建設貴族

曽呂利 一二三

第1話 プロローグ


 その日、渋谷の街は思い思いの仮装を凝らした若者で溢れていた。今日は十月三十一日、ハロウィンの夜だ。そんな中、書類が詰まった大きなカバンと寝袋を抱えたサラリーマンがセンター街から逃げ出す様に路地裏に消えて行く。


 それが俺、底辺建設会社に勤める営業兼施工管理兼見習い職人のなんでも屋、日用静(ひよう しずか)、三十四才独身のおっさんだ。


 都心の現場は久しぶりだ。この間まで一番若い女が還暦過ぎてたド田舎で仕事をしてたから、若い女の子を見るのは実に二カ月ぶりになる。ああ、やっぱり若い女性は良いな。短いスカートを気にする仕草も良いし、とても良い匂いがする。田舎にいると人間には性別と羞恥心があった事を忘れてしまう。


 色々と物議を醸しているこの秋の夜の乱痴気騒ぎも、今の俺には小鳥のさえずりに聞こえてしまう。そりゃあもう、早朝から鳴り響くジジババの怒鳴り声に比べれば千倍はマシだからな。


 そんな事を考えながら足早に現場事務所に向かっていると、どこからか若い男女の痴話喧嘩の声が聞こえて来た。死んでやる、とか物騒なセリフだが気にしない。なあに、若い内は思う存分好きにやれば良いさ。後悔なんて年取ってからすれば良い。俺だって若い頃は散々遊ん――


 これが俺の人生最後の記憶だ。


 ~~~


 気が付いたら俺は宙に浮いていた。


 道端には痛い痛いとギャーギャー喚き散らす太った女と、さっきまで俺だったモノが転がっていた。頭は胴体に完全にめり込んでいて、少し寂しくなり始めた後頭部が肩口から覗いていた。足はあり得ない方向に曲がっていて、上半身も半分ぐらいに縮んでいた。多分、脊椎と頸椎が粉々になってる。即死だな。何せ、本人が言うのだから間違いない。


 女の方はボンレスハムの仮装かと思ったらバニーガールのつもりらしい。ウサギの付け耳が近くに転がっている。尻の軽そうな女だがオツムの方がそれ以上に軽かったらしく、そのデカいケツが俺の頭を直撃したらしい。


 ふと見上げると、前のビルの屋上には売れないホストみたいな男が右往左往していた。さっきの痴話喧嘩はこいつらだったのか。死んでやるとか叫んでいたから狂言自殺のつもりが、重すぎて足を踏み外したとかそんな間抜けな理由なんだろう。


 はぁ、なんて死に方だ。昔から女難の相があると言われてたし、実際に女には何度も酷い目に合わされて来た。だが、まさかこんな形で死ぬとは思ってもみなかった。きっと妹達は呆れるだろうな。でも、保険かけといて良かったよ。あれで少しは許して貰えるかもしれない。


 沙織、詩織、最後までダメなお兄ちゃんでこめん。お前達は俺の分まで幸せに暮らして欲しい。思ってたよりずっと早いお別れだけど、どうやら俺はここまでらしい。さようなら……



 ……が、なぜか逝かなかった。


 いや、確かに死んだのだが、これはただの始まりに過ぎなかったのだ。


 ~~~


 最初はどこかの病室だった。俺は酸素マスクを付けられベッドに横たわっていた。体は全く動かないが大量のチューブが垂れ下がっているのが見える。もしかしてあの状態から蘇生したのかと驚いたが、すぐに違うと分かった。医者も看護師も外国人で、そこは知らない国の病院だった。


 何とか声を上げようとしたが、唇どころか瞼すら動かせない。音もほとんど聞こえない。半開きの眼に映る情景だけが辛うじて俺とこの世を繋いでいた。だが、それももう長くはない。俺はもうじき死ぬのだ。疑いようのない確実な死が俺を見下ろしながら、ゆっくり覆いかぶさって来るのが見えた……。


 それから俺は死に続けた。


 ある時は雲一つない青空の下、ある時は燃え盛り崩れかけの建物の中、ある時には銃弾飛び交う戦場のただ中。場所は様々だが、なぜかいつも仰向けに倒れ、いつも命が尽きようとしていた。泣きながら必死に呼びかけて来る者もいたが、冷たい眼差しで無言のまま見下ろす者もいた。知らない顔、知らない言葉、知らない景色、知らない空気。まるで底なしの穴に突き落とされた様に、俺は見知らぬ世界の中で延々と死に続けた。



 どれくらい経ったろうか、無限に続く死の刹那に心が凍り付いて何も感じなくなった頃、それは突然終わりを告げた。


 何かの廃墟みたいな所に横たわってぼんやり空を見上げていると、どこからか顔色の悪い男と女がやって来て哀れむような眼で俺を見下した。そして、何かをつぶやくと、いきなり男の方が俺を抱き抱えたのだ。


「イ、タイ……」


 俺の全身に信じられないほどの激痛が走り、思わず声が出た。

 男は驚いた様に目を見開き、そして何か叫びながら俺の体を激しく揺さぶった。


 イタイ、イタい、イたい、痛イヨ、痛いヨ


「痛いっ――」


「痛いって言ってるだろ、このタコ!!」


~~~


 強烈な痛みの感覚に襲われた所で、ハッと意識が戻った。硬直した全身が弛緩して行くのを感じる。

 

「……さん」

「兄さん」

「ねぇ、兄さんってば。大丈夫?」


 目を開けると、物凄い美少女が心配そうにのぞき込みながら俺の肩を揺らしていた。

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