5-4 これは恋に酔うだけではなく、酔いすぎてマリアナ海溝まで沈んでしまったことだった。

「三」

 林有思は三を言うと同時に引き金を引いた。互いにわずか二歩しか離れていなかったため、どんなに下手な射手であっても的を外すことは不可能だったが、電気を帯びるスタンガンの針は小未に接触さえしなかった。

 それは、林有思が引き金を引いた途端に冀楓晩が飛びついたからだ。

 彼は導線に繋がる電極針を小未から遠ざからせるため、林有思の腕に自分の体をぶつけた。そして、念のため、スタンガンの銃口に目がけて手を振り、そこから飛び出た針と導線を払いのけた。

 この二つの行動は瞬く間に起こったので、林有思と小未は全く反応できなかった。玄関の端に落ちた針と導線及び横で麻痺したう腕を押している冀楓晩を見て、彼らは十秒ほど唖然としてから共に叫んだ。

「晩ちゃん、死にたいのか!」

「楓晩さん、怪我をしていませんか?」

 林有思と小未の叫び声が同時に冀楓晩の頭を突き抜け、彼は麻痺していない手で耳を覆い、首を振って言った。「大丈夫、僕は導線に触れただけで、前の針には触れていなかった」

「それに触れたら、地面に落ちているのは針じゃなくて、お前だ!」林有思は青筋を立てた。

「本当に、本当に大丈夫ですか?」小未は充電スタンドを離れ、ふらふらしながら冀楓晩に向かった。

 冀楓晩は小未の腕を掴み、相手の体重の半分を支えて、青白くてパニックに陥った顔を見つめた。そして、今まで二ヶ月の間に泣いたり笑ったりしたアンドロイドとの記憶を思い出した。いつも彼の頭を痛めたが心温まる思い出だった。

「楓晩……さん」

 小未は顔を上げ、強い不安と不自然な間を持って尋ねた。「大丈……丈夫、大丈夫です……か?」

 冀楓晩は黙ったままで小未の腰にもう一方の手を回し、アンドロイドを支え充電スタンドに戻させた。「今日はここまでにしよう」

「何がここまで?」と林有思は尋ねた。

「小未の所有者を追究すること」

「ここまでってするわけにいかないだろう!」

「小未はまだ故障状態に陥っており、銃を向けてもお前の質問にうまく答えることができない」

 冀楓晩は小未が答える前に手を上げて言った。「『だったら、彼を電気機械警察に送ってくれ』って言いたいのはわかるがそれはダメだ。故障が直してない場合、電気機械警察は捜査中に誤って小未のハードドライブを損傷して全ての手がかりを破壊してしまう可能性がある」

「電気機械警察を見下ろしすぎるだろう」

「ただ最悪の事態を想定しただけ」

 冀楓晩は手を下ろして林有思に向かって言った。「とりあえず今日はここまでだ。小未を一晩シャットダウンしてメンテナンスをする。メンテナンスが終わったらあなたの質問に答えてもらう」

 林有思は不服そうに眉をひそめたが、旧友の頑固さは岩中の岩よりも硬いであることを知っている。しばらく沈黙した後、一歩後ずさりすることしかできず、「じゃあ今夜は俺の家に来て……」と言った。

「僕はここにいる」

「ダメ、危なすぎる」

「これは必要な取り決めだ。僕が別のところで一晩過ごせば、小未を贈った人は僕がいない間に小未を回収し、自分の痕跡を消すことができる。だが、僕がここに留まれば、相手が回収しにくると自分の身元を暴露して且つ不法侵入になるだろう。現行犯として警察署に連行していける」

「じゃあ、俺も一緒に……」

「一網打尽にされるよ」

 冀楓晩は林有思のスタンガンに手を伸ばし、「これは僕にください。そして僕は家の監視システムの権限を与えるので、僕と連絡が取れない場合、あるいは画面に何かやばいものを見た場合は警察に通報して」と言った。

「……」

「相手が無理やり侵入する可能性は高くないと思う。だって僕は小未の前に自分の計画を明らかにしたので」冀楓晩は小未をちらっと見た。

 林有思はさらにきつく眉をひそめ、冀楓晩と十秒以上目を合わせてからため息をつき、スタンガンを差し出した。「無茶振りをするなら覚悟しとけ、今日は間違いなくお前を起こしておしっこに行けって死ぬほど電話する」

「お前に暇があればな」

 冀楓晩はスタンガンを受け取り、林有思を外へ送り出した。そしてスタンガンを持って充電スタンドのある場所に戻った。

 小未は充電スタンドに座っているが、その顔はまだ青白くて、ぐったりとしており背中と手足は無力さを示している。小未はいつものように冀楓晩の姿をじっと見つめているが、その目には喜びよりも困惑の方が多かった。

 冀楓晩は小未が困惑する理由を理解している。林有思を送り出すために一連の理由を作ったが、銃撃を止めるために旧友の腕をぶつかった瞬間から、自分の行動は理性と全くの無関係だった。

 しかし、時間が巻き戻ったとしても、冀楓晩は同じ決断を下すだろう。なぜなら、目の前にいた不安や困惑に満ちたアンドロイドは、大雨のバス停で彼と共に号泣して彼にもう一度大笑いや人生のモチベーションを取り戻させた。何があっても失いたくない存在であった。

 たとえ小未の後ろにいる人がなにか不純な動機があったとしても同じだ。

 冀楓晩はスタンガンを横のローキャビネットに置き、しゃがんで小未をまっすぐ見て、「自分を直せるか?」と尋ねた。

「わたし、楓晩……楓晩さ……」

「単語で答えていいよ、明日の朝には正常な状態に戻れるか?」

「はい……」

「なら良かった」

 冀楓晩は手を伸ばして充電スタンドのタッチパネルを軽くタップし、全てのスキャンと修復プログラムを呼び出した。「今夜はゆっくり休んで、明日、君は誰がくれた誕生日プレゼントを教えて」

「えっと……これは、私は……」

「言ったじゃん、明日教えて」

 冀楓晩は小未に軽くデコピンをした。でも彼はアンドロイドが目に涙を浮かべて肘掛けをしっかりと握り締め、次の瞬間に泣き出しそうな姿を見た。彼の心臓は急に縮み上がり、彼は立ち上がって相手を抱きしめた。

「楓、楓……」

「君の購入者が誰なのかわかったら、その人から君を買おうと考えている」

 冀楓晩は腕の中の体が突然震えるのを感じ、小未の頭を撫でて言った。「驚くことじゃないでしょう。君の所有者は有思なら構わないけど、他の人なら君を買わないと安心できない」

「安、安は……」

「君の購入者は誰であれ、君にずっとそばにいてほしい」

 冀楓晩は小未をしっかりと抱きしめた。林有思がそれを聞いたら間違いなく『気が狂ったのか?』、『下半身じゃなくて上半身で考えろ!』、『お前の趣味はそばにいつ爆発するかわからない爆弾を置くこと?』など言葉で自分を攻撃することを想像できるが、さっきの全てを経験した彼は深く悟ったことが一つある。

 相手の購入者は誰であれ、送り出す目的が何であれ、彼は小未が欲しい。腕の中のアンドロイドと共に笑って、泣いて、バタバタしながら落ち着いて人生を過ごしたいと思っている。

 ──これは恋に酔うだけではなく、酔いすぎてマリアナ海溝まで沈んでしまったことだった。

 冀楓晩は心の中で自分を笑い、小未を離してアンドロイドを充電スタンドの背もたれに押した。「明日電源を入れたら、君の購入者とその連絡先を教えて。君の購入者に何もしない、ただ君の所有権が欲しい」

 小未の目には一瞬苦しみが浮かべた。何か言いたいように口を開いたが、一言すら言えずに固く口を閉じた。

 小未の反応について冀楓晩は相手が怖がると解釈した――だって、林有思は数分前に銃を出してアンドロイドを警察に引き渡そうとしたところだった。彼は相手の頭を撫でて言った。「有思について僕が処理するので心配しないで」

「……」

「さて、そろそろシャットダウンして自己修復する時間だ」

 冀楓晩は小未の額にキスした。それで後ずさりして修復プログラムを開始しようとしたが、体が動いた瞬間、小未は彼を掴んだ。

 小未は冀楓晩のトレンチコートを掴み、作家の顔を見上げて口をパクパクしていた。そして、突然声を出さずに泣き始めて、相手の襟に顔を埋めた。

 冀楓晩はびっくりした。数秒間ためらった後、小未の頭や背中に手を置いて、「おいおいおい、有思ってそんなに怖いの?」と言いながら優しく撫でた。

「……」

「彼は怖そうに見えるだけで、実は……優しいわけじゃないけど、見た目ほど凶悪じゃないんだよ」

「……」

「しかも、彼が持っている威力最強のスタンガンは僕にくれたから、次に彼が君にスタンガンを向けたら、僕たちはもっと大きなスタンガンを彼に向けることができるよ」

「……」

「だから、怖がらないで」

 冀楓晩は小未の頭の上に軽く顎を置き、「僕は君を守るんだ。誰にも君を破壊させないよ」と言った。

 冀楓晩の服の襟を掴んだ小未の手はさらに締め付けた。自分の唇を噛んで、沸騰寸前の感情を必死に抑えようとした。

 冀楓晩は服の襟が引っ張られているのを感じただけで小未の顔が見えなかった。彼はアンドロイドの背中を軽く叩いて慰めた。腕の中にいるアンドロイドが手を緩めたのを感じると、彼はアンドロイドを充電スタンドに押し戻した。

「明日の朝食は自分で作る。君は大体……電源を入れるのはいつでもいいよ。君の状態によって決めていいよ」

 冀楓晩は手を伸ばして充電スタンドのスキャンプログラムを起動し、小未に目を向けて、「また明日?」と言った。

 冀楓晩の優しい笑顔を見つめている小未の指先は微かに震えている。そして、彼は目に涙を浮かべながら細い声で「また……明日」と答えた。

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