星空の下で交差する僕らの時間
成井露丸
⌛
運命の出会いというのはあるもので。
その相手が異性ならそれは一目惚れと言うのだと思う。
夜に包まれた深夜の丸太町通りは随分と静かで、ときおり走り抜ける車の音だけが僕の世界で音楽を奏でていた。烏丸丸太町の交差点の赤信号が僕の足を止める。少しお酒が残る頭を後に傾けて、ぼうっと空を見上げる。京都の街にしては珍しい星空が空高くに広がっていた。それを見上げる自分を、斜め後ろから見つめる僕がいる。「それをメタ認知と言うのだよ、少年」そう言った先輩のことを思い出した。卒業して東京で忙しい社会人になった彼女ともう連絡は取れない。僕の童貞なんかに価値はないし、もう何とも思っていないし、なんの望みもないって分かっている。でも自分中心の論理で颯爽と僕のもとを去った先輩をいつか見返したいと思うのは、男子学生としての意地なのかもしれない。
そんなどうしようもないことを考えていた。
だから僕の背中は、その時、とても無防備だったのだと思う。
「――
「わっ!」
背中をポンッと叩かれて、驚いた僕は、声を上げてしまった。
振り返る。立っていたのはパーカーのポケットに左手を突っ込んだ女の子だった。胸の膨らみの上まで前のジッパーを閉めた上着。なんだかカジュアルな雰囲気だ。
右手を開いて明るい――だけど少しだけぎこちない笑顔を貼り付けている。知らない少女だった。――僕が忘れているだけかもしれないけれど。
「――え? ――誰……だっけ?」
「
上目遣いに覗き込んできた少女。その表情を見つめ返す。
高校の同級生だと? 高校の同級生だと? 高校の同級生だと?
「――知らない」
「知らないか〜。私みたいなのは、同級生にいなかったか〜」
宮崎穂乃香と名乗った彼女はそう言って右手を額に押し当てた。
もしも今、僕の隣に、大学の友人たちがいれば「真宮が忘れてるだけなんじゃねーの? こんな可愛い子」だとか言って茶化すだろう。第三者が見たら、僕が彼女のことを忘れているだけと思うかもしれない。
しかし悲しいかな、断じてそれは違うのである。
「いないもなにも、僕の行っていた高校、男子校だしね? ――君、いわゆる、男の娘とかじゃないよね? あと、性転換とか?」
「いや違うし! 私は普通の女の子! あ、LGBT的には、身体女性を普通の女の子とか言ったら、怒られたりするか? ――まぁいいや、別に誰に聞かれてるわけでもないし」
彼女はそう言って、ボブヘアの髪をかき上げると、大きな溜息を吐いた。なんだかわからないけれど、現時点で言えるのは一つだ。――この子、怪しいよね? ――何? 名簿を業者から買った新興宗教の勧誘?
「それはいいけどさ。どうして君は僕の名前を知っているの? それに、――高校の同級生だなんて嘘をついてさ。――こんなこと言うのもアレだけど。――怪しいよ?」
「嘘じゃないよ! 私は孝介くんと、同級生だったんだから。――向こうの世界だと!」
「――向こうの世界?」
京都御苑に向かう方角の信号が青色に変わった。僕らの横の車道を、頭に白いライトを光らせたタクシーがすり抜けていった。
*
それは本当にあった。
京都御苑の北西。子供たちが遊ぶ児童公園の一角。
大きな球形の乗り物は、その入口をぱっかりと開けたまま僕らを待っていた。
「――
「まじかよ」
僕はタラップを上がり、その開いた入り口から中を覗き込む。
「これ、本当に覗き込んでいいのかな?」と思ったりしたけれど、変に口にして、「やっぱり駄目」と言われても嫌なので、あえて何も言わなかった。
「扉、開けっ放しは、不用心じゃない?」
「え、あ、うん。――閉めたつもりだったんだけどなぁ……」
特に深い意味はなくて穂乃香さんによる、ただの「閉め忘れ」だったようだ。まぁ、時々、自宅とか自動車でもやっちゃうよね。でも、
「君はこれに乗ってきたんだ? 宮崎さん――だっけ?」
「『穂乃香』って呼んでよ。――昔みたいにさ」
「昔みたいって言っても、それはイマココの僕じゃないから。――じゃあ、『穂乃香さん』くらいでどうかな?」
「それは、それで、なんだか、むず痒いかなぁ」
そう言うと、彼女は本当にこそばゆそうに体をくねらせた。
烏丸通りを北上して、京都御苑の中に入り、砂利道をここまでやってくる道すがら、彼女は僕に話してくれた。
彼女がこの世界とは異なる
その
――なんかあっさり言ったけど、異星人文明との邂逅って凄くない?
「どう? 凄いでしょ? こっちの世界にはないんだもんね?
「――そうだね」
彼女は慣れた様子で、僕のすぐ隣に立った。指先でボブヘアの髪をかき上げて耳に掛ける。その仕草を横目に見るだけで僕の胸は跳ねた。その横顔を思わず見る。細める目が、どこか懐かしささえ感じさせた。彼女は僕の同級生なんかじゃないのに。それなのに彼女とこうして隣りにいると、それがとても馴染んだ。当たり前のことに感じられた。
「やあ、久しぶり」――そんな言葉を交わす相手みたいに。
出会うことが、当たり前だった相手みたいに。
「
「そうだよ。――あ、穂乃香って呼んでくれた!」
「まぁ、呼んでも減るもんじゃないし、いいかなって思ってさ」
「あはは。なんだかそれ孝介くんらしい!」
彼女はそう言って肩を震わせた。目尻に涙を浮かべながら。
公園の街灯の光に照らされて、眦から水滴が小さく零れるのが見えた。
その意味を「笑った拍子に溢れた涙かな?」くらいに思った。
「
「なんだそりゃ? タイムマシンの意味ないじゃん?」
「うーん、まぁ、そうなんだけどね。それでも価値がないわけじゃないから」
穂乃香の説明によると、
だから彼女は僕と同い年で、僕と同時代の女の子なのだ。
「それでそっちの世界で僕は――真宮孝介はどうしているの? 元気にしてるの?」
何気なくそう尋ねると、彼女は弾かれたように顔を上げた。
そして唇を噛むと、両手をパーカーのポケットに突っ込んだ。
俯きながら
俯いた彼女は、しばらくして言葉を絞りだし始めた。
「あんまり言いたくないんだけどね。違う世界線の孝介くんに言うことじゃないんだけどさ――」
なんだかちょっと嫌な予感がした。
向こうの世界の僕は、彼女を傷つけたのだろうか?
どこか辛そうに、遠くの闇に目を細めた穂乃香の横顔を、隣に見る。
「――死んだんだ。向こうの世界の君はさ。突然、交通事故にあっちゃって」
その言葉に僕は深く溜息を吐いた。それはどこか安堵の溜息だったのかもしれない。別の世界線で死んだ自分の話を聞いて、安堵もなにもあったものじゃないけれど。安堵の溜息なんて彼女には申し訳ないし、そうと気付かれたら怒らせるかもしれないけれど。
向こうの世界の僕が、彼女を裏切ったり、傷つけたのじゃなくて、良かった。ただ自分勝手に、僕はそう思ったのだ。
「そっちの世界では、僕と君は付き合っていたりしたの?」
「――うん」
穂乃香は、ゆっくりと頷いた。
僕が女の子を下の名前で呼び捨てにする。
そんなことは恋人同士でもない限り、考えられないことだから。
「あのさ。勝手な感想を言ってもいい?」
「――何?」
僕の言葉に顔を上げた彼女の瞳はやっぱり潤んでいた。
彼女がさっき笑った拍子に見せた涙は、ただの「笑い泣き」なんかじゃなかったとこの時になって僕は知った。あれはこの世界に生きている僕を見て、溢してくれた涙だったんだと。
「そっちの世界の僕は、きっと幸せだったんだと思うよ。君と出会えて。君と恋人同士になって」
「――なによ。――私の世界の孝介くんのことなんて、――何も知らないくせに」
そう言って彼女は唇を尖らせた。
運命の出会いというのがあると人は言う。
その相手が異性ならそれは一目惚れと言うのだと。
「わかるよ。そこがこことは違う並行世界だったとしても。そこでも僕は僕なんだと思うし。穂乃香のことを好きになる僕の気持ちは……わかるよ」
「――そんなこと言ったって、――何も出ないんだからね」
彼女はパーカーの袖で手の甲を覆うと、俯いてその閉じた両目を拭った。
京都御苑の公園のベンチ。別の世界からきた彼女の横で、空を見上げる。
京都の街にしては珍しい星空が、空高くに広がって、ぼやけていた。
――もらい泣きなんてしたのは、いつぶりだろう。
*
「――もう行くの? ――ずっとこっちに居れたりしないの?」
「――無理だよ。そんなことしたら犯罪だもん。時空警察に捕まっちゃう」
昼間は子供たちが遊ぶ公園に、今は彼女と僕の二人だけ。
向こうの世界からやってきた彼女と、この世界で生きている僕。
タラップを半分上った彼女が、扉口に右手を添えて振り返った。
「一定金額で時間制限利用プランなんてな!
僕がそんな毒にも薬にもならないこと言うと、彼女は声を押さえて笑った。
「それ、それ、めっちゃ孝介くんっぽい! やっぱり、違う世界線でも孝介くんは、孝介くんなんだね!」
「ただのひねくれ者って言われるけど、そんな僕でも、波長が合う相手がいるもんなんだな。――また、こっちに来れたりする? 穂乃香」
彼女が顔を上げる。その表情は、どこか寂しげだけど、――笑顔だ。
彼女は大きく首を縦に振った。それが叶わない願いだと知っていたとしても。
「同じ世界線に
「おう。こっちの僕は、交通事故にもあわず、ピンピンしてるから。いつでも遊びに来いよ」
穂乃香がステップを踏んで、球形の中へと飛び込んだ。
タラップが上がって、彼女の姿を僕から隠していく。
その隙間から、彼女の声が聞こえる。
「――孝介くん! 大好きだよっ!」
それはきっと、向こうの世界で死んだ僕への言葉なんだと思う。
だからそれは羨ましいようで、――でもやっぱり嬉しかった。
勝手な思い込みかもしれないけれど。
その好きは、僕に向けられた好きでもある気がしたから。
「またな! 穂乃香! ――元気で!」
ただ見送ることしか出来ない僕。
光とともに薄れゆく
やがて真夜中の公園には、僕一人が残された。
*
運命の出会いというのはあるもので。
その相手が異性ならそれは一目惚れと言うのだ。
深夜の散歩で起きた不思議な出来事。
それは僕にとってそんな彼女を別世界から連れてきた。
それはとても幸せな時間だった。
心が繋がったみたいで、満たされた時間だった。
だけど彼女はこの世界の存在ではない。
京都盆地から広い夜空を見上げて、僕は思う。
この世界線にも異星人がやってこないかなって。
そして僕らの文明が
未来でも過去でもない、今の時間の君に、――時空を超えて。
星空の下で交差する僕らの時間 成井露丸 @tsuyumaru_n
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