第3話 カリムの宿 ターニングポイント1
「ちょっとレオ兄さん、いつまで寝ているの! さっさと朝ご飯食べないと今日中に王都に着かな──」
突然、勢いよくドアを開けて飛び込んで来たちっこいのは、そこまで叫ぶと口を開けたままその場で固まっている。
「おう、ルキアおはよう」
「あ、おはよう、ルキア。くすん」
このちっこいのはルキア。彼女も孤児でクライン家の養女になった俺達の十二歳の妹だ。俺達とちょっと違うのはルキアは魔族だと言う事。ただ、魔族と言っても魔法が使える訳ではない。この世界では頭に角が生えている人種を魔族と呼んでいるだけだ。
ルキアの頭には羊の様な小さく丸っこい角が左右に二本生えている。ただ、見た目は小さなフレンチクルーラーみたいで一見して角とは分からない。だから、変わった髪飾りを付けている女の子、くらいに思われるみたいで誰も魔族とは気づかない。
「な、な、な、何を──」
ルキアが口をパクパクさせながら、わなわなと震えている。見る見るうちに顔が赤くなって行く。
ベッドの上には裸の俺が胡坐をかいてドンと座り、その背中にはシャツ一枚羽織っただけのアレクが目に涙をためながら頬を寄せている。まあ、一見すると事後だ。これで俺がタバコに火を点けていれば完璧だったろう。
「どうしたルキア? お前も一緒にどうだ?」
「なっ!──」
そう言うと、ルキアは真っ赤な顔のまま凍り付た。
実はルキアはアレクLOVEなのだ。まあ、一つ年上の血の繋がらない美少年の兄を嫌う妹などいない。けど、アレクが俺にやたら懐いているので日頃からヤキモチを焼いているのだ。それだけにLOVE扱いされないもう一人のお兄ちゃんとしては、からかい甲斐がある。
「いや、アレクと親父の話をしてたんだが、それがどうかしたのか?」
「それとも、何か凄くエッチな事でも考えたのかな? ふっふっふ」
俺がニヤニヤしながらそう言うと、ルキアはプルプル震えると枕を掴んで──
「兄さんのバカ!!」
そう叫ぶと、俺に枕を投げつけて出て行った。
アレクが呆れ顔でこっちを見ているが、妹との距離感なんてこれくらいでちょうど良い。何せ俺は前世で年子の妹二人を相手して来たベテランお兄ちゃんなのだ。
ルキアが投げて来るのはせいぜい枕だが、リアル妹だと広辞苑やコンパスが飛んで来る。まあ、あれに比べりゃ可愛い物だ。
~~~
宿屋の一階へ降りると、うちの団員達が先に朝食を食べ始めていた。
「珍しいな、寝坊か?」
さっきの夢に出て来た顔色の悪い大男が、ぶっきらぼうにそう言った。
この男はイーブ。彼はトロルと呼ばれる北方種族で、二メートルを超える大男だ。見た目は三十歳くらいだが、トロルは長寿種なので本当の年齢は分からない。
一般的にトロルは男女とも銀髪で灰色がかった白い肌が特徴で、タフな肉体と強靭な精神力を持つ優秀な戦士が多い。イーブは槍の達人なので戦闘ではとても頼りになるが、無口で不愛想なのが玉にキズだ。
「昨日遅かったからな。それに、あの時の夢を見たんだよ。寝不足な上に全身痛くてだるいよ」
俺は頭を掻きながら宿の女将さんに朝の定食を頼み、アレクと一緒に席に着いた。
「あれは仕方ない。お前は魂が抜けかけていた。魂を留めるには痛みを与えるのが一番だ」
イーブはスープを飲みながらこちらを見ずに言い放った。
「マジかよ。あれ、わざとやったのかよ。チョー痛かったぞ……」
あの時イーブは骨折している俺の手足をグニグニと揉んだのだ。激痛で気が遠くなるが痛すぎて気を失う事も出来ない、そんな地獄の様な思いをした。
でも、あのお陰でこの世界に残ったのは多分間違いないだろう。あれが無ければ、またあの延々と繰り返される死の潮流に呑まれていただろう。
~~~
「寝坊しておいて、命の恩人に文句を言うとは良い度胸だな。レオ」
夢に出て来たもう片方の顔色の悪い女がチーズをかじりながらボソりと言った。
この陰気な女はローズ。こいつは長身のハイエルフで、バカでかい弓を軽々と使う正真正銘の弓の達人だ。見た目は二十代前半くらいだが、ハイエルフの寿命は千年を超えるそうだから本当の歳は分からない。
「寝坊したのはお前のせいだろうが。宿のお姉さんに、バスタブのお湯を二回変えたお客さんは初めてです、とか言われたぞ」
ローズは病的なものぐさで、放っておくと半年ぐらい風呂に入らない。綺麗な金髪は垢と埃でドレッドヘヤになり、全身からはホームレスが逃げ出すくらいの異臭を放つ様になる。
俺達は慣れてるから良いが、そのままでは王都に連れていけないので、昨日は夜遅くまでかけて俺が一人で洗ったのだ。
「透明なお湯がドロドロの黒いスープみたいになるのを見て、宿のお姉さんがドン引きだったからな。恥ずかしいったらありゃしない」
「その代わり、ワタシのハダカを見れたのだから良かったじゃないか」
「お前のどっちが前か後か分からん体を見ても嬉しくねぇよ」
「なんだと!」
「はい、朝定食お持ちどうさま。それと、お客さん、痴話ケンカなら外でやっておくれ」
良いタイミングで、宿の女将さんが朝の定食を持って来た。ローズは不貞腐れて外を見ている。ざまあみろ。
~~~
「まあ、ボスはちょーっとエッチな所があるからニャ~。ウチも前に副乳見せろと言われたニャ」
朝食を食べ終わったガラの悪そうな女獣人が、ニヤニヤしながら会話に割り込んで来た。
こいつはドラ。自称、花も恥じらう十五歳の乙女の豹族の女獣人だ。ドラは自身で作った博打の借金のカタに娼館に売り飛ばされそうになった所を俺が助けた。
だから、こいつがクライン商会で働いているのは俺が肩代わりした借金返済のためだったりする。プロの傭兵であるイーブやローズと違い、ただの素人なのでスリングショットと投石が武器だ。
「あれは純粋に学術的興味って奴だな。別にお前の乳を見たい訳じゃねーよ」
「まあまあ、無理しなくても良いニャ。給料一割上げてくれるならまた見せてやっても良いニャ」
ドラはそう言って、ニヤニヤしながら俺を見上げて来る。ちなみに、こいつが語尾にニャを付けるのは、そうすると給料が一割アップするからだ。こいつは物凄く口が悪いので、毒気を抑えるキャラ付けのためにそう契約したのだ。
「何で金払ってまでお前の福乳見なくちゃならんのだ。単に二足歩行の獣人が四つ子を授乳する時どうやるのか興味があっただけだ」
「ボスはガキのくせに、時々おっさんみたいな事を考えるニャ」
「大きなお世話だ。でも、乳が横に四つ並んでいないのを確認出来たからな。お前はもう用済みだ」
「酷いニャ! 乙女の副乳ガン見したんだからボーナスくらい出せニャ!」
~~~
「二人とも、いい加減にして下さいっ!」
ルキアが真っ赤な顔でブリブリ怒り出した。
「朝っぱらから、その、ふ、ふ、福乳の話とか、他のお客さんの前で恥ずかしくないのですか!」
周りを見渡すと、近くのテーブルの客がクスクス笑いながらこっちを見ている。
「おいバカネコ、お前のせいでまたルキアに怒られちゃったじゃねぇか」
「ウチのせいじゃないニャ、スケベなボスが悪いニャ」
うーん、これ以上ルキアを怒らせると後が怖い。以前、ルキアの角の匂いを嗅いだ時は一日口をきいてくれなかった。味を確かめたくて角をペロペロした時は一週間口をきいてくれなかったのだ。
科学的探究心は時に犠牲を伴うとは言え、妹様にガン無視されるのはお兄ちゃんとしては辛い。ここは素直に戦略的撤退をして話題を変えよう。まだブツブツ文句を言ってるドラを無視して、アレクに話を振る事にする。
「アレク、残りの納品は王都だけだっけ?」
「えーと、リアの街に一件あったと思うけど」
「リアかぁ。こりゃ、ちょっと面倒だな」
リア市はこの国の大動脈である大河レナ川の南岸に面した城塞都市だ。そして王都オゼロはレナ川を挟んだ北岸にある。両者を隔てるレナ川の中央には要塞化された大きな中洲があり、リアとこの中州には数百メートルの長さの石橋でつながっている。
そして、この中州と王都の南門との間には巨大な跳ね橋が架かっている。つまり、ここは大河レナ川を馬車に乗ったまま渡れる希少な渡河ポイントであると同時に、王都の南の玄関口でもある便利な場所だったりする。
おかげで、あの橋はゴールデンウイークの箱崎ジャンクション並の渋滞になってしまうのだ。そこを往復するのを考えると、それだけで鬱になる。
「まいったなぁ、リアの仕事なんて受けなきゃよかった」
「だったら、ギリヤの渡しでハシケに乗って先にリアへ行く?」
アレクが小首をかしげながら尋ねて来る。ちょっと可愛い。
少し遠回りになるが、ハシケを使ってレナ川を渡ってしまえば、橋は一度だけ通れば済むので凄く楽には違いない。うーむ、楽には違いないが経営者としては余分な出費は避けたいしムツカシイ所だ。こうなったら多数決で決めるか。
「イーブはどっちが良い?」
「どちらでも構わん」
「ローズは?」
「ワタシも同じだ」
「アレクは?」
「僕もどちらでも良いよ」
「ルキアは?」
「兄さんの好きにすれば、フン」
「ウチはさっさと王都へ行って一勝負したいニャ。納品はボスが行けば良いニャ」
「おめぇに聞いてねぇよバカネコ。博打する金があるなら借金返せ!」
「酷いニャ! 横暴ニャ! 獣人虐待ニャ!」
「分った分かった。じゃあ、コインで決めよう。表が出たら王都に、裏が出たら渡しを使ってリアへ向かおう」
ポケットからコインを取り出して上へ向かってピンと弾く。
と、ドラが急に飛び上がり、コインを掴むとそのままテーブルに叩きつけた。
「お前なぁ、勝手な事をするなよ」
「では勝負ニャ!」
ドラがゆっくりと掌をどける。
「ニャ―、表ニャ! ニャハハ、王都で決まりニャ!!」
勝ち誇った様にドラが叫ぶと、勝利の踊りを踊りだした。
このド畜生、絶対イカサマしただろう。
「はぁ、仕方ない。行先は王都だ。その代わり、リアの納品は俺とドラで行くよ」
「ニャーーー!!」
こうして、俺達は王都オゼロへ向かう事になった。
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