Ch.01 初対面
「なんだこの天気?」
六月の初夏に入り、空は薄灰色の暗雲に覆われ、雨が降りそうなくらいベトベトした湿気に満ちていた。
向経年は雨が嫌いだ。
何故なら彼の仕事は天候に左右されるため、天気が悪いと彼は飯が食えない。
マリーナの景勝地でレンタルヨットサービスを提供する業者は観光客を海に連れて行くことで稼いで生計を立てている。ヨットを借りようとするお客さんは大体お金の羽振りが良いので、彼が一日の稼ぎはサラリーマンよりも数倍多い。但し、この商売は天気に影響され、天気が悪くなると港がガラガラになる。
「ああ、お客さんが欲しいな」向経年はつまらなさそうにデッキに横たわって叫んでいる。「俺の乗風号はお金がかかるんだよ」
「ここで叫ぶ暇があったら港でお客さんを呼んで来てよ」
「なんでお前が行かないの?お前は俺の部下だろ」とやんちゃな顔をしている向経年。「お前の給料にも関係あるよ」
「向兄の方がお金ないって文句言ってるでしょう」曹永賀は泣くに泣けず笑うに笑えない表情をした。
「お前と俺、どっちが船長?」と正々堂々としている向経年。
「永賀頑張れ!乗風号のメンテナンス費用はお前に掛かっているよ」
曹永賀は白目をむいて仕方なく船から降りた。向経年は誇らしげな顔でデッキに横たわり続けた。
向経年はよくお客さんにどうしてこの商売をするのかと聞かれる。何故なら他の同業者に比べたら向経年があまりにも若いからだ。
この時、彼はいつも適当な言い訳で誤魔化している。実際、彼は特に理想または理由とかはなく、ただ単に海に好感を持っているからだ。幼い頃から最も行っている場所はバスケコートやネットカフェではなく、海だった。
数年前、彼が仕事をやめて全ての貯金でこのヨットを購入したのもただ単に「海が好き」という理由だった。
向経年は気だるそうに幾重にも重なる暗雲を見つめて、なんとなくモヤモヤしてきた。しばらく空を眺め、彼がしゃっくりした。「……暇だな」
「向兄!」遠くから曹永賀の呼び声が聞こえる。
向経年は立ち上がって船外を見ると、岸のあたりに立って手を振っている曹永賀の姿があった。彼の後ろには観光客のような男性が二人立っていた。
「待って、降りるよ」向経年は曹永賀に言い、よれよれになったベストを軽くたたき、船尾に駆け船端に寄りかかり、きれいに岸のあたりに着陸した
彼は膝を立ててまっすぐに立ち、見上げると二人の若者がいた。
前に立っている男はシュッとしてぴったりな白いシャツやダークグレーのスーツパンツを着ている。鼻がまっすぐで眉目秀麗で少しクールな表情をしていたが、その目が澄んで白黒はっきりしているため、彼の周りの冷たい雰囲気を薄めていた。後ろに立っている男は比較的小柄で、少し若々しい繊細な顔立ちをし、明るい色のコットンジャケットを着ている。彼を男と呼ぶのは少し早いような気がして少年と呼んでも過言ではない。
どこかで見たことあるようなお坊ちゃんだ。向経年が思った。
そして営業スマイルで「どこへ行きたいですか?」
「向兄、彼らは東華島に行きたいって」後ろから付いてきた曹永賀が間を置かずにそう言った。
「はい。僕たちは東華島に行きたいです」そのうちの一人はこう言った。
東華島は歴史遺跡がたくさん残されている島だ。年配のじじばばたちはよく行くが若い観光客には人気がない。
「少々お待ちください」向経年は二人に言い、振り返って曹永賀に命じた。「永賀、先に錨を抜いて」
「……なんで僕ばっかり扱き使ってるの?」曹永賀は思わずつぶやいて文句を言ったが、素直に錨抜きに行った。
「だって俺はお前のボスだからな」向経年は偉そうに言い返している時、スーツ姿している男の目に合ってしまい、なんか偉そうに喋っている自分が少しバガバガしく見えた。
彼はすぐに向きを変え、サルのように船端に登りヨットに飛び乗って操舵室に急いで入り込んだ。ヨットの向きを変え、人々が乗りやすいようにした。
「永賀! はしごを下ろせ!」向経年が窓の外に向かって叫び、間も無く曹永賀の返事が聞こえた。
向経年は手際よくエンジンを待機状態に切り替え、操舵室から出た時、曹永賀が二人を乗船案内するところだった。
「お客様、ラウンジでしばらくお掛けください。東華島までは三十分ほどかかります」曹永賀は資本主義に満ちた笑顔で二人に言った。「うちは客室もキッチンもあります。軽食もございますのでお気軽にお声をおかけください」
向経年は、こいつがお金を稼ぐことに夢中になりすぎたろうと心の中で突っ込んだ。どこに軽食あるの?山ほどの食パンとジャムしかなかったのに。
スーツ姿の男はラウンジに行かずに周りを見回した。
「デッキにいてもよろしいですか?」と向経年に目を移し尋ねた。
向経年は一瞬呆然としたが、相手がこちらの同意を求めていることに気づき、「もちろんです」と素早く頷いた。
スーツ姿の男の声は想像していた冷たさと違い、少しかすれた声だった。彼の外見とはあまり合わない。
彼の隣にいた若い男はすぐに眉をひそめ、スーツ姿の男の袖を引っ張った。「
スーツ姿の男は隣の人に振り向いて懇願するように笑った。クールな雰囲気は笑顔で少し温まってくる。「お兄ちゃん、僕はただ海を見たいだけ」
その言葉を聞いた相手は即座に眉を顰め、不満そうな顔をした。
「ね、お兄ちゃん?
「……まあいいか。少しだけなら」
向経年は横で見ていた。顔には出していないが、この兄弟二人の性格は見た目と正反対していることに驚いた。
「ご自由にどうぞ。何かございましたらいつでもお声がけください」
二人に他の要望がないようで、彼が操舵室に戻りヨットを発進させた。
彼はラジオをつけしばらく海上予報を聞き、窓外の空を眺めて思わず眉を顰めた。
雨模様の天気、あまり雨降らないことを願うばかりだ。
しばらくすると、曹永賀が入って来た。「向兄、こういう天気なんだけど、東華島に行けるの?」
「ボスの俺ができないことはある?」向経年はニヤリと笑った。
「東華島まで降らないかもしれない。降っても大雨にならないから安心して。帰りが少し遅くなるが大したことはないよ」
「はいはい。あなたはできる男だ」曹永賀はまいったなという表情で返事した。「向兄、僕が舵を取るよ」
「お、やってみたいの?」向経年は眉を上げて面白そうに言った。「お前はできるのか?」
「向兄!」
向経年は大笑いして励ますように曹永賀の肩を叩いた。
男は自分のことをできないと言っちゃいけないという発言を繰り返して曹永賀から怒りの蹴りを受けた後、操舵室からゆっくり出てデッキに向かった。
この間彼はデッキにリクライニングコットを置いた。何もすることがない時に腰掛けるのが好きでとてもよく眠れた。この行為は定年したおっさんしかやらないんだよと曹永賀に笑われている。
向経年はリクライニングコットに快適に横になり、おっさんのようにため息をつき、目を閉じて休もうとしたところ、突然人の視線を感じた。
振り返ると、スーツ姿の男が見えた。
いきなり恥ずかしさに襲われた。
向経年はリクライニングコットから急いで起き上がり、ガタガタ音を立った。
なぜこんなに慌てたのか、彼にもわからなかった。多分相手の全体的な雰囲気があまりにも自分と違いすぎて少し緊張したせいだ。
向経年は平凡な家庭に生まれ、このヨットを購入するだけで全力を尽くした。相当なお金をかけられて育ちも教養も良さそうな相手に比べてしまうと彼が何をやってもバカバカしく見えてしまう。
――簡単に言えば、彼はお金持ちがちょっと嫌いだ。
「……フッ」
男は手すりに寄りかかりふっと笑った。眉も目も三日月の形をして涙袋がはっきりしている。風でわずかに持ち上げられた前髪が眉を撫でていた。笑うと本来の冷めた雰囲気が消えてしまった。
「船長は楽しんでいますね」スーツ姿の男が微笑んで言った。
「……まぁ、仕事を楽しまないと」
なんか笑われた気がして、向経年は照れ笑いしながら髪をかきあげ、皮肉に言い返した。「そうしないと人生って何が楽しいですか?」
「確かにそうですね」男は気さくに話を続けた。「船長のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「向経年です。『向兄』と呼んでいいですよ」
「……向兄?」男は躊躇した。
「ん?俺は多分君より年上ですよね?」向経年は肩をすくめた。「お名前は?」
「僕の苗字は
「
向経年はその手を見て、この自己紹介は丁寧すぎるだろと思い、相手を疑いの目で見た。でも彼の目はあまりにも真っ直ぐで澄んでいる。これが坊ちゃんの育ちなのかもしれない。
この疑いを無視し、さりげなく握手を交わした。
「お二人はなぜ東華島に観光に行きたいですか?」と話し続けた。
「なぜそれを尋ねるのですか?」
「観光のために東華島に行く若者はほとんどいませんよ。そこに行くのが大体年配のジジババですね」
「そうですか……」譚雁光は海に目をそらした。「僕はただついてきたのです」
「お兄さんが行きたいから?」向経年は彼をちらりと見た。「っていうか、お兄さんはかなり若く見えますね」
「ハハハ……彼にこれを聞かせてはいけませんよ。間違いなく怒りますから」これを聞いた譚雁光は笑わずにはいられなかった。
「そんな言葉をよく耳にするようですね」向経年も笑った。
譚雁光の視線は横にいる若い船長の方を向けた。
ぼろぼろのベストとだぶだぶのショートパンツという港湾労働者の格好をしているが、スレンダーで筋肉質な体にはどこかボヘミアンなところがあった。穏やかな潮風が彼のボサボサした髪を撫で、小麦色の肌とは対照的な目を細めた明るすぎる笑顔を見せた。
————————海のような男だ。
初めて彼を見たときからそう思った。こんな人は人生で初めてだった。譚雁光の好奇心をくすぐられた。おじさんだらけの港で若すぎる船長が目を引くことは言うまでもなかった。
「船長は……この仕事に向いてますね」譚雁光はついに口を出た。
「でしょう。俺も自分が向いてると思います。もう数年やっていますよ」向経年は眉を上げた。なんだ、褒め合うタイムか?俺は得意だぞ。
「譚さんはヨットに興味ありますか?時間があったらやってみてくださいね。君にとっては難しくないはずですよ。あと、さっき俺の名前を聞いたよね」
譚雁光は相手の慣れ親しんだ態度に少し驚いた。返事をしようとする時、後ろから叫び声が聞こえた。
「向兄!」曹永賀は息を切らして走ってきた。彼はたくさんの言葉を吐き出そうとしたところだったが、譚雁光を見た瞬間に言葉を飲み込んで心配そうに向経年を見ることしかできなかった。
「どうした?」向経年はすぐに前に出て曹永賀を引き寄せた。
曹永賀は向経年の後ろに立っている譚雁光を躊躇いがちにちらっと見て、小さい声で「測位システムが通信障害になった」と言った。
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