魔法使いの夜

本編

 ある夜。

 僕がいつものように飼い犬のポロを散歩させてると、何でもない草むらに人が立っていた。


 田舎の真っ暗な夜道である。

 街灯はポツポツとしか存在しないし、慣れていないと歩くのも怖い。

 それなのにあの人は道から外れた場所で何かやっている。


 この辺りにあるのは草原だけだ。

 田畑の世話というわけでもなし。

 何してるんだろう。


 考えていると、不意に目の前の人の周囲に光がボゥッと浮かんだ。

 ライトでもつけたのかと思いよく見る。


 立っていたのは女の子だった。

 高校生くらいだろうか。

 僕より年下に見える。


 彼女の周囲には不思議な光の球が浮かんでおり、女の子はその球と戯れるようにして踊っていた。

 光の球はまるで生きているかのように女の子の周囲を舞う。

 不思議な光景だと思った。


「わんわん!」


 見惚れていると、不意にポロが鳴き声を上げて走って行った。

 止めるままなくポロは女の子に飛びつく。

 飛びつかれた女の子は「んぎゃっ!」と声を上げた。

 僕は慌てて彼女の元へと駆けて行く。


「すいません、大丈夫ですか!?」

「誰か助けてぇ! 魔犬が! ケルベロスがぁ!」

「ただのコーギーですよ」


 それが、ルネとの出会いだった。


 ルネは魔法使いなのだそうだ。

 呪いで、夜にしか姿を現せられないらしい。


「面白そうな設定だね」

「本当のことよ!」


 かつてこの人類を超越する魔法使いの一族が居たらしい。

 彼らは人智を超えた技術と知識で世界を繁栄させた。

 しかしあまりに神に近づきすぎてしまったがために、神の怒りを買い。

 ある神に、呪いをかけられたという。


「まぁ私にとってはおとぎ話。もう4000年以上前のことよ」

「そんなに?」

「ピラミッドってあるでしょ。あれって現代の建築学だと説明のつかない技術や再現できない技術も多々あるんだけど、あれも魔法で生み出したのよね」

「そうなんだ……」

「一族は細々とだけど血を繋いできた。私はその末裔まつえいの一人」

「その魔法使いの末裔が、何でこんな田舎に?」


 僕が尋ねるとルネはしばらく逡巡したあと、やがて口を開いた。


「私の一族はもう長い間、呪いを解くために闇の神と戦っているの。私たちに呪いをかけた張本人。呪いを解くには、闇の神の眷属を全て倒す必要がある」

「へぇ、それで?」


「私も闇の神の眷属と戦ってたのだけど、数日前に追いかけたまま姿を見失って……。それでここまで追ってきたってわけ」

「じゃあ何であんなとこで踊ってたの?」


「うるさいわね……全然敵見つからないし、探してたら途方に暮れるし、何か広々としてたし、風が気持ち良かったから気分が上がったのよ! 文句あるか!」

「いや、別に……」


 ずいぶんのんびりした一族だな。

 だから4000年も戦ってるのか。


「じゃあ僕も手伝うよ、探すの」

「え? いいの?」


 ルネの顔がパッと明るくなったあと、ハッとしたようにぷいとそっぽを向いた。


「ふ、ふん。素人が手を出せると思ったの? 調子に乗らないで!」

「今めっちゃ嬉しそうな顔したくせに……」


「まぁ? どうしてもと言うなら? 同行させてあげなくはないわ」

「面倒くさいな。帰るかポロ」

「わんわん!」


「ええっ!? 待ってよ! ごめんって! 悪かったからぁ! どうしても! どうしてもお願いしますぅ!」

「自分が言うのか……」


 そんなわけで。

 その日から、僕とポロとルネの闇の神の眷属探しが始まった。


 と言っても何か特殊なことをするわけではない。

 夜になるとルネと合流して散歩する。

 ただこれだけだ。


 ルネいわく、闇の神の眷属はちょうど僕とポロの散歩道に存在しているらしい。

 だが一向に見つからないと言う。

 それを手分けして一緒に探すわけだ。


 ルネは話してみると普通の女の子だった。


 今は魔法使いの使命として世界中を旅しているらしい。

 だが彼女には故郷もあり、帰る場所もあると言う。

 趣味はぬいぐるみ集めで、そのぬいぐるみを使って魔法の練習をするそうだ。

 一度お気に入りのぬいぐるみにかけた魔法が暴発して、ぬいぐるみが木っ端微塵になった時は本気で落ち込んだらしい。


 僕とルネは日に日に仲を深めた。

 何せ彼女ときたら自称全知全能という割にはどこか抜けているのだ。

 魔法使いに対する畏怖の感情などは微塵もなかった。


 衣食住をどうしているのか気になったが、魔法でどうにかしているのだという。

 一度我が家に泊まることを提案してみたが、真っ赤な顔で断られた。


 そして、ルネと夜の散歩を続けて一週間ほど経った時。

 僕たちは、とうとうそれを見つけた。


「いた、闇の神の眷属よ」


 いつもの散歩道。

 歩いていると、不意に目の前の暗闇をルネが指差す。

 指された方を見ると、闇の靄がぼんやりと人の形をしているのが見えた。


「何か弱そうだね」


 うちわで仰げば吹き飛びそうだ。

 しかしルネは「油断しないで」と言う。


「あれはまだこっちに気づいてない。戦闘態勢になられたら手がつけられないからね。気づかれる前に倒すの」

「魔法使いのくせに奇襲するの? 卑怯だなぁ」

「うるさい!」


 するとルネの声に反応して、靄からギョロリと目が現れる。

 ガッツリ見られた。


「やば……」


 ルネが後ずさった途端。

 闇の神の眷属の体が蠢き、巨大な黒い手足がどこからとも無く現れる。

 靄のような体から犬のようなどでかい顔が現れ。

 牙をむき出しにしてこちらに全速力で走ってきた。


「気づかれた! 走って!」

「言われなくても走ってるよ!」

「わんわん!」

「道也が人を卑怯者呼ばわりするから!」

「どう見てもルネが叫んだからだよ!」


 言い合っているうちに、ドスドスという音がどんどん近づいてくる。

 このままではいつか追いつかれそうだ。


「ええい、やったるわい!」


 ルネは不意に振り返ると、両手を目の前にかざす。


「我が内なる力よ、彼の者の身を滅ぼす火球となれ!」


 ルネが何やら中二病のような言葉を唱えた瞬間。

 彼女の手のひらに風が集まり、巨大な火の球が現れた。


「くぅたぁばぁれぇ!!!」


 ルネが叫びながら放った火球は、闇の神の眷属に顔面からぶつかると。

 一瞬だけ大きく拡散し、敵を取り包んだ後。

 そのまま何ごともなかったかのように霧消した。


 炎の中から顔が出てきたのを確認し、僕らは再び走り出す。


「スピードすら落ちてないじゃないか!」

「仕方ないでしょ!」

「追いかけてたくらいだからすぐ勝てるんじゃないのか!」

「前戦った時は奇襲が成功して弱ってたのよ!」


 僕もモンスターを狩る系のゲームで似たようなことをしたなと思い出す。

 しかしあまりに力の差がありすぎて、どうやって勝つっていうんだ。


 すると、不意にルネが立ち止まり、再び敵に対峙した。


「今度はどうするつもりだよ!」

「いいから、あんたは逃げなさい」

「えっ?」


 ルネは真剣な顔で、目の前の敵を睨んでいる。


「悪かったわね、巻き込んで。後は私が何とかするわ」

「何とかするって、奇襲してようやく弱らせたんじゃないのか! 真正面からあんなのと戦ってかてるのかよ!」

「あんたが逃げる時間くらいは稼げる」


 ルネの全身が光に輝く。

 するといくつもの小さな光の球が生まれた。

 彼女と出会った時、彼女を照らしていたあの光だ。


 ルネは決意したように、僕に背中を向けた。


「あんたと過ごした時間、なかなか楽しかったわ」

「ルネ……」

「使命ばっかりで嫌気がさしてた。私、同世代の友達がずっと欲しかったの。だから、あんたと出会えて良かった」


 巨大な敵が迫る。

 ルネが周囲に魔法陣を生んだ。


「さよなら、道也」


 何だそれは。

 勝手に出会っておいて、勝手に死のうとするなんて。

 何なんだよ一体。

 そんなの、一生寝覚めが悪いじゃないか。


「あぁ……もう仕方がないな!」


 僕は足元のポロを抱きかかえると、ルネに持たせた。

 自分より前に出ようとする僕を見て、彼女はギョッとする。


「ちょっとポロ見てて」

「えぇ!? 何やってんのあんた!? 早く逃げなさいよ! じゃないと私の覚悟が……」

「良いから」


 僕はギュッと右手を握りしめて振りかぶる。

 怪物の巨大な顔が、いよいよ僕の眼の前へとやってきた。


「道也! 逃げて!」


 ルネの叫び声を背後に聞きながら。

 僕は渾身の右ストレートを怪物の鼻っ柱に叩き込んだ。

 足が地面に埋まり、ものすごい圧力が全身にかかる。

 僕はそれを、右足一本で耐えた。


「おおおぉぉぉ!!!」


 僕が右手に力を込めて相手の顔面を撃ち抜くと、ボキボキボキと何かが粉々に砕けるような音がしたと共に、怪物の顔が大きく歪み。

 そのまま相手の体を空中で四散させ、バラバラにした。


 パンッと破裂するような音と共に、闇の神の眷属の体が消滅する。


「痛たた……やっぱり本気出すと反動がでかいな……」


 僕が手の感触を確かめていると、目の前で間抜け面をしたルネが唖然とした顔でこちらを見ていた。


「あんた……はっ? 今一発で、えっ? 夢?」

「夢じゃないよ」


 僕は右手をルネに見せる。

 僕の手は先程までのような人間のそれではなくなっていた。

 手がゴツく、爪が尖り、そして少し赤い。


「僕も一応ルネと似たような感じなんだよね」

「どういうこと……?」

「ルネは魔女の末裔でしょ? 僕は鬼の末裔なんだ」

「鬼……?」


 はるか昔。

 日本には大量の鬼が生息したという。

 鬼は人間を喰い、人々は鬼を恐れた。

 しかしながらある時、鬼に抵抗する勇敢な若者が現れ、鬼を対峙したのだ。

 若者の活躍によって鬼は壊滅状態に陥り、日本国から姿を消した。


 だが、たった一つ誤算があった。

 鬼を対峙した若者は、鬼の娘と恋に落ちてしまったのだ。


 人質を助けたというていで若者は娘を村に連れて帰り。

 そのまま自らの嫁としてめとったのだという。

 鬼と人間の血は受け継がれ続け、そして今でも耐えることがない。


「そんなわけで、僕の体には鬼の血が流れてるんだよね」

「嘘でしょ……人間にしか見えないんだけど」

「そりゃもうだいぶ薄まってるから。何年も前の話らしいし」


 今では僕の一族はほとんど人間と変わらない。

 だが、時折、感情が激しく高ぶり血がたぎる時。

 かつての力が蘇り、鬼として覚醒を果たすのだ。


「信じられない……私達以外にもそんな特異な存在がいただなんて」

「僕からしたら、魔女の方がよっぽど変だけどね」


 僕はぐるぐると腕を回転させた。

 ゴキゴキと骨が鳴る。


「じゃあ、今からうちに行こうか」


 僕はポロをルネから受け取ると、彼女に言った。

 彼女がきょとんとした表情を浮かべる。


「うちって……あんたの家ってこと?」

「じいちゃんに話さないとな。魔法使いの友達の手伝いをするって」


「何で……?」

「君に死なれたら寝覚めが悪いし、ここでさよならって言うのも寂しいじゃん。せっかく友達になったんだしさ」


「道也……」

「それに、ルネ弱いからなぁ」

「はぁっ!?」


「一人でも大丈夫かと思ったけど、あんなに力の差があるなら手伝ったほうが良いでしょ」

「ふざけないでちょうだい! あんたの助けなんてねぇ!」


「要らないの?」


 僕が尋ねると。

 ルネは少しだけ気まずそうに視線を逸らせた後。

 聞こえるか聞こえないかわからないくらいの声で「要る」と答えた。


 僕がポロに笑いかけると、ポロは「わんっ!」と鳴いた。


「じゃあ行こうか」

「言っとくけど、リーダーは私だから」

「はいはい」


 これが、僕と魔法使いが出会った夜の物語だ。

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