第2話 カリムの宿 ベッドの上で


「……ねぇ、起きてよ兄さん。凄い汗だよ、大丈夫なの?」


 朦朧もうろうとした意識のまま目の前の美少女に焦点を合わせて行く。あれ、どこかで見た顔だなと思ったら弟のアレクだった。


「え? あ。ああ、なんだアレクか。うん、おはよう……」

「なんだじゃないよ、兄さん。酷くうなされてるから心配したのに、もう」


 寝ぼけ頭で回りを見渡してみる。宿屋かぁ。ああ、思い出した、ここはカリムの町だ。納期が迫ってたのでここまで強行軍だったなぁ。昨日も遅かったし、珍しく疲れが出たのか。


「ねぇ兄さん、ちゃんと僕の話聞いてる?」

 

 アレクがちょっと拗ねた様に唇を尖らせる。その仕草が可愛い。


 アレクは俺の二つ下の十四歳。地黒でボサボサの黒髪に、目つきの悪い碧眼へきがんの俺とは違い、色白で綺麗な金髪にパッチリ開いた緑の瞳が印象的な超が付く美少年だ。


 前世は妹二人だけで弟が欲しかったのだが、今生は義理とは言え可愛い弟が出来た。しかも、アレクはお兄ちゃん大好きっ子なのでそれはもう可愛さ百倍なのだ。


「悪い夢でも見たの?」

「悪い夢? ああ、飛び切りの悪夢だったよ」


 死んだ時の夢を見るのは久々だ。俺はあの時、谷底に転落した馬車の中から救い出された少年としてこの世界で目覚めた。全身の骨が折れ、腹に馬車の部材が突き刺さった瀕死ひんしの重傷だった。


 助けてくれたのは偶然通りがかったクライン商会と言うキャラバン商人の一行だった。彼らは唯一の生存者だった俺を助けた上に、河原に投げ出されていた数人の遺体を埋葬してくれた。


 残念ながら、馬車に俺の関係者が同乗していたかどうかは不明だ。谷底の小さな河原の側には川が流れていた。粉々になった馬車から投げ出された荷物は、急流に呑まれて身元が分かる物は見つからなかったらしい。


 俺は助けられた後、酷い熱が出て一週間ほど死線をさまよったらしい。医者の話だと助かったのは奇跡だったそうだ。ただ、その時の後遺症で今でも腹に傷跡が残り、片足が少し曲がっている。


「……六年前の事故の夢を見たんだよ」

「え、兄さん、もしかして記憶が戻ったの?」

「いや、残念ながら夢で見たのはイーブとローズに助け出された時の事だけだ。だから、ただひたすら痛いだけだったよ」


 あの時は地獄だった。まるで全身を金属バットで滅多打ちにされた上に、腹に手をねじ込まれる様な酷い痛みに見悶えた。こんな苦痛が続くなら、ひと思いに殺して欲しいと思った辺りで意識が無くなった。


 その後の記憶は全く無い。だから宿屋のベッドで目覚めた時に、俺を見下ろす白髭に丸眼鏡をかけた小太りの爺さんを見た時には、願いが叶ってまた死んだと思ってホッとしたくらいだ。


 だがそうはいかなかった。爺さんはベッドの横の椅子にドンと腰かけ、様々な言語で話しかけて来た。が、それは俺が知るどの国の言語とも違っていた。


 身振りで名前も聞かれたが、少し考えて答えない事にした。自分が置かれた状況が全く分からない以上、下手に情報を出すのは危険だと判断したからだ。結局、俺はただ首を横に振り続けるしかなかった。


 最後に、爺さんは大きく息を吐くと『俺に任せろ』と言わんばかりに自分の胸をポンと叩き、前歯の欠けた口でニンマリ笑いながら俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。


 そして、俺にレオニード・クラインと言う名前と、十歳と言う年齢と、俺を養子にする事で家族をくれた。おまけに事故による記憶喪失と言うとても都合の良い設定までくれたのだ。


 そして、この爺さんこそが俺を助けてくれたクライン商会の会長、アーサー・クラインその人だった。


~~~


 クライン商会は俺達が暮らすノーザン王国と、主に南のサハ砂漠の向こうにあるヘルマン首長国とを馬車の車列を組んで往復する貿易商だ。まあ、キャラバン商人って奴だな。ヘルマンは世界最大の金の産出国であり、ヘルマン人は珍しい物なら何でも金に飽かして欲しがるお得意様なのだ。


「兄さん、汗を拭くから背中を向けて」

「ほいよ」

「うんしょ。うんしょ……」


 アレクが変な掛け声を上げながら背中を拭いてくれる。アレクは俺と二人きりの時はいつも子供みたいになる。こう言う所も本当に可愛い。


 俺はベッドで寝る時はいつもパンツ一丁だが、アレクはパンツの上に男物のシャツ一枚を羽織って寝る。そしてベッドの上では大抵この格好のまま女の子座りをする。この姿がやたら艶めかしいのだ。今もこの格好で俺の背中を触っている。


「髪も凄い事になってるよ、兄さん」

「あー、俺はもう自分の髪と戦うのを諦めた。アレクの好きにしてくれ」

「分ったよ。よいしょ、あれっ。あ、そうだ。えいっ、ああ。うーん……」


 アレクは猫がじゃれる様に俺の髪で遊んでいる。


 俺の髪は硬くて太くて量が多い黒髪だ。寝癖が付いたら戻るのに三日かかるが、その間にまた寝癖が付くのでエンドレスでボサボサな髪になるのだ。実は俺の名前の『レオニード』もこの髪から来ている。


 名前の由来はこの世界では神獣であるライオンから来ている。アーサーはこのボサボサな髪がライオンのタテガミみたいだからと言う、かなりいい加減な理由でこの名を付けた。アーサーは良い人だったが、割と大雑把おおざっぱな人でもあった。


「こうしてると父さんがいた頃を思い出すね、兄さん」

「ああ、そうだな。川で水浴びする時よく背中を流し合ったな……」


 アーサーは俺が動けるようになるとまず言葉を教えてくれた。次に読み書きを教え、さらに計算を教えて大いに驚き、他の傭兵達と共に砂漠の盗賊団と戦うための武術を教え、一緒に馬車で生活する中で貿易商人に必要な事全てを教えてくれた。


 俺が十三歳になるとアーサーは馬車を一台くれた。これで俺も馬車持ちになり自分の団を作れるようになった。砂漠を縦断する貿易商人にとって団はキャラバン(隊商)の最小単位だ。


 馬車一台に団員は三人、何台の馬車を率いるかは団長の実力次第になる。大きな商会は二桁を超える団を持つ所もある。俺はクライン商会で二人目の団長になり、同時に一人前の貿易商人になった。


 アレクがやって来たのもこの頃だ。騎士階級の庶子だったアレクは相続争いに巻き込まれ、殺されそうになった所を俺達に助けられた。アレクもアーサーの養子となり、弟になり、栄えある俺の団員一号になった。


「兄さん……」

「ああ、思い出すな。親父の事……」


 アレクが俺の背中へ頬を寄せて来る。多分泣いているのだろう。


 この見知らぬ世界へ投げ出された俺に多くの物を与えてくれたアーサーは、去年砂漠の盗賊団の襲撃を受けて命を落とした。俺の団は途中から別行動で、街道から離れた近くの町へ納品を済ませた後でアーサーのキャラバンに再度合流する予定だった。


 だが、合流予定の町でいくら待っても、アーサーのキャラバンは現れなかった。


 捜索隊が編成され、隊はその日の内に、町から半日ほどの街道沿いに八つの遺体を発見した。眠り薬を盛られたのか全員心臓を一突きにされていた。そして、乗っていたはずの三台の馬車は影も形も見つからなかった。


 遺体が一つ足らなかった。


 足りなかったのは俺の馬車が道中分かれた町で、アーサーが臨時で雇った傭兵の一人だった。アーサーは俺達の為に商会で一番腕利きのイーブとローズを付けてくれた。そして、その穴埋めに臨時で傭兵を二人雇った。その内一人が盗賊団と内通していたのだ。


 まずはこいつを探して、締め上げた後に殺した。


 そして、俺達は半年かけてアーサーを襲った砂漠の盗賊団の動きを掴み、罠を仕掛け、そして復讐した。俺達はキャラバン商人の流儀で殺された数と同じ八人を殺し、俺がその首を全て切り落とした。


 これは彼らの宗教であるターダ教では、首を切り落とされた者は天国に行けないとされているからだ。これが俺達キャラバン商人と砂漠の連中だけに通じるメッセージだ。殺られたら絶対に殺り返す、と。 


 アーサーは豪放磊落ごうほうらいらくな人で、口を開けば冗談ばかり言っていた。「キャラバン稼業はいつくたばるか分からん商売だから、ワシは先に一生分笑ってやるんだ」と言うのが口癖だった。きっと彼は三人の人生分くらいは笑っていたと思う。


今は俺がクライン商会を継いでいる。

最近、少しは冗談が上手くなったかもしれない。



 ──突然、勢いよくドアが開いてちっこいのが飛び込んで来た。


「ちょっとレオ兄さん、いつまで寝ているの! さっさと朝ご飯食べないと今日中に王都に着かな──」


 そこまで叫ぶと、ちっこいのは口を開けたままその場で固まった。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る