第8話 嗚咽


 消灯時間は22時。寮監が男子フロア、女子フロアと順番に各部屋を見回って点呼を行ったあと、原則同フロアであっても他の部屋への行き来は禁止されている。とはいっても先輩たちは気にせずこっそりクラスメイトの部屋を訪ねたりするので、騒がなければ出てもOKというのが寮生全体の認識だ。

 私は同室の先輩もいないし実質一人部屋状態なのでわざわざ自ら部屋を出ることはない。なんなら2段ベッドの上が空いているので、先輩の訪問によって居心地の悪さを感じたクラスメイト達の避難場所になることもしばしば。


 ちなみに消灯後、女子フロアの入り口は防火扉を閉められ、開けると寮監の部屋の警報器が鳴り響く仕様になっているので、こっそり男子が忍び込むことも、女子が抜け出すこともできない。

 つまり南は消灯後、寿と電話で話し合うのにこの部屋を貸してくれと言っているのだ。


 私は少し悩んだあと、南にこの部屋を貸すことにした。

 これ以上南と寿がこじれてこちらに飛び火するのは勘弁願いたいし、当人たちで解決できるのであればしてもらうに越したことはない。

 高坂には夜電話すると伝えてしまったが、南たちのことは言ってあるし、一言入れておけば問題ないだろう。


「わかった。でも感情的にならないでね。騒いで私まで怒られるのは嫌だから」

「大丈夫、ありがとう。じゃあまたあとで来る」


 南はそれだけ言うと、部屋を出て行った。少しして、成り行きを見守っていた未希を見る。

 なんとなく、思ったことがある。


「…南、謝りにきたんじゃないよね?」

「まぁまぁ」

「部屋借りたいから来たよね?」

「まぁまぁ」


 どうどう、と暴れ牛でも宥めるような未希に毒気を抜かれながら、それはそれは重たい溜息が出る。

 南は決して悪い子ではない。良い子だと思う。ただどうにも猪というかなんというか、自分がこうと決めたらこう、というか。良くも悪くも全てに全力なのだ。

 一点に集中すると周りが見えなくなる。南自身、落ち着いて考えればどうするのが正解かわかるはずなのに。



***



 そして22時。寮監の点呼が終わり、消灯後。しばらくして、部屋のドアが控えめにノックされる。

 ドアを開けると、南が枕とタオルケットを持って立っていた。泊まる気か。


「どうぞ」

「お邪魔します」


 南は部屋に入ると、2段ベッドの上を見て、「そこ借りてもいい?」と言うので無言で頷く。

 いそいそと枕とタオルケットを放り入れ、短いはしごを登った南は少し緊張したような面持ちで小さく体育座りで待機の構えだ。

 そんな様子を部屋の椅子から眺めながら、今更私が電話を聞いていていいものかと思った。とはいっても、部屋を出て他に行く場所も用もないし、そこまでしてやる必要があるのかといえば、微妙なところだ。

 私は多分、まだ少し南に怒っている。


「私、イヤフォンでもしてようか」

「ううん、いい。高野も聞いてて」


 それでも一応の配慮として聞いてみたが、あっさり許しが出た。むしろ話し合いの行く末を聞いておいてほしいらしい。

 私が聞いていたところで何かできることがあるのかは謎だが、もしかしたら南自身、冷静に話し合いができる自信がないのかもしれない。そんな状態ならいっそ話し合いなんてしなければいいとも思うが、ここで変につついても仕方がないので黙っていることにした。


 そもそも、何を話し合うというのだろう。

 今回は南が我慢すればいい、といえば少し冷たい言い方かもしれないが、でもまぁ南が遠慮を覚えればいいだけの話ではある。と思う。

 それでは納得ができないから、落としどころを見つけようという話だろうか。


 そうこう考えていると、南が握りしめていたスマホが震えた。寿だろう。

 ふー、と深呼吸してから、南は電話に出る。


「もしもし。ごめんね、疲れてるのに」


 出だしは良い感じだ。少し心配していたが、南は落ち着いているように見える。

 始まった話し合いの内容は、おおよそ予想していた内容とあまり変わりはなかった。


 放課後二人の時間がないのが寂しい。校内でも寮内でも、少し避けられているような気がする。もっと二人で話したい。こう思うのは悪いことなのか。


 聞いておいてと言われたものの、手持無沙汰なのが嫌で適当に漫画を引っ張り出してぺらぺらとページをめくる。一応、南の声に意識を傾けているので、漫画の内容はびっくりするぐらい入ってこない。


「高野と高坂は、普通に話してるじゃん」


 おっと。自分たちの名前が出て、小さなデスクライトで読んでいた漫画のページから、電話中の南へ視線が移る。

 他と比べるのは、よくないぞ。と心の中で南に念じてから、どの口が言うのだろう、と自分で自分に呆れてしまう。

 寿と付き合った南が幸せそうで、それが羨ましくて、高坂を利用した自分が。

 そもそも。もし、これで、寿と高坂のスタンスが逆だったら。私はきっと、今も南に対して下らない嫉妬心を抱いていたのではないか。


――なんて考えているところで、ガンッと鈍い音が響いた。


 ぎょっとして立ち上がると、ベッドの落下防止の枠(というのかわからないが)を蹴りつける南の足が見えた。


「ヒロくん、私のこと好きじゃないの!?」

「ちょ、南」


 まぁまぁの声量である。

 はしごを登って覗くと、泣きそうな南の目と目が合う。というかもはや泣いている。号泣だ。

 南は私の顔を見てはっとしたあと、くしゃりと顔を歪ませて言葉にならない嗚咽を上げる。これ以上の話し合いは無理だろう。とりあえず落ち着かせなければ誰か来かねない。


 南の持っているスマホを取り上げる。


「寿? 高野だけど」

『あ…』

「多分南もう話せないだろうから…」

『…うん、ごめん。迷惑かけて』

「ううん、大丈夫。南は任せて。じゃあ、切るね」


 心底疲れた声の「ありがとう」という一言を聞いて、通話を終了する。

 電話を取り上げられて怒るかと思ったが、南は枕に顔を埋めて泣いている。小さな子供のように体を縮め、蹲って泣く南にそっとタオルケットをかけてやる。

 つけていたベッドのヘッドランプを消して、南のスマホは枕元に置いておく。


 今はそっとしておいて方がいいだろう。

 はしごを降りて、自分の寝床に潜り込む。上からは、南のすすり泣く声が聞こえる。

 途中までは順調だと思っていた。どこから雲行きが怪しくなったのだろう。寿の何かで、スイッチが入ってしまったんだろうか。


 特に何かをしたわけではないのに、どっと疲れてしまって、南の嗚咽に居心地の悪さを感じながら、私は眠りについた。


 

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