第6話 予感


 学生寮では原則として、上級生が寮生活に不慣れな新入生の面倒を見る、という名目で全室二人部屋となっている。

 本来であれば先輩がいる自室のど真ん中で、私は仰向けになって意味もなく天井を睨みつけていた。

 この部屋には私しかいない。入寮当時、ペアを組んだ先輩は半月前にしれっと寮からも、学校からもいなくなっていた。詳しい事情は知らないが、この先1年肩身の狭い思いをしなくていいので、他の寮生が羨む中、悠々と一人部屋生活を謳歌している。


 苛立ち半分、単純に部屋の電気がまぶしいのが半分、で顰め面をする私の顔に、ふっと影が落ちる。

 クラスメイトの景井未希かげいみきだ。


「南ちゃんと美琴みこと、ケンカしたの?」

「…南が勝手にキレて、それに私がキレてる」

「ケンカだぁ」


 放課後の部室爆発事件から数時間。

 南は徹底的に私を避けている。

 そう簡単に機嫌が直るとは思っていなかったが、夕飯時はもちろん、風呂の時間でさえもわざわざ未希に頼んで代わってもらっていたとは思わなかった。寮の風呂は大浴場のような広いものではなく、シャワーが2つある浴室が男女各1室ずつあり、スムーズに入浴を行うため、二人一組で入浴時間を決められている。それぞれの都合で各々が順番を入れ替わったりすることは珍しいことでもないが、揉めたその日の内に浴室で二人きりになるのが嫌だったのだろう。


 気まずいのはわかる。けれど逆にいえば、風呂場で二人きりというのは仲直りをするチャンスだったのではないか。それを、他の人を巻き込んでまで失くしてしまうなんて。

 私も自分の言い方が悪かった自覚はある。私だけが悪いとは決して思ってはいないが、この先ずっとぎくしゃくするのは避けたい。


「ごめん、未希。巻き込んじゃって」

「んーん。別にお風呂の時間ぐらいいつでもいいし」


 ちなみに夕飯は一人で食べていると勝手に高坂が来た。高坂には簡単に事情を説明したが、寿には黙っておいてもらうことにした。自分の知らないところで、勝手に自分が原因で彼女とその友達が揉めてるなんて知ったら、彼は気に病んでしまうだろうから。


 夕飯も風呂も点呼も済み、消灯時間までのフリータイム、いつもなら先輩が不在であることから1年女子組の溜まり場と化していたこの部屋には、様子を見に来てくれた未希以外誰も来ない。

 南は南で、誰かに私のことでも愚痴っているのだろうか。願わくば、事実が歪曲して伝わっていませんように。


「…私って、言い方キツい?」

「えー? そうねぇ。キツいっていうか、美琴は正論をぶん投げてくるよね」

「うん」

「そんなのわかってるよ! でもどうにかしたいんだよ! ってなるんじゃないの」


 わからん。

 わかっているなら、それが答えなんじゃないのか。

 南の場合でいえば、寿はテニスの練習で疲れているから、放課後南に付き合うだけの余力がないんじゃないのか、というのが私が南に突き付けた意見であるわけだが、これのどこが南にとって私が南の味方をしていない、になるのかもわからない。

 仮に私が南の敵だとしたら、寿はとっくに南に愛想をつかしているだけだとか、もっと南の不安にさらにナイフを突き立てるような真似をするだろう。敵なのだから。


 わかっているうえでどうにかしたいと言われても、私が直接寿にアクションを起こすのは違うだろうし、それで解決する話なら南もあんなに深刻に悩まないだろう。


 結局のところ。


「ただ聞いてほしいってだけかぁ」

「それが正解だね」


 なんて面倒くさい。そう思ってしまうのは、私がまだ恋心というものをよく理解していないからだろうか。

 私が高坂に、寿に対する南と同じくらい恋をしていたなら、南の話も”わかるよ”と頷きながら聞いてあげることができたのだろうか。

 なら、私は高坂に恋をできていないのだろうか。それとも高坂が、そもそも私を悩ませたり不安にさせたりする行動を取らないでいてくれているから、私はこうやって平和に、穏やかに恋人関係をやっていけているのだろうか。

 きっと、後者だろうな。時々理解ができなさすぎて怖くなる瞬間もあるにはあるが。


――コンコン


 私がぐるぐると思考を巡らせていると、軽いノックの音が響いた。

 大の字で寝転がる私の代わりに、未希が返事をしながらドアを開けてくれる。

 「おぉ」と少し驚いたような未希の声に、私が頭を持ち上げて扉の方を見やると、そこに立っていたのは問題の悩める乙女、南だった。


 反射的に嚙みつきそうになる私を察した未希がにこりと笑顔で釘を刺してくる。これ以上拗らせるなという圧だ。

 私は体を起こし、南が座るスペースを空けてから「入れば」と声をかけた。やや棘はあるかもしれないが、セーフだろう。南がおずおずと部屋に上がる。


「…高野、ごめん、あの…放課後」

「……うん。いや、まぁ私も言い方悪かったから…ごめん」


 実際に謝られると、それまで唸り散らしていた私の中の怒りは、初めからなかったかのように静かに消えていった。

 私自身も、ごめんと言葉にできたことで、ようやく南と目が合う。横で見守ってくれていた未希が、ぱんっと軽い音を立てて空気を切り替えるように手を叩いた。


「はい、仲直り。よくできました!」

「未希もごめん~、お風呂代わってもらって…」

「そのくだりもうやったからいいよぉ」


 南からも未希へ巻き込んでしまったことへのお詫びが済んだところで一件落着。

 かと思ったが。


「で、ごめんなんだけどさ。高野、あとでこの部屋貸してくれない?」

「……なんで?」


 南が部屋着のポケットからスマホを出して言う。


「ヒロくんと話したくて」


 一難去ってまた一難とはこのことか。

 嫌な予感がして、助けを求めようと未希を見たが、未希が私と目を合わせてくれることはなかった。


 

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