第六章 アンドロイド人形の真相Ⅰ

6-1 二時間から一日という長い時間を乗り越えるため、彼は頭の中にアンドロイドの甘い笑顔を想像しなければならなかった。

 冀楓晩と小未が乗ったタクシーは素早く道路を走り、三十分以下にかけてオフィス街にある安科グループのメンテナンスセンター旗艦店に到着した。

 メンテナンスセンターはガラスカーテンウォールを採用した十階建ての建築物で、朝の光を浴びると巨大なクリスタルコーンのように見える。しかし、冀楓晩はそれを鑑賞する余裕がなく、小未を背負って車から降りると入口へ走り向かった。

 正面玄関を入ると吹き抜けのロビーであった。ロビーには客はおらず、わずか数台の清掃ロボットだけが大理石の床の上で回転している。冀楓晩はロボットたちを避けてカウンターに直行した。そして、受付が口を開くのを待たずに、直ちに「うちのアンドロイドは全面検査が必要です。すぐに手配して頂けますか?」と言った。

「そうですね……今メンテナンスルームは三つが空いており、担当のエンジニアさんも出勤しておりますので問題ありません!お客様のアンドロイドを搬送用ベッドに置いてください」

 受付は冀楓晩の右側を指さした。病院用のベッドに似ているが、ベッドの先端にエンジンが搭載されており、自ら移動可能な合金製のベッドがあった。

 冀楓晩は小未を合金製のベッドに置かせ、ベッドがアンドロイドを自動的に固定するのを見つめ、受付のほうを向いて、「結果はいつ出ますか?」と尋ねた。

「モデルと故障の程度によりますが、おそらく二時間から一日かかると思います。結果がわかり次第すぐに連絡させていただきますので、連絡先を教えていただけないでしょうか?」

「ここで待ってもいいですか?」

「それは構いませんが、先ほどお話しさせていただいた通り、結果が出るまでに最低でも二時間を要します」

「何時間でも待ちますので、故障の原因を先に教えてほしいです」

「エンジニアにお伝えいたします。ではオーダーフォームにご記入の上、西側のカフェでお待ちください」受付はフォームの記入ページを映っているタブレットを差し出した。

 冀楓晩はすぐに自分の名前、電話番号、住所、故障状況の簡単な説明を入力した。そして、合金製のベッドが小未を運び去ることを見送り、相手の姿が見えなくなってから向きを変えてカフェに行った。

 メンテナンスセンターのカフェは数台の自動販売機がある無人店舗で、冀楓晩はそこでコーヒーとサンドイッチのセットを買った。そして、プラスチックのトレーで食事を運んで窓辺の席に着いた。彼は雲一つもない澄んだ空を眺めながら、肩を下ろして深い息を吐いた。

 彼は修理に出すことが修復に等しいであると甘く考えてない。小未の故障は回復不能になる可能性があり、アンドロイドを強奪した正体不明の人物がバックアップデータまで手に入れている可能性がある。いずれにしても、安科のエンジニアは文系の彼よりも頼れることに違いないし、メンテナンスセンターの専門的な設備も充電スタンドよりも優れている。

 ──お願いだから、小未を直してください。小未に戻らせるなら、修理費がいくらでも支払う。

 冀楓晩はサンドイッチを噛みながら心の中で祈った。突然、悪夢の中の火災の光景が頭に浮かび、指先が震えて食べ物を落としそうになった。

「それは違う、今とは違う。それは変えられない過去、今は……二時間。早くて二時間と一日で小未が戻ってくる」

 彼は独り言を言いながら、小未がカウンターから飛び跳ねて来て、自分を抱きしめて、「楓晩さん、家に帰りましょう!」と嬉しそうに言う姿を想像した。

 それはあまりにも素敵な空想で、悲観主義者である冀楓晩は、通常このような空想を避けている。なぜならば、期待が大きければ大きいほど、失望も大きくなるのだ。しかしこの時、二時間から一日という長い時間を乗り越えるため、彼は頭の中にアンドロイドの甘い笑顔を想像しなければならなかった。

 冀楓晩はコーヒーとサンドイッチをゆっくりと呑み込み、最後の一口を呑み込んだ時、耳からハイヒールの急ぎ足音が聞こえ、顔を向けると、受付が自分に向かって走ってくるのが見えた。

「冀さ……ああ、まだここにいて本当によかったです!」

 受付が冀楓晩の前に駆け寄り、彼が質問する前に、「申し訳ないですが、VIPフロアに移動していただけないでしょうか?」と言った。

「ここのカフェはもうすぐ閉店時間ですか?」

「いいえ、ただ冀さんのことですが……お客様の状況は特別なので、上長がそれを知った後にお客様を歓待するよう指示をいただきました」

「ありがとうございます。でも要らないです。カフェは居心地が良いと思います」

「でも、VIPフロアのほうが快適です。そこのテーブルと椅子は全て百年歴史のある有名ブランドで、バリスタ、バーテンダー、シェフもいます」

「ありがとうございます。でももうお腹いっぱいですし、椅子にもこだわりません」

「えっと……」

 受付は悩んでいるように眉をひそめ、冀楓晩のやつれた顔を見て、ひらめいてこう言った。「VIPフロアはメンテナンスルームに繋がることができます。検査結果を即時に伝えることができるだけでなく、エンジニアさんがメンテナンスを行うプロセスも見ることができます」

「そこへ連れて行ってください」冀楓晩は一秒で立ち上がった。

 受付は明らかに安堵のため息をつき、「ここへどうぞ」と言った後、冀楓晩をカフェから連れ出し、エレベーターに乗り込んでメンテナンスセンターの最上階にあるVIPフロアへ行った。

「このフロアでは飲食は無料です」

 受付は冀楓晩を円弧状のセルフサービスバーを通って一番奥の席にたどり着いた。テーブルを軽く叩き、タッチパネルを上げてこう言った。「タッチパネルでメンテナンスルームの状況を見ることができますし、シェフに食べ物をオーダーすることもできます。何が需要ありましたらメッセージを送っていただけますと優先的に対応させていただきます」

「小未がいるメンテナンスルームの画面だけが必要です」

「それではここにメンテナンスルームのコード『三○五』を入力してください……入力完了です」

 受付がパネル右下の『入力』ボタンを押すと、画面に銀灰色の部屋が現れ、部屋の真ん中には小未を固定した合金製のベッドがあった。右側には機器が並んでおり、白服を着たエンジニアが三人いた。

 冀楓晩は白服のエンジニアを見て眉をひそめて尋ねた。「検査修理の時にいつも三人でやりますか?」

「通常はエンジニアさん一人だけで担当しますが、冀様が連れてきたアンドロイドは……比較的に繊細なので、三人が必要です」

「故障がひどすぎるからではないのですか?」

「これについては恐れ入りますが、お答えできかねます。検査報告をお待ちください。他に用事がなければ、一階のカウンターに戻りますので失礼致します」

「僕はここで大丈夫です」

 冀楓晩は画面を見つめた。ハイヒールの足音が徐々に消えていくことを聞こえ、VIPフロアにメロディアスなカフェミュージックだけ流れており、彼の注意力はさらに画面に集中した。

 彼は自分がどれだけ画面を見つめていたのかわからなかった。でも向かい側からノックの音が聞こえて、彼をメンテナンスルームから現実に引き戻した時、彼は長時間同じ姿勢をしていたせいで肩と首は凝っていて痛かった。

 しかし、冀楓晩は首を回して肩を緩めなかった。彼は自分の前に一人の男性がいることに気づいたからだ。

「すみません、邪魔するつもりはなかったのですが、こっち全く気付かなかったので、仕方なく……」

 男はテーブルをノックした。彼は笑みを浮かべ、顔立ちは端正で色白だが、瞳孔は池の底のように深く、オーダーメイドのスーツに包まれた体はスラリと上品で、私服で遊びに行く貴族の息子のようだ。

 これはゲイの冀楓晩が二度見してしまう男である。しかし今日の彼はそんな気分ではなかったので、すぐに視線をメンテナンスルームに戻して言った。「他に空いているスペースがあります」

「わかっています。あなたに会いに来ました」

「そんな暇がないです」

「あなたが連れてきたアンドロイドに関することでも?」

 冀楓晩は肩を震わせて顔を上げ、頭からつま先まで『エリート』という文字が刻まれている男を見て、眉をひそめて、「あなたは安科のエンジニアですか?」と確信できないように尋ねた。

「いいえ。アンと申します。安と呼んでください。僕は……一応安科グループの企業法務です」

「企業法務?アンドロイドの修理を委託するには法的な問題が絡んでくるんですか?」

「たまにありますが、僕はここにいる理由は修理とは何の関係もありません」

 その男──安さん──顔を斜めに向いて微笑み、スマホを取り出してこう言った。「まず、冀さんがとても気になっているが、僕がここに来た意図とは何の関係もないことを伝えておきますね。あなたが修理に出しているアンドロイドの全面検査が完了しました。全ての数値が正常値内にあり、故障は全くありません」

「今朝彼は何の予告もせず急にシャットダウンしました。しかも正体不明の人物に人格を変えられました。」

「あなたを疑うつもりはありません。ただ当社のエンジニアの結論を伝えているだけです。ロックを解除できずスキャンできないゾーンを除いて、そのアンドロイドの状態は良好です」

「じゃあ、ロックが解除できないところで故障したのです。処理できますか?」

「弊社のエンジニアはそれに取り組んでおります。それも僕がここにいる理由です」

「どういうことですか?」

「送って頂いたアンドロイドの機種ですが、当社の型番ではAAX005となります。Aはコンパニオンアンドロイドを表して──エンジェルの頭文字です。AXは機種のシリーズ名です。005はソフトウェアのアップデートバージョンです。そして、当社の最新機種のコンパニオンアンドロイドの型番はAY900です」

「何を言いたいですか?」冀楓晩は眉をしかめた。

「僕が言いたいのは……」

 会話が止まって、安さんはお茶を一口飲んでから、スマホを置いて手を組んだ。そして、彼は真っ黒な瞳で冀楓晩をまっすぐに見つめて、「あなたが送って頂いたアンドロイドは当社今年の初めに新発売したアンドロイドよりも二世代進んでいます。しかもこの型番のアンドロイドまだ量産しておらず、販売実績もありません。あなたはこのアンドロイドをどこで手に入れたのですか?」と聞いた。

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