Ch.02 測位システム故障

 向経年の表情がカラッと変わり、曹永賀と共に操舵室に行った。パッとパネルの方に向くと、測位システムの方位磁針が狂いまくってる。

「向兄、」曹永賀も操舵室に入った。「おおよそ六海里くらい航行した時に測位システムがおかしくなった」

 向経年は眉を顰めた。「永賀、チャート頂戴」

 曹永賀はすぐに隅っこにしわくちゃな航海図を探し出した。

 図面を受け取って広げて、向経年はじっくり見ていた。

「俺たちが出発してから東南方向へ六海里を走ったので今大体この位置にいる……永賀、測位システムがおかしくなる前に最後の座標位置を覚えてる?覚えたら助けを呼べ」

 曹永賀は頷き、急いでヨットに搭載されたトランシーバーを手に取った。

「もしもし、乘風号です。今日の午後三時四十二分に和寧港から東華島に向けて出発しましたが途中に測位システムが故障になりました。最後の座標は126,20,28です。助けてください。繰り返しますが最後の座標は126,20,28です。助けてください。お願いします」

 しかし、曹永賀がいくら呼び出してもトランシーバーは雑音以外に何の応答もなかった。彼は心配そうに向経年を向いた。

「どうしよう?向兄、応答がない」

 向経年がやってきて、まるでこうしたら直せるようにトランシーバーを乱暴に叩いた。

「俺はこのクソ船にメンテナンス費用をたくさん使ったのに、使えるものは一つもないか?」


『トン、トン!』

 誰か操舵室のドアをノックして二人の会話を止めさせ、曹永賀は向経年に目配せした。

「船長……向經年?」扉の向こうから聞いたことある声が聞こえ、そこにいたのは譚雁光だった。

 向経年がドアを開けると、譚雁光と譚景山が立っていた。

 譚雁光は微笑んで口を開け、礼儀正しいが距離感のある態度で言った。

「何かおかしいなと思って様子見に来ました」

 向経年は一瞬黙っていたが、すぐにお辞儀をして謝罪した。

「申し訳ございません」

 向経年の率直な謝罪で曹永賀は不機嫌な顔でどうしようもなくおでこを軽く叩いた。

「ああ、またクレームか……」

 突然な謝罪にびっくりした譚景山は、譚雁光の腕を掴んで体を安定させた。

「どう、どうしましたか?なぜ急に謝るんですか?」

「実は、船の測位システムが故障してしまいまして、このまま走り続けると危ないので帰航せざるを得ない状況です。東華島まで連れて行くことが出来ず、大変申し訳ございません」

「……故障?」譚雁光はまばたきをして譚景山の方に振り向いて、譚景山もぼんやりした表情で振り返った。

 向経年はまた何を説明しようとするところ、曹永賀の驚嘆の声に止められた。

「向兄!これを見て!」

 向経年は急いで向かった。パッと見ると、ダッシュボードの旧式の方位磁針はこまのように狂い回ってる。彼はちょっとした間に唖然とし、眉を顰めて無意識のうちにダッシュボードを何回も叩いた。


 どういうわけか、彼は突然、昔港で他の船員おじさんたちから聞いた話を思い出した。

 海は広大だ。

 人間が踏み込んだ範囲は一万分の一にも満たない。海では、何か起きてもおかしくない。極稀に、未だに開発されてない『未知の海域』に入ってしまう船がある。


『もしあそこに入ってしまったら、不運だと思うしかない』

あの時、おじさんは彼にそう言った。

『あそこに何かあるの?』彼は興味津々に聞いた。

『知らねぇ、何でもありえるだろ』あのおじさんはまるで経験者のような姿でワクワクしそうに好奇心旺盛な彼を見つめて淡々とした口調で言った。

『命を落とすかもしれないから何かあるか気にするわけないだろ。無事に戻ることが先だ』


「……向兄?」今の状況は既に十分悪いだが、これ以上何か悪いことを言うのではないかと恐れた曹永賀は黙然とした向経年をチラチラ見ていた。

「ちょ……ちょっと待って!」譚景山やっと正気に取り戻した。信じられなさそうに向経年と曹永賀に顔を向けた。

「つまり俺たち今は……船舶事故に遭ったということ?」

 曹永賀は罪悪感と羞恥心にかられた。何と言っても二人を誘致したのは彼だから、まさかこんなことに遭遇するとは思わなかった。

「本当に、本当に大変申し訳ございません」

「謝っても何も役に立たない!この船こんな問題たくさんあるのに、よくお客さんを乗せたね!」譚景山はますます腹を立ってきた。「ありえない!絶対クレーム入れてやる!」


「まあまあ、兄ちゃん、落ち着いて」

 止める声が聞こえた。淡々とした口調からはかすれた声のいつもの温かみを感じられなかった。

 譚雁光は譚景山の肩に手を置き、慰めるように軽く揉んだ。

「何かの解決策がありますか?助けを求めましたか?」彼が向経年に言った。

「さっき試してみましたが、トランシーバーは信号がありませんでした」曹永賀が慌てて答えた。

 それを聞いた譚雁光は携帯を出して操作してみた。「携帯も圏外になってる……」

「船の故障ではないはずです。うちの船は先月に整備したばかりです。未知の海域に突入したのかもしれないし、天候不良の可能性もあります」向経年は目の前の三人の困惑した顔を見てゆっくりと言った。これ以上言ってもわかってもらえないので深く説明するつもりはなかった。「今測位システムも方位磁針も使えないのでこのまま進むと海で迷子になる可能性が大きいです」


 重い話を聞いて他の三人は沈黙した。

 やっと事情の重大さを気づき、譚景山は他の三人の顔色を伺いながら譚雁光を呼んだ。

「雁光……」

「先ほどおしゃった『未知の海域』は何のことですか?」譚雁光は突然に尋ねた。

 向経年は眉を上げ、あまり言いたくはなかった。

「ただ海の人たちが口から口へと言い伝えてるナンセンスですけど……」

「それは何ですか?」譚雁光は目を動かさずじっと彼を見ていた。

 譚雁光の鋭い目線を浴び、向経年は言わざるを得なかった。

「経験豊富な船乗りの方から聞いた話では、海には人類がまだ踏み込んでいない海域がいくつかあるようです。ごくわずかな確率ですが運悪く道に迷って入ってしまうことはあります。未知の海域では、俺たちの常識が一切通用しない可能性があります……例えば、磁場と方位など」


 話し終えた途端に、四人とも無意識にこまのように狂い回ってる方位磁針に視線を投げた。

 ちょうどその時、雷が落ち、遠くで大きな音がした後、ポタポタと雨音が聞こえてきた。

 恐れを覚え、譚景山は怯みながら自分の腕を抱きしめた。

「まぁ、もしかしたら船が故障しただけかもしれないが……」

「俺もそう願ってます。おそらく今はまだ和寧港の近くに止まってます。船を振り返れば戻るチャンスが大きいと思います。」向経年は異なる表情の三人に言った。「しかし、先ほど言ったように、測位システムが使えないので迷子になりやすい……若しくは動かずに助けを求めるか……今すぐ振り返るのがベストだと思います」



 ただ一回の平凡な航海なのに、突然災害映画のような事態に陥り、誰もが呆然とし、しばらく誰も口を開けなかった。

「……出発しよう」

 全員が一斉に話してる譚雁光を見た。

「ここに滞在しても問題は解決しません。振り返って運に任せたほうがいいです」譚雁光はしばらくしてから再び口を開けた。「……雨はますます激しくなってきました」

 パタパタと降っていた雨が、いつの間に大雨に変わった。大粒の雨が船体に当たり大きな音を立てたことにやっと気づいた向経年。

「永賀、エンジンと燃料タンクを確認して。あとで出戻りする」向経年は広げた航海図を適当に巻き上げてポイして、曹永賀の肩を軽く叩いた。


 曹永賀はおずおずと向経年を見つめ、向経年は仕方なく彼の頭を撫でた。

「俺がいるから安心しろ!ほら、早く行って」

 彼は船舵に戻り、ちょうどその時、窓のそばに立っていて心配しているように頭を下げた譚雁光をちらりと見た。暗い雲が降り、窓から小さな光が差し込んで彼の顔の半分を照らし、残りの半分は影に隠れていた。

 そこに立っている姿はなぜか孤独感が溢れてる。彼周りの冷淡な距離感がさらに遠くなる。それをなくすため暖かい日光を浴びた方がいい気がする。

 彼は譚雁光に何か言おうとしたが、話す前に大きな雷が鳴った。


『ドォーン――!』


 雨の音が再び大きくなり、波が上下し始め、船も揺れてる。


 間も無く大雨だ。

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