おじさんは、NTR趣味。~コンビニ帰りに回り道なんて、しなければよかった~

よこづなパンダ

おじさんは、NTR趣味。

 金曜の夜。

 日付は、あと少しで翌日へと変わろうとしていた。


 コンビニで、足りなくなったビールを買う。普段は真面目であると自負している俺にも、1人でヤケになって飲みたい日くらいある。


 25にもなって彼女いない歴 = 年齢なんて、今更恥ずかしくて口にすることはできない。だが、こんな俺にだって人並みにはそういう欲求があるし、将来は好きな人と結婚して、幸せな家庭を築きたいと思っている。

 まだ老け込む年ではないと自分に言い聞かせているが、アラサーとして、世間ではおじさんと言われる人々の中に片足を突っ込みつつあることに、ときどき嫌気は差すけれど。




 深夜の少し肌寒い風に吹かれたせいで、酔いもすっかり醒めてしまい、頭の中がスッキリしてしまった俺は、このまままっすぐ帰るのもなんだか少し勿体ない気がして、帰りは遠回りすることを選ぶ。


 歩きながら、同僚のとある女性の顔が浮かぶ。―――冷えた頭で浮かんでくるのがそれなのだから、恋、というのは本当にどうしようもないな。




 入社1年目の小夜水さよみず 花蓮かれんさん。


 一目惚れだった。

 薄めの化粧にもかかわらず整った顔立ちで、仕事の邪魔にならないよう纏められた長い黒髪はサラサラの真っ直ぐで、社会の荒波にもまれる前の純粋さを感じさせる。


 偶然にも彼女の教育係に任命された俺は、初めは正直、自分の幸運さに戸惑った。が、すぐにこれはチャンスと捉えると、仕事を教えつつ、少しずつ彼女との距離を近づけていった―――つもりだ。


「私、恥ずかしいのですが、この年で1度も彼氏いたことないのですよ」


 それは、ふとした会話の中で「修哉さんはモテそうですよね」と言われた俺が、「先輩に対してお世辞はよせよ」と軽く注意したとき、小夜水さんに言われた言葉だ。

 今でも俺は、目線を斜め下に向けながら呟いていたあの日の彼女の表情が忘れられない。


 あの言葉にどんな意味があったのか。何度も何度も考えたが、答えは見つからなかった。

 しかし、あの日から彼女のことを―――より一層、そういう対象として意識するようになってしまったことだけは確かだった。


 彼女は社交的でないというわけではないが、どちらかといえば奥手な性格だ。マイナス思考な俺は、あの日の言葉をきっかけに、下手にアプローチをすれば彼女に引かれてしまうのではないかと危惧した。


 だから……俺は思い切って、上司の笹澤さんに相談した。


「独身の俺に恋愛相談とは、良いご身分だな!」


 そう言いつつ、気さくな笹澤さんは親身になって俺の話を聞いてくれた。てっきりあの年齢なら……と思っていた俺は、無神経な自分を責めて、申し訳なさから思わず謝罪してしまいそうになったが、むしろそれは逆効果な気がして止めた。


 笹澤さんは独り身であることをさほど気にしていないようだった。勿論、俺を気遣ってそう振舞ってくれたのかもしれないが、あれだけ容姿が整っていて独身だなんて、特殊性癖の1つや2つでも持ち合わせているのではないかと邪推してしまうレベルだ。―――それこそ失礼な話だが。


 笹澤さんに相談したことで、俺の気持ちは幾らか晴れた。彼からのアドバイスもあり、この1ヶ月の間は、それこそ着実に小夜水さんとの距離を縮めることができたと思う。


 だから、今週末は思い切って、小夜水さんを某アトラクション施設にでも誘ってみるつもりだ。―――いや、いきなりだと迷惑になるから来週末の方が……あー、なんで今日の職場で声を掛けられなかったかな……なんて、今日のヤケ酒の理由でもある、相変わらずヘタレな自分に辟易しつつも、この胸の高鳴りにどこか幸福を感じていた。


 そんなことを考えながら夜の散歩を楽しんでいると、普段は立ち入ることのない公園の前に来ていた。ここを横切れば、俺の自宅がある住宅街へと辿り着く。


 誰もいない公園なんて寂しいものだなと思いつつ、俺はその中へ足を踏み入れる。少子化が進み、安全面がうるさくなった今では、かつてあったはずのシーソーやらブランコやらは軒並み撤去されており、これでは日中も案外閑散としているかもな、なんて想像して1人、苦笑する。


 だが、そんなとき―――微かに近くから人の声が聞こえた気がした。

 僅かな音だったが、俺の耳にはよく響いた。


 俺は咄嗟に、よく響いたその理由を、夜の静けさにあると考えた。……そう考えたことに、したかった。


 しかし、素直な心臓の鼓動は速くなる。俺は、声のした方角を振り向かずにはいられなかった。


「……んっ……」


 女性の綺麗な声だった。確かにもう一度、聞こえた。聞き間違いではなかった。


 怖くなった。


 その声は俺がよく知る声にとても似ていた。いつにも増して艶やかなその声は、しかし、到底俺のよく知る人物から発せられるとは思えなくて。




 ドサッ




 ―――次に聞こえたのは、コンビニのビニール袋が地面へ落ち、中からビールの缶が転がる音だった。


 長く真っ直ぐな黒髪はそのまま下ろしており、膝丈ほどの桃色のスカートは、深夜に出歩くにしては少し寒そうだった。

 だが、よく似合っていた。スタイルの良い彼女なら、職場でのパンツスーツよりも断然スカートの方が似合うと思っていた。いつかそんな彼女の私服姿を見てみたいと密かに思っていたが……まさか、こんな形で願いが叶うとは思わなかった……


 男と唇が重なる。

 男の手が、彼女の白い素足を伝い、桃色のスカートの裾を掴む。

 女の方は今にも倒れてしまいそうな体勢になり、思わず公園の塀に背を預ける。


 男の方も、見覚えがあった。


 まさか、と思ったし、信じたくなかった。


 ―――まあ、他人の恋愛相談に乗れるくらいの人だ。さぞ、そういった経験も豊富なことだろう。




 ハハハ……




 俺は馬鹿だ。

 この数ヶ月、何をやってたんだろうなって思う。何に胸を高鳴らせていたのか。


 馬鹿馬鹿しい。


 やがて現実が頭の中に入り込み、情報過多でショートでもしたのか、何も思考ができないほどに頭の中が真っ白になってゆく。

 そして、それと反比例するように、目の前の真っ白で純粋だと思っていた彼女は……


 俺の知らない色に染め上げられて、汚れていくように思えた。




 ―――いや、美人な彼女のことだ。恋愛経験がないなんて嘘を、俺はなぜ信じたのだろうか。

 きっと彼女は、元々そちら側の人間だったのだ。男が身体に触れることを簡単に許してしまうような、俺とは住む世界の違う人。……当たり前だろ。誰かに好意を向けられて嫌な人なんていない。


 笹澤の、俺からすれば過剰なまでのスキンシップは続いた。

 また、キスをした。


 それでも―――小夜水さんは叫ばない。逃げない。


 それはつまり、抵抗する意思がないことを示していて……




 嫌だった。これ以上、こんな光景を脳裏に焼き付けたくはなかった。




 だから俺は、気づけばその場から走り出していた。

 俺の足音が、彼らに聞こえることも気にせずに。


 足元はフラフラで、走り出して早々に転びそうになる。―――それはきっと、先程まで飲んでいたビールのせいだろう。


 惨めだった。物音に反応した笹澤がこちらを振り返っており、バランスを崩した俺と目が合ってしまった。奴はうっすらと笑みを浮かべていた。




 俺は負けたんだ。


 悔しくて、この場にいることが恥ずかしくて。




 ―――だから俺は、去り際に見せていた小夜水さんの瞳から零れ落ちる涙に、気づくことができなかった。











 帰宅と同時に、自室のベッドに倒れ込む。

 手ぶらで帰ってきて、俺は一体何をしに出掛けていたのだろうか。


 ふと疑問に思ったが、それはきっと忘れるくらいにどうでも良いことだったのだろうと思い直し、思考することを諦める。


 ―――ベッドの枕は、気づけば涙で濡れていた。


「……花蓮……」


 呼んだことのない女性の下の名前を、何故か口にしてしまう。


 枕を叩くと同時に、笹澤から譲り受けた某アトラクション施設のペアチケットがひらひらと落ちる。


 奴は一体、俺にどんな気持ちでこれを授けたのだろうか。


 意味が分からない。

 親身になって話を聞いてくれていた意味が。

 俺にアドバイスを送った意味が。


 奴の助言は、今となっては悔しいが、いつだって的確だった。

 だからこそ、敵に力を貸す理由が俺には思い浮かばない。


 今日、深夜に散歩なんてしなければ、きっと俺は奴の助言通りに、近いうちに彼女を食事にでも誘って、ペアチケットの片方を渡していたことだろう。


「……くそ、く、そ……」











 真っ暗な部屋の中で、馬鹿な男の泣き声が一晩中響いていた。惨めな彼には既に、一切の気力が残されていなかった。


 しかしその頃、ベッドの脇に置かれた、修哉のスマホは振動していた。


『〇×ホテル たすけて』


 社内で問題になることを恐れて、人間関係が崩れるのを恐れて。

 ―――上司からのプライベートな食事の誘いの意図を読み違え、わざわざ私服に着替えてまでして向かってしまい、挙句の果てに大量の酒を飲ませられてしまうような、そんな真面目で純粋で臆病な女性が、奴の目を盗んで懸命に送った修哉へのSOSのメッセージは……


 愚かな自分に対する涙でいっぱいになるだけの彼の目に、映ることはなかった。






「……修哉、さん……」


 皮肉なことに、彼女もまた、ベッドの上で泣きながら想い人の名前を呼んだ。

 密室のホテルで、届くはずもない声。


 その声を聞いた笹澤が、満足そうな笑みを浮かべた理由は―――


『俺の花蓮を寝取ってくれ……お前にならできるはずだ……』


 笹澤は、想像以上に小夜水との距離を縮めた修哉に焦りを感じていた。だから今日、仕事以外では会話すらもしたことのなかった彼女との距離を、一気に縮める必要があった。


『……これでは俺が寝取っているみたいだな……』


 想い人に初めてを捧げることができなかった無念さを滲ませる小夜水の表情を見て、ふとそんな疑問が浮かぶ。動き出すのが遅かったことを反省しつつ……それでもきっと、自身の目的は果たされるはずだと安堵する。

 なぜなら、笹澤もまた、小夜水のことを愛していたから。……いや、修哉が愛していたからこそ、愛することにしたのだろうか。



 ―――とにかく、特殊性癖を持ち合わせているせいで未だ未婚である笹澤にとって、修哉のことを応援する気持ちだけは、本物だった。

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おじさんは、NTR趣味。~コンビニ帰りに回り道なんて、しなければよかった~ よこづなパンダ @mrn0309

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