生きててくれてありがとう

まさか、と思った。


無事を確信してはいたが、いざ目の前にすると言葉が出てこない。

ああ、ああ・・・泣きながら母に抱き着く。


こんなに小さい体でよくぞ無事でいてくれた。

差し迫った状況下で、よくぞ最善の判断をしてくれた。



「親父は、親父は無事なのか?」


「無事、無事。自衛隊のヘリで日赤に搬送されて、そのまま入院してたよ」



やはり、頭上を飛んで行ったのは両親が乗るヘリだった。

津波の勢いで基礎から90度回転した自宅の二階で一晩過ごし、

翌日朝に中学校へ避難したそうだ。


「お父さん体調急変しちゃって、それでヘリ搬送してもらったの。

 中学校までの避難は、通り掛かった若い人に担いで貰って、なんとかね。」


食道・胃・肺。転移ではなく個別発症。

抗がん剤治療を重ね、身体が弱っていた親父。

そんな親父を運んでくれた名も無き英雄に、心から感謝を表したい。



山上の叔母宅へ母を送り、その足で駅前へ向かう。

駅前は幾分水位が下がり、歩道橋から車を出せる位になっていた。


フロアが水浸しにはなっているが、動けるうちは動かそう。


母を乗せ、山を下りて日赤へ向かう。

大街道は泥と瓦礫とパルプにまみれ、多くの人が行き交っていた。

多くの人が車に目を向け、中には目の前を遮って「乗せろ!」という輩もいた。

・・・悪いが、自己中に構っている暇はない。


湊地区から内陸部、蛇田の端っこに移転していた石巻赤十字病院。

移転時には反対運動が激しかったが、結果的にココで良かったのかもしれない。

親父を探しに河口部の市立病院にも足を運んだが、惨憺たる状況だった。

大型病院がまるで無い状況だけは回避できたという事か。


搬入された患者さんのご家族だろうか、もしくは避難者も含まれているのだろうか。

待合スペースは多くの人で溢れていた。


エレベーターに乗り、東棟の上層フロアを目指す。

走り出しそうになるが、お袋も一緒という事を思い出し、努めてゆっくり進む。


・・・ココか。


個室病室の前に辿り着き、親父の名札を確認する。


搬入はされたものの、意識はどうなのか。

怪我はしていないのだろうか。

まだ自分で歩ける状態なのだろうか。


深呼吸をし、開け放たれたままの入り口から中に入った。



「・・・おぉ・・・無事だったか・・・・」


涙を堪えられない。


「親父・・・!親父・・・!」


泣き叫びながら、親父に飛びつく。


こうやって親父に抱き着くのはいつ以来だろう。

小さい頃はいつも抱っこをせがんでは困らせていたっけ。


数十年ぶりに抱き着いた親父の体は、想像していた以上に細かった。

ガッシリした身体だったのに、ここまで細く小さくなってしまっていたのか。


二人とも無事でいてくれた。

細く小さくなってしまっていたが、この腕にしっかりと温もりを感じられた。

絶対に離すもんか。



生きててくれて、ありがとう。

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やっぱり離れられないんだよな。 はぁふ・くうぉうたぁ @half-quarter

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