沸き返った感情が露になっているのを見たからだ。
「死なないように努力しろ」
冀楓晩は繰り返して言った。しかし今回は語尾が震えていて、彼自身もそれに気づき、歯を食いしばって起き上がり安卓未に背を向けた。
「楓晩さん?」
「……」
「具合が悪いのですか?」
「……」
「お医者さんをお呼びしましょうか?」
「……」
「楓晩さ……」
「誰も呼ぶな」
冀楓晩は病床側の椅子を掴んで、九十度回って安卓未に背を向けた体勢を維持したまま座り、顔を伏せてぽつりとこう言った。
「カッとなった後感じたのは、恐怖だった」
「私があなたを怖がらせたのですか?」
「そうだ」
冀楓晩は肘を足に押し寄せ、指を組んで額に当てて陰に潜んで声を落として語った。
「あなたが人間だったなんて……人間なんて……よりにもよって人間だったなんて」
「すみません」
「人間は弱いんだ。老いたら死ぬし病気にかかったら死ぬし事故に遭ったら死ぬんだ、人間は……」冀楓晩は嗚咽をこぼし、目を閉じてなんとか平坦な声で言った。「ちょっとしたことで永遠に消えてしまう生き物なんだ。しかもその中であなたはもっとも弱く、儚く、生死の境をさまよっている部類だ」
「すみません」
安卓未は少し肩を落とし、スピーカーの音量をあげて強調した。
「確かに私は弱いですが、私、希兄さんそして薪火と一緒に作ったアンドロイドはちっとも弱くありません!すごく丈夫で、完成させればきっと一生あなたの傍に付き添えるんです!」
「だがあなたにはできない」
「だからあなただけのためにアンドロイドを作って、永遠に共にいさせるんです」
「だがそれはあなたではない」
「彼は私の見た目、すべての記憶と私と全く変わらない性格を持つんです!」
「だがそれはあなたではない」
「彼は私と限りなく似ていながらも、私より強く、よりあなたを守れるんです!」
「だがそれはあなたではない」
「彼は世界中で最も優秀なアンドロイドになるんです。あなたもきっと気にい……」
「だがそれはあなたではないんだ!」
冀楓晩の声は機械音声を遮るほど上擦り、額が指の関節に重くのしかかり、明らかに震えを帯びた声で言った。
「まだわからないのか?僕はアンドロイドなんて要らないんだ。このアンドロイドが優秀だろうが無能だろうが、あなたと瓜二つだろうが似ても似つかぬだろうが要らないんだ。僕が必要としているのは……欲しいのはあなたなんだ!」
冀楓晩に返事をくれたのは静寂だけだった。安卓未は病床の上で目を丸くし、しばらくの間文字を出力できなかった。
「あなたが欲しいなんだ……」
冀楓晩は声が弱まり、背を曲げて小声で言った。
「塩の塊のようなオムレツを出してきて、また塩加減を見るために卵を無駄にするあなた。傘を持って僕を探しに飛び出て、そして雨の中で踊り出すあなた、打ち切られた小説でひっきりなしに泣いた後、僕の服を選んで喜びのあまりに跳ね上がるあなた。バイキングとジェットコースターでビビり散らかして僕に抱きつき、それから大勢の人が見ている中で僕と一緒にわんわんと号泣するあなたが欲しいんだ」
「……」
「もし本当にあなたがアンドロイドだったら、お金や代価をいくらでも払って買ってやる。しかし……」
冀楓晩は手を緩めて、今度は自分の髪を掴んだ。
「あなたは人間だった。こんなにも病み散らかしていて、スピーカー、モニターやアンドロイド人形がないとろくにコミュニケーションをとれない生きた人間だった」
安卓未は冀楓晩の後姿をじっと見つめて七、八秒ほど経ってようやく文字を出力した。
「私の作ったアンドロイドは私の記憶、性格と見た目を継いでくれます」
「だがあなたは昨日までの自分のレプリカでもない」
冀楓晩はほとんど椅子の上でうずくまるように屈んでいた。
「それに僕はもう『小未』があなたではないと知っていたんだ。いくら安科でも人間の記憶を抹消する技術は持ち合わせていないだろ」
「……」
「いや、たとえ知っていなくても、『あなた』があなたじゃなくなったあの日が来たら僕もすぐにわかる。披露試写会のときのように。その時は誰が街で僕と一緒に号泣するというのか?」
「……」
「生きるんだ、小未」
冀楓晩は掠れた声で言った。
「僕とアンドロイドなんてもうどうでもいいんだ。体の調子を整えて、必死に生きていくんだ」
安卓未の口は少し開けてからまた閉じて、何度も繰り返してからようやくモニターを通して言った。
「しかしアンドロイドの家事補助機能をなくしては、塩の塊のようなオムレツさえ作れないんです」
「家事は僕がやる。もともと僕が担当していることだし」
「私はもうあなたが好きなあの姿じゃないんです。三つも年取って、痩せ細っていて、髪もない」
「あなたの十八歳バージョンが好きなのであって、あなたの体だけが好きなわけじゃない」
「もし私が手術に耐えきれられなかったら、あなたに付き添うはずのアンドロイドを完成させることもできなくなります」
「アンドロイドなんて要らない。そしてもしあなたが手術に耐えきれなかったら……」
冀楓晩は胸がきゅっと疼き、しばらく経ってから掠れた声で言った。
「あなたの葬式で気絶するまで泣いてやる」
「そんな!」
「それがどうした?もともと葬式というのは遺された者に感情を発散させるための儀式なんだ」
冀楓晩は椅子に掴まって立ち上がり、振り向いて涙の跡がついた青白い、しかし譲歩何一つない顔を見せた。
「家族の葬式では感情を殺し、場所柄をわきまえた喪主を演じていたが、よく考えるとそんなのちっとも意味がないとわかったんだ。身近な、大切な人たちが死んだんだぞ。泣き喚いて当然だ。本当に僕と僕の家族に気をかけている人間はそれで僕を見くびったりしないし、気をかけてない人間がどう思っているのかはそもそも気にする必要はない。
それから僕は『葬式で悲しんでいたら死者が安心してあの世へ行けなくなる』なんて信じるタチでもない。行けないなら行かなきゃいい。みんなこぞって棺から這い上がるといいんだ」
安卓未は口を半開きにし、愕然しつつ渋々といった体で文字を出力した。
「でもあなたを泣かせたくありません」
「じゃあ手術に耐えきることだな」
冀楓晩は椅子を引っ張り、病床の前に立ち今にも泣きそうな声でぽつりと語った。
「六か月後の手術とその後についてくるさまざまなリハビリに耐えきれ。苦しい目に合おうが諦めずに耐えきるんだ。僕を一人にするな」
安卓未は少し顔を上げ、冀楓晩の涙のかかっていた顔を見上げた。明るく大きな目は毅然となっていき、しばらくの沈黙を経てから、「努力します」との文字を出力した。
冀楓晩は振り向いてからずっと握り締めていた手を緩めた。この痩せ細ってやつれているが、前にオムレツ作ったり、ゲームの敵を倒したり、言い寄ろうと自分の足に這い上がったりして、困るほど情熱で意志の固い青年に目を据え、屈んで手を伸ばしその頬を撫でた。
それから冀楓晩は安卓未がはてなを出力する前に、涙の跡がついた顔に笑みを浮かべた。
「本当に触った……感じた。本物のあなたの触感と体温は……直に伝わってきた」
安卓未はしばらく呆気にとられた。少し違ったが、これは二人が初めて出会ったころ自分が冀楓晩に言った言葉だったことを気づいていた。安卓未は数回瞬きをして、透き通った大粒の涙が溢れ出した。
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