第3話 不思議な身元引受人

「そこなんだが、ワトソン君、あのお嬢さんは、この靴を右足に履いていたと言ってたね」


「そうだよ、左のほうは、探しても無かったと言ってた」


「では今、この片方だけの靴をみて、右足の靴か、左足の靴かわかるかい?」


「そんなの、形を見ればわかるに決まって……あれ?完全な左右対称になってる!」


「その通り。靴というのはローマの時代から、右足なら、左サイドにアーチをつけて、親指の付け根のところが張り出す様につくられてる。

 足というのはそういう形をしているんだからね。

 ところがヨーロッパの歴史の中で、一度だけこういう靴が、作られた時期があるんだよ。

 十七世紀、ルイ十四世の時代だ。

 ハイヒールの登場とともに、靴は歩くためのものでなく、ファッションアイテムとして、美しく見せびらかすものになり、履き心地なんて、二の次になってしまった。


 だから靴屋が左右別々の靴型を作った上、ハイヒールまで作るのは面倒すぎるので、手間を省くためこうなったらしい。

 ヨーロッパで再び左右別々の靴をみるには、十九世紀の後半まで待たなくてはならなかった。


 そんな古いタイプの靴なのに、これはどう見ても真新しい。

 材料も特殊だし、作れる人間は多くはない。

 ヒールの付け根の所に“d”のイニシャルも入っているし、僕はイギリス中の作れそうな靴屋に問い合わせてみるつもりだ。

 この靴がどこで作られたかハッキリすればそこから、なんらかの手がかりはつかめるはずさ」



 ◇


「わわわ、なんだこりゃあ」


 それから数日後、往診の帰りにホームズのところに顔を出した僕は、思わず叫んだ。

 部屋中煙だらけだったからだ。

 バーナーの青い炎の上で、ビーカーの中身が沸騰している。

 ホームズは、化学実験の真最中だった。僕は慌てて窓を開けた。


「ああ、ワトソンか。実験に夢中になって気がつかなかった。

 今受けてる仕事に必要な急ぎの薬物の実験なんだよ。

 雪が入るから、早く閉めてくれ。何か用かい?」


「用ってほどじゃないけど、ミス・メアリーの事が、気になってね。

 良い返事は来たかい?」


 ホームズはピペット管を瓶に差し込み、一滴、ビーカーに入れた。再び煙が立ち昇る。


「残念ながら、イギリスの靴屋は全てダメだった。

 そこで、フランスにも問い合わせてみた。

 リヨンの近く、フランス靴職人のメッカで、靴の博物館のあるドローム県のロマンだ。しかし、ここにも該当する靴を作ったものは、いなかった。

 でも、フランスの国境付近にあるドイツの“アンデルさんの靴屋”の八代目の店なら、作れそうだと情報が入ったので、そこからの返事を待ってるところさ」


「そうか、見つかるといいなぁ」


「みつかるさ。クリスマスには、奇跡が付き物だからね。

 もっとも明日はもう、大晦日だけど」


「忙しいようだから、今日は帰るよ。新年にはうちに来るかい?」


「今の仕事が落ち着いたらいくよ、もう少しかかりそうだ。」 


 僕は、雪の降る中帰った。



「さてと……」

 振り向いて、ホームズは驚いた。

 年配のご婦人が一人立っていたのだ。


「あら失礼! ノックした方が良かったようね。

 心配ごとで気が急いてたの、御免なさい。んん! やだ、なあにこれ?」

 ご婦人は咳き込みだした。


 ホームズが窓を開けようと行きかけると、その前に部屋の窓が勝手に開いて、突風とともに、部屋の煙が一掃された。


「やれやれ、これでやっと口が開けられるわ。座ってもよろしい?」

 ご婦人は、返事もまたずに肘掛け椅子に腰を下ろすと、同時に窓が、かってに閉まった。

 どこにでもいる、普通のおばさんに見えた。違うのは着ている服だった。靴はつま先がクルリと巻いていて、魔法使いの様なフードのついた紫のマントを、赤いリボンで止めている。

 銀髪に包まれた、ふっくら丸い顔の中で、いたずらっ子の様に黒い瞳が輝いている。



「お名前をうかがってもよろしいですか?」

 ホームズは突然の来訪者に聞いた。


「本名は言えません。でも、みんなに“名付け親さん”と、呼ばれてます。

 今日は、私の名付けの娘のことで来ましたの。

 貴方は、これと同じ靴を片方、持ってますでしょ?」


 そう言うと、マントのポケットから取り出したのは、ミス・メアリーの靴だった。


「どこでそれを手に入れたんです!」

 ホームズは二つのそっくりな靴を並べた。

 二つとも、靴底には、コールタールが乾いて付いていた。


「どこも何も、これは私がアンデルさんに作らせて、あの娘にあげたものですよ。

 あの娘ったら靴片方残して、行方がわからなくなってしまって。

 貴方が八代目に、問い合わせしてくれたので、やっとここにたどり着いたんです。

 あの子は今どこにいますの? 連れて帰りますから。

 隠したり、嘘をついてはダメですよ。嘘つきは天国に行けませんからね」


「サウサンプトンです。でも、今から連絡しても、つくのは、明日になりますが」


「良かった。では明日の夜、あの娘を迎えに参ります。時計が十二時を打つ前に。

 待ち合わせとしては遅すぎますけど、私達の様な者はどうしても力が出やすい時間と、出にくい時間がありますの。ごめんあそばせ」


 そう言うと、名付け親さんは出て行こうとしたが、ドアの前で振り返った。


「ホームズさん、あの娘を見つけてくれた報酬は、何がよろしいかしら?」


「貴方が、この仕事に見合うと思うもので結構です。

 実のところ、僕のした事と言えば、靴の事を手紙で問い合わせただけですから」


「紳士でいらっしゃる。そこがイギリス人の良いところですわ。

 では、八代目に何かステキなプレゼントを送るよう、言っておきます」

 そう言うと、名付け親さんはドアを開けて出て行った。


 追いかけてホームズが、ドアを開けると、もう姿はなかった。

 階段を降りる足音はしなかったし、階段には、さっき帰ったワトソンの雪に濡れた足跡しか付いていなかった。



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