第4話 不穏


「高野はバイトとかしてないの?」


 翌日の土曜日。誰もいない寮の食堂で、私と高坂は向かい合って授業の予習をしている。もともと勤勉な方ではないが、いかんせん周りにカラオケもゲーセンもないとくれば、やることは限られてくる。スマホで時間を潰そうにも、Wi-Fi環境なんて整っているわけがないので、1日中使っていたらあっという間に通信制限に引っかかるのがオチだ。


「やってない。この辺でバイトできるようなとこ、ある?」

「この辺は知らないけど、久保とか土日だけラーメン屋のバイト行ってるんだって」

「ふぅん」


 俺も何かバイトしようかなぁ。そうぼやく高坂の手は、かろうじてペンを握っているものの、それがノート上を滑ることはない。

 どうせなら食堂で一緒に予習しよう、と言い出したのは高坂の方だった。意外にもしっかり勉強するタイプだったのかと思ったが、そうでもないらしい。カップルらしく一緒に過ごしたい、プラス、私の予習して過ごすという予定に合わせてくれたのだろう。


 カップルらしく。一緒に。

 私はこういうのが、やりたかったのだろうか。


「高坂って、私のことちゃんと好きだったんだ」

「え? そりゃまぁ」

「…でも、普通引かない? 友達に彼氏ができたのが羨ましくて、付き合おうとか。しかも私一回断ってるし」


 改めて言葉にすると本当にひどい。だというのに、高坂はあっさりとOKしたあと、こう言ったのだ。


――やっぱ高野のこと好きだわ。


 いまだに信じられない。自分に好意を抱いてくれるのは素直に嬉しい。だって、高坂は最初から誰でも良くて私に声をかけたわけではなかったのだ。私のことが好きだから、私に声をかけた。その事実は確かに嬉しいはずなのに、手放しで喜べないのは高坂の思考回路があまりに予測不能で理解できないからだろうか。


「どこが、好きなの?」


 面倒くさい質問だろうか。でもこれは、気になっても仕方がないと思う。

 どうしても私と付き合いたいと思うくらい、好きだった?

 最初の告白を断ったとき、あのあっさりとした反応は、私が気にしないための優しさだったということなのだろうか。


「シンプルに顔が好み」

「は」

「あとはー」


 高坂の瞳がじっと私を見つめる。

 なんとなく、顔を見ているのではないと思った。

 なんというか、もっと、私の。


「俺と高野って、ちょっと似てるとこあると思ってる」


 どこが? という言葉は、ぐっと静かに飲み込んだ。



***



 私と高坂が付き合っているということは、休み明けからじわじわとクラスメイト達に広まっていった。高坂はできるだけ私と一緒にいようとしていたし、私も無理に隠す気もなかったため、当然といえば当然である。

 オブラートに言葉を包んで、癖の強い生徒が多いこの学校内で、多少なりとも下らない野次が飛んでくることも少しは覚悟していたが、不思議と必要以上に揶揄われることはなかった。

 高坂の対応があまりにもさっぱりとしていたからだろうか。俗にいう陽キャでは決してないが、上手く言葉にできない怖さというか、何を考えているかわからなくて怖い、という高坂の印象は、私以外の生徒も同じように抱いているらしかった。


「やっぱり高坂のこと気になってたんじゃん」

「気になってたというか…」


 自分の目に狂いはなかった、とでも言いたいのだろうか。南は妙に誇らしげな顔で私を見ている。

 もちろん南は私と高坂が付き合うことになった経緯をよく知らない。君に彼氏ができたから、羨ましくて一度振った高坂に交際を申し込みました、なんて言えるわけがない。


「高野から告白したの?」

「…えーっと」

「俺が高野に告白したー」


 どう答えるのが正解なのだろう、と答えを濁していると、唐突に救いの手が差し伸べられた。噂の高坂ご本人である。


「えっ、そうなんだ。ねぇ、高野のどこが好きなの?」

「ねぇ南めんどい」

「高野うるさい」

「はは、仲良いね。別に答えてもいいけど、俺高野と自販機デートしたいんだよね」


 自販機デート。なんてことはない、外の自動販売機に一緒にジュースを買いに行くだけだ。1日1回、どこかのタイミングで高坂はこうして私を誘いに来る。


 好かれているな、と思う。

 付き合ってまだほんの数日しか経っていないが、彼氏としての高坂は、私の想像以上に、私の理想だった。


 高坂は私への好意を隠さない。かといって、絶対にしつこくもしない。恋人としての距離感を丁寧に模索してくれている。

 付き合っているのだから、同じだけの好意を返せと見返りを求めてくることもない。あくまで自分がしたいように、しているだけというスタンスを崩さない。


「お邪魔ってことかぁ」

「南には大哉がいんじゃん」

「ヒロくんは高坂みたいにオープンじゃないから」


 南が窓際の席で他の生徒と話す寿を見る。寿は、南を見ない。オープンじゃない、というのは、付き合っているということを隠したいということだろうか。

 とはいっても、2人でいることを避けるだけで、複数人いるグループ内では寿だって普通に南と話しはする。けれどそれでは物足りないのだろう。

 高坂が周りを気にせず私のところへよく来ることもあって、余計にそう思うのかもしれない。


(南は、私が羨ましいんだ)


 ああ、これか。

 私は、これが、欲しかったのか。こんな、汚い。


「ま、大哉は恥ずかしがり屋だからな」

「そうね…てか休憩終わっちゃうよ、いってらっしゃい!」

「あ、うん」


 南に手を振られ、歩き出した高坂に続いて、私は逃げるように教室を後にする。

 気づかれたくない。こんな、こんなくだらない優越感を欲しがっていたなんて。私は南と同じようになりたかったんじゃない。南の上に立ちたかったのだ。なんて、下らない。


「南がかわいそう?」

「……え?」


 少し前を歩いていた高坂が、私を振り返る。

 一瞬何を聞かれたのかわからなかった。上手に取り繕うこともできない私を見て、高坂はなぜか満足そうに笑っている。


「俺は高野のそういうとこ、好きだよ」

「どういう…」


 高坂が手を伸ばして、私の頭をくしゃりと撫でる。

 ひどく優しい手つきに心臓がどくどくと脈打つのがわかる。

 けれど多分、これはその仕草にときめいているだとか、そういうことではなくて。


「性格わるいとこ」


(こいつ、やっぱりめっちゃ怖い)


 もう高坂に対して失礼だとか、そういう感情を抱くこともなく、ただただ確信した。


 私は学校も、彼氏にする人間も、間違えたのだと。



 

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