第3話 冒頭
最初は控えめだった南の寿お惚気話は、カミングアウト2日後にはもう聞いている側をげんなりさせるには十分すぎるほどの威力をもつほどになっていた。
寿と全く関係ない話をしていたはずなのに、二言目にはヒロくんが、ヒロくんは。これは最早そういう才能を持っているのではと疑いたくなるほど、器用に全てを寿に結び付ける。
さすがに寿が一緒にいる場では度が過ぎると諫められるためか、自分の世界の中心が隣にいるからか大人しくはなるものの、恋の影響力とは末恐ろしい。
とはいっても隣の芝生はなんとやら。
私がひた隠しにしていた羨ましいという気持ちは、見て見ぬふりを続けるにはやや大きくなりすぎていた。
(高坂はまだ、私のこと好きかな)
気づけばそんな、恋よりも醜く歪んだ思考が頭の隅で仁王立ちするようになっていて、メッセージアプリで高坂の名前を表示させては消す、を繰り返している。
付き合おうと言われて、高坂じゃないと思って断ったのに、なんて都合のいい女なのだろう。好きとまで言われていないのに、都合よく捻じ曲げて認識しているあたり、私が高坂の立場なら、これからも仲良くしようという前言を撤回したくなる。
ただでさえ、寮でも、学校でも、挙句の果てには部活動も同じなのだから、やっと薄れた気まずさをもっとひどく拗らせかねない。
全校生徒100人にも満たない狭すぎるコミュニティの中で、こんな早い段階から学校生活に支障をきたしかねない要素を生み出すのは避けたい。
と。頭では理解しているのに、前触れなく感情は爆発する。羨ましい、妬ましい、幸せそうな友人にこんな感情を抱いて、認められずに隠してきた醜い怪物みたいな自分が抑圧された分どんどんその存在感を大きくしていく。
”金曜日、ちょっと話せない?”
大丈夫。怪物が耳元で囁いた。
私が恋をするならと考えたとき、思い浮かべた相手が高坂じゃなく、寿だからといって、寿はもう人のものになってしまったんだから、これは仕方のないことだ。
高坂とだってきっと恋ができる。あのときは、寿が南と付き合うなんて分からなかったんだから。知ってたら、きっと高坂の申し出を受けてたはずだから。
本当に寿に恋をしてしまう前でよかったじゃないか。タイミングが悪かっただけ。きっと高坂だって誰かと一緒にいたいから、恋人が欲しいだけだろうから、私は同じことをするだけだから。
やり直すだけだから、悪いことをするわけじゃ、ないのだから。
”いいよ”
自然と唇が弧を描く。
きっと高坂は金曜日の放課後も、同じ言葉を言ってくれるはずだと、思えた。
***
金曜日は、雨が降っていた。
平日は寮で過ごしている生徒も、週末には自宅に帰る生徒が多い。事前の届け出は必要だが、却下されることはまずない。そもそも、好き好んで不便極まりないこの環境に残りたがる生徒は少ない。
それでもちらほらと寮で過ごす生徒もいなくはない。私だってそうだ。なんだかんだ言ったものの、慣れてしまえば寮での生活の方が、自宅より私にとっては良い環境といえた。
高坂は基本的には帰宅組だが、今回は残るようだった。家の都合か、気まぐれか。まさか私が理由ということはないだろう。帰るなら早めに、とも思ったが、残るのであれば人の目が少ない時間の方が良いだろうと考え、あらかた生徒が帰ったタイミングで高坂を商店の前に呼び出した。
ただでさえ少ない客足が、雨でもう来ないと踏んだのか、商店の引き戸は施錠されており、”本日はお休み”の貼紙が掲示されている。
商店の軒先は雨宿りするには頼りなく、中途半端に濡れるのも嫌なので、傘を差したまま高坂を待つ。
小雨程度だった雨粒は、やがてぱらぱらとはっきりとした音を立てるほどに大きくなっていた。これ以上強くなりませんように、薄暗い空を見上げたところで、視界の端に高坂が現れる。
「よぉ」
「…ん。ごめん、雨の日に」
「んーん。どした?」
高坂は狭い軒先に体を滑り込ませると、差していた傘を閉じた。傘が邪魔だと思ったのか、この頼りない軒先で雨を凌ぐのは十分だと思ったのか。
こちらに向き直る高坂と目を合わせづらくて、私の視線は雨粒が落ちていく地面を向く。予想がついているのか、何も気づいていないのか、高坂はどうにも何を考えているのかわからない瞬間がちらほらある。
「やっぱり付き合わない?」
口に出してから、急に怖くなった。言ってしまった。今更撤回などできない。高坂はどんな顔をしているのだろう。自分で、顔を見られないように下げた傘の下、ざり、と高坂の少し汚れたスニーカーが地面を撫でるのが見えた。
やはり、あまりにも都合が良すぎた。1週間前、同じ場所で彼を振っておいて、何を言っているのだろう。ひどい女だ。自分でもそう、思う。
不意に、傘で狭かった視界が広がる。
高坂が私の傘を上げて、こちらの覗き込んでいる。ぐ、と息が詰まる。
「理由を聞いてもいい?」
それは、至極真っ当な疑問だろう。
高坂の顔は想像していたよりも落ち着いていて、じわりと手のひらに汗をかく。私は、高坂がどう思うと思っていたのだろう。まさか、喜んでくれると? それはあまりにも、あまりにも高坂という一人の人間を軽視している。
咄嗟に嘘を吐こうと思って、やめた。
自分が最低な人間であるということを隠す気になれなかった。
「友達に、彼氏ができたから」
「……は?」
高坂は一瞬目を丸くして固まった。
直後。
「…ふ、あははっ! ひっ、ひひ、ははは!」
弾かれたように笑い声をあげた。
今度は私が目を丸くする番だった。
高坂は困惑する私には目もくれず、文字通り腹を抱えて大笑いしたあと、笑いすぎて涙の滲む目尻を指で拭った。
「いいよ」
「え」
「付き合おう」
咄嗟に、言葉が出なかった。
高坂は目を細めて猫のようににんまりと笑う。
「俺、やっぱ高野のこと好きだわ」
高坂が何を考えているか、びっくりするぐらいわからなかった。
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