第11話 終局
やられた! 読みきれなかった。私の負けだ……。
だが、水音がしない?
押さえつけたモリアーティの目が、驚愕に見開かれ上を見ている。
私も不自由な鎧の首を回して、上を向く。
そこにあったのは、ふわふわと浮かぶ巨大な水のシャボン玉。
振り向くと、マザーがドヤ顔で立ち、五代目の手に青い瓶。
「時戻しの水薬」を使ったのだ。
マザーの奴ちょっと若返ってる、ずるいぞ!
「時進みの水薬」の水玉は、杖の一振りで、ピフ、パプ、ポリトリーの運ぶ水甕に収められ、サンドリヨンが蓋をした。
「ミッション終了」
五代目がサムズ・アップして、兎娘が周りで飛び跳ねている。
「やったな!」
立ち上がろうとした瞬間、グキッ! 腰に激痛が走る。
こ、こんな時に。動けない……。
私の異変に気づいたモリアーティは、チャンスとばかり、そばに落ちていた錆びた火バサミを拾い、ガンガン殴ってくる。
さっき年寄りの方の兎娘を摘んだやつだ。諦めが悪いにも程がある。
鎧のお陰で大丈夫だが、音が頭に響いてうるさいのなんの。
嫌がらせには十分な効果だ。誰か助けてくれー!
「いい加減に負けを認めなよ。見苦しいな、ジジイの俺は」
そこに、銃を構えた若いモリアーティがいた。
無くなった銃はあいつが持っていたのだ。
「裏口の鍵がなかなか開かなくてさ、遅くなっちまった」
老いたモリアーティは狂喜した。
「おお〜わしだ、若いわしだ。本当にいたんだ。おい、その銃でホームズを撃て、鎧の目のところなら撃てる、早くやれー」
「待って! 若いモリアーティさん願い事はない? わたしなら叶えてあげられる、だからホームズさんを撃たないで」
マザーだった。いつのまにか、みんなが私のまわりに集まってきていた。
「モリアーティ君お願いだからやめて。僕、君のこと嫌いになりたくない」
五代目が泣きそうな顔で言った。
「ドコデモ スキナトコ ツレテッテアゲル ダカラ ヤメテ」
兎娘までがそう言った。
「あ、あたしお料理なら作れます。できる事なんでもやります。ムッシュ・ホームズはあたしの恩人なんです、どうか助けて下さい」
サンドリヨンが泣きながら言った。
「ホームズさんは良いね、みんなに好かれてさ。
君がサンドリヨン? へぇー俺の初恋の彼女にそっくりだ。
それで人質に選んだのか。籠城の間さぞ楽しかったろうな、ジジイの俺。
でも残念、彼女の手料理お粥ぐらいしか食えなかったんじゃないの?」
若いモリアーティがあざけるように言った。
「うるさーい! さっさと撃たんか」
うわ、あのモリアーティ教授が、真っ赤になってじたばたしてる。
あの話、本当だったのか。
しかし、若いモリアーティは銃を降ろした。
ゆっくりと、老いたモリアーティ教授に近づく。
「兎ちゃんは、元に戻れたみたいだね。君の仮説は正しかったわけだ。さわれば良いんだよね」
「うん。でも……」
五代目が躊躇した。若いモリアーティが笑った。
「マザーにお願い、俺を生まれ変わらせてくれる? やり直したい。そして俺のジョン・ワトソンを探して親友になるんだ」
その時、老いたモリアーティが吼えた。
「何を言っとる。お前は自分を振って、他の男を選んだあの女に、何をした?
相手の男をとことん追い詰め破滅させ、自殺に追い込んだ。
だから女はお前の前から去って行った。
相手の男が消えても、お前は選んでもらえなかった。
あの女はお前がどんな奴か分かってたんだ。
欲しいものを手に入れるためならなんでもする。
『危険こそが我が喜び』、それがモリアーティだ。
お前なんか、誰も親友に選んだりするものか、この負け犬が」
「うるさい、黙れ!」
若いモリアーティはピストルを上に向けて発射した。
「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れー」
一発、二発、三発……六発全て撃ち切ると銃を投げ捨てた。
息遣いも荒い憎しみで歪んだその顔は、私のよく知るあのモリアーティの顔だった。私達はただ見ているしかなかった。
「ジジイのモリアーティ。俺はお前が大っ嫌いだ。死んじまえ!」
そう言うと、まだ火薬の匂いのする右手が、老いたモリアーティの顔を握りつぶした。
バシュ! 凄まじい水飛沫が上がり、私は後ろに弾き飛ばされた。
渦の中でふたつの体が一つに溶けあい、水の底に沈んでいく。あのライヘンバッハの滝に時が戻ったのだ。
沈みゆくモリアーティが私を見た、その顔は泣いてるように見えた。やがて水と共にその姿は跡形もなく消えてしまった。
「終わったな」
マザーにぎっくり腰を治してもらいながら、私は言った。
「ああ、一服したい。でも、もう疲れて動けない。外に行けないからダメか……」
「それなら私達が、外に行くわ。あんなに頑張ったんだからご褒美よ」
「そうですよ。ヒーローは煙草を吸う権利くらいあります」
「恩に着るよ」
私が鎧の兜を取ると、荷物を預かってくれていたピフ、パフ、ポリトリーが、銀のシガレットケースとマッチを持ってきた。
マザーが杖を一振り、ドアと窓を全て開け放した。
「換気は良くしましたよ。ゆっくり休んでてくださいな。
じゃあピフ、パフ、ポリトリー、こっちの水甕は棲家に運んで、『時戻しの水薬』の方を用意して先に南の森に届けてね。
さあサンドリヨン、南の森に隠れてる、お年寄りにされたみんなを元に戻すの。忙しいわよ。五代目もビオラちゃんも、手伝ってちようだい」
「ビオラ モリニイクアナ ホル?」
「大丈夫、南の森は近いから、少し歩きましょうね」
みんなが階段を降りていく音を聞きながら、シガレットケースを開けた。
マッチを擦る音に、不意に昨夜の若いモリアーティの顔が浮かんだ。
煙を口に含んで、輪っかを作る。一つ、二つ。天使の輪っかと彼は言った。
――生まれ変わって、俺のジョン・ワトソンを探して親友になるんだ――
涙の滴が二つ、鎧に当たってちいさな音を立てた。今日はやけに煙草の煙が目に染みる。……ところでこの鎧、一人でどうやって脱げばいいんだ?
「マザー、モリアーティ君はいつ頃生まれかわるんですか、ぼくもう一度会えますか」
五代目の言葉に、マザーは唇を噛む。
「分からない、生まれ変わりは神様の決めることだから。彼もダメだと多分気づいてた。だからわたしも返事ができなかったの」
「ビオラ アナホッテモ ダメ?」
「無理だと思うわ」
「そんな……」
サンドリヨンが泣き出した。五代目は上を向いて必死に泣くのを堪えている。
「祈りましょう。みんなで祈れば、きっと神様は願いを叶えてくれるわ」
空を仰いで、マザーは言った。
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