第4話 依頼人の正体
「ねえワトソン君、こっちに座って僕の話をきいてくれないか。
どうしたらいいか、わからなくなった。
それで君にも、これから起こることを見てもらうために呼んだんだよ」
大晦日の夜に突然呼び出され、ベイカー街へやってきた僕に、ホームズはそういった。
かなり苛立っていた。ホームズは手がかりがない時は、はっきりそう言う。
むっつりしている時は、手がかりはあるが正しいものかどうか完全に言い切れない時だ。
「ワトソン君、君は僕のやり方をよく知っているだろう。
僕は、あらゆる方面から調査を進めた。
その結果、思ってもみなかった経緯で、証拠を発見した」
そう言うと、ちゃんと、ふたつそろったあの赤い皮の靴を差し出した。
「どこで見つけたんだ?」
「あの子の名付け親と名乗る婦人が、昨日持ってきた。
今夜の十二時に、ミス・メアリーを迎えに来ると言ってた。
彼女は今、下にいる。ハドソン夫人が相手をしくれている」
「そうか、身内が見つかったのか。良かったなあ」
「しかし、その言葉をうのみにして良いものか。かなり胡乱な御婦人で…」
「ま、失礼ね。あの子に会えば私の素性は、すぐわかりますわよ」
「ええ?」
突然室内に現れた名付け親に、僕は肝をつぶした。
「ノックをお忘れですよ」ホームズがやんわり注意した。
「あらやだ、また忘れちゃった。年かしらねえ……
ところで、あの娘はどこ? 私、約束に遅れませんでしたでしょ?」
「ええ、十二時十五分前。今お連れします。
ワトソン君、下に行って呼んできてくれないか?」
ため息混じりにホームズはそう言った。
慌てて僕は階下に降りて、ミス・メアリーを連れてきた。
「サンドリヨン!良かった、無事だったのね」
しかし、ミス・メアリーは困ったような顔をして、立ち尽くしている。
「どうしたの?貴女のフェアリー・ゴットマザー(妖精の名付け親)を忘れちゃったの?」
「フ、フェアリー・ゴッドマザー?」
僕の声は裏返っていた。
「そうなんです。この娘さんは、階段で転んで頭を打って、それ以前のことは名前も、何も覚えていないんですよ」
ホームズが答えた。
「まあっ! だから名前をいくら呼んでも返事がなかったのね。
どれ、傷口を見せてごらん。ああヒドイわ、すぐ治すわね」
名付け親さんは、しまっていた杖を出すと、ミス・メアリーの頭の上で、一振りした。
「妖精の名付け親さん!」
途端に、ミス・メアリーは水色の瞳を輝かせて、叫んだ。
「思い出したのね、良かった」
二人は、抱き合って喜んだ。
「Merce,《ありがとう》Honsieur Holmes.《ホームズさん》」
ミス・メアリーは、完璧なフランス語で、礼を言った。
ホームズもフランス語で答えた。
「さあ、帰りましょう。王子様が、お待ちかねよ」
「妖精さん、約束の時間を守れなくて、ごめんなさい。
私があんなに慌てなかったら、転んだりしなかったのに。
そうしたら、こんな騒ぎにはならなかったわ」
「しかたないわよ、ハイヒールなんて、履いたことなかったんだものね。
それにいくらあなたを行かせたくないからって、階段にコールタールを塗るなんて、王子もやり過ぎよ。
そのせいで、あなたは行方不明。
八代目のアンデルさんが教えてくれなかったら、本当に大変な事になるとこだったのよ。
さあさあ泣かないで、靴を履きかえて。
あら、どうしてそんなペタンとしたスカートをはいてるの?
膨らんでないスカートなんて最低。
本当この時代の服って、女を美しく見せるっていうセンスに欠けてるのね」
おばさんの杖の一振りで、サンドリヨンの着ていた服が、瞳の水色と同じ色の、ふんわり膨らんだドレスに変わった。
何か、型を入れて膨らませているらしい。
「さ、これで最新モードよ。ホームズさん、ではこれで失礼しますわ。お見送りは結構よ」
二人はドアを開けて、出て行った。
「あの、ちょっと待って下さい、今のはいったい……」
慌てて僕が、後を追ってドアを開けると、もう誰もいなかった。
「どこへ消えたんだ、階段を降りる足音もしなかったぞ。
結局あの娘は、誰だったんだ?」
「名前を呼んでたろう。サンドリヨン……つまりシンデレラだよ」
「はああ? あのおとぎ話の? だって、シンデレラの靴はガラスの靴のはずだよ」
「それなんだが……世界で初めてシンデレラの話を書いたのは、フランスのルイ十四世に仕えてたシャルル・ペロー(1628~1703)だ。当然フランス語で書かれてた。
ところが、フランス語の“verre”(皮)は“vair”(ガラス)と発音が同じだったので、間違ったらしいんだ。
ペローは昔からあった話を、物語にまとめただけで、原作者と言うわけじゃない。
もとの言い伝えを忠実に再現する事に努めた、ドイツのグリム童話では、落とした靴は“黄金”と書かれていたし、王子がはかりごとをして、階段にベタベタのコールタールを塗ったとも書かれていたよ。
もっとも、ガラスでも黄金でも、踊りにくいのは同じだけどね」
「現代と中世、現実と、とんでもない空想とが入り混じっている。
あり得ないよ、妖精の名付け親なんて!」
「では今見た事をどう説明する? 昔から、私には一つの信条がある。
『あり得ないものを消していけば、最後に残ったものが、どんなに信じられないような事であっても、真実に違いない』という事だ。
しかし、“妖精の名付け親”なんてものがあり得ないものである以上、どう考えたら良い? おまけに、それを認めさえすれば、全ては辻褄が合ってしまう」
「冗談じゃない、十七世紀の人間が、どうやって1902年のロンドンに来るんだよ!
リップ・バン・ウィンクルみたいにか」(*注1)
「タイムマシンという手もある」(*注2)
「空想科学小説と、現実を一緒にするなんて、君らしくないぞ、正気か!」
「正直、おかしくなってる。こんな事が現実であるなら、完全なる科学の敗北だ。
私は、かねてからの念願だった引退をして、蜜蜂でもかうよ」
「やめてくれよ、そんな理由で、引退なんてあんまりだ」
「ああでも……究極まで進んだ科学は、魔法と変わらないと言うからね。
今の電話や、蒸気機関車を見たら、昔の人は“魔法”だと思ったろう。
百年未来なら、あんな事も普通になってるかもしれない。
それに、モリアーティ教授なら、タイムマシンくらい作ったかもしれないな。
彼が死んでくれていて、本当に良かったよ。
科学は時に、人を不幸にする発明をするからね。
それに、今は全てを許し恵みを与えるクリスマスの季節。
目くじら立てるのもヤボだ。おかげで退屈しのぎにはなった。いささか疲れたけどね」
その時、時計がボーンボーンと十二時を鳴らし、新年のおとずれを告げた。
そして、その音が鳴り終わると、給仕の少年が荷物を届けに着た。
差出人は、“八代目アンデルさんの靴屋”。
切手は貼られておらず、“新年になったら届けて下さい”と書かれてあった。
【 拝啓、シャーロック・ホームズ様 。
この手紙が届く頃には、我らの妖精の名付け親が、全て丸くおさめている事と思います。貴方様が、初代アンデルさん作の、赤い皮靴の事を問い合わせて下さったおかげです。心より感謝いたします。
妖精の名付け親に、ホームズ様に何か気のきいた品を御礼に差し上げるよう、言いつかりました。
考えた末、当家の二代めが秘蔵していた、“時戻しの水薬”と“時進みの水薬”のふた瓶を贈ります。大変高価なもので、二代目はこの薬の代価として、人生の半分をタダ働きしたといわれています。
もう残り少なくなっておりますが、ホームズ様は化学分析が趣味と、妖精の名付け親が申しておりますので、この様な珍しいものなら喜ばれるかと思い、御送りしたしだいです。
ただ、何分にも二百年も前の話。青と赤の瓶のどちらがどちらの薬なのか、分からなくなってしまいました。取り扱いにはご注意頂きますように。
分析の結果が出たあかつきには、御一報いただければ、幸いです。
敬具】
「ど……どうする、ホームズ」
「ワトソン君、今関わっている仕事が終わり次第、私は引退する」
*******
(*注1)アメリカの作家、アーヴィングの書いた小説。山で小人達と一晩遊んで家に帰ると100年が過ぎていた。アメリカ版、浦島太郎。
(*注2)イギリスのH・Gウェルズの小説。1895年作品。
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