第12話 振り出しに戻る
「イッチャウノ?」
「うん、ここは僕のいるべき所じゃないから。僕の本当の場所に帰らなきゃ」
五代目がそう言うと、兎娘が泣き出した。紫の瞳からポロポロ涙が滴る。
二つの甕が並んで、ドワーフ達の家の前に置かれていた。側には私の家に通じる兎穴も開いている。元の世界に戻る準備は整った。サンドリヨンも見送りに来ていた。
「今日じゃないとだめですの? 明日の結婚式に、出席していただきたかったのに」
サンドリヨンがそう言ってくれたが、そう言う晴れがましいのはどうも苦手だ。
一刻も早く、私のワトソン君を連れて元の世界に帰りたい。
「お別れをしましょうね。こうするしか、ホームズさんにお友達を返してあげられないのよ」
そう言うと、マザーは甕から「時戻しの水薬」の丸い水玉をとりだして、五代目の頭の上に掲げた。
「両手を広げて、前に出して。手は初代のワトソンさんのだから、なるべく水がかからないようにしたいの」
「はい。ビオラちゃん、さよならね」
「ビオラモ イッショニ イク ツレテッテ」
兎娘は、五代目の足に縋りついた。
慌ててサンドリヨンが、ビオラちゃんを引き離す。
水に触れると、またあかちゃんになってしまうからだ。
「オヨメニ モラッテ ヤルッテ イッタ。 イッシヨウ ダイジニスルッテ」
サンドリヨンの腕の中で、兎娘はなおも叫び続けた。
「君が人間の女の子なら、ほんとにお嫁さんにしたかったよ。ごめんね――」
マザーの杖が降ろされた。水玉が弾けて五代目に降り注ぐ。
「ダメェ ビオラモ イク」
兎娘は、サンドリヨンの手を振り切って、五代目の頭に飛びついた。が――
「クサイ チガウ!」
そう言うと、飛びのいた。その姿は頭を
「ワァアアアアーン」
兎娘は泣き崩れた。マザーとサンドリヨンが慰めているが、涙は止まりそうもない。可哀想だが別れは人生につきものだ。いつかは涙が止まる日が来る、元気でな。
私とワトソン君は兎穴を通り、魔法で出してもらった梯子で縦穴を上り、無事我が家に帰った。玄関のドアが閉まった時、裏口の窓の外はやはり吹雪いていた。
まるで何もなかったかのようだった。
◇
あれから二ケ月たった。
雪は溶け、吹雪の夜の事件など、初めから存在していなかったかのようだ。
若きモリアーティは生まれ変って、無事親友を見つけたろうか。
そうあって欲しいと願うしかない。今は、穏やかな日々に感謝しよう。
そろそろクロッカスと水仙が咲き出そうとしている。蜂たちの箱を外に出す準備をしていると、ロンドンのワトソン君から電報が届いた。
『スグ コラレタシ タスケコウ』何事だ、また事件か?
◇
「わあっ、五代目! いつ来たんだ? さっきまで居なかったのに」
隣の席のトミーが悲鳴を上げた。いつもの教室、いつもの席。そうか、戻ったんだ僕は。
「何言ってんだよ、トミー。朝からずっといたよ」
「いや、でもさっきまで確かに……変だなあ?」
「気のせいだって。ホームルーム始まるよ、ホラ先生が来た」
教室のドアが開き、担任の先生が入ってきた。後ろにもう1人だれかいる。
「静かに、今日は転校生を紹介する。君、挨拶しなさい」
「ジェームズ・モリアーティです。趣味は宇宙と数式を解くことです、よろしく」
ペコリと頭を下げたその男の子は、僕のよく知ってる顔だった。
◇
「ワトソン君、何が起きたんだ、事件か?」
「それがその……ともかく入って。息子に会ってやってくれ」
列車を乗り継ぎ、馬車で駆けつけた私を招き入れたワトソン君は、すっかりやつれていた。やはり事件か、いそいでベビールームに向かう。
両開きのドアを開けて入ると、そこには――
私は思わず後退り、ドアにぶつかった。
あの兎娘がいて、ジョン・ワトソンJr.と遊んでいのだ。
「オオキクナーレ ハヤク フィフニ ナーレ」と歌ながら。
「やっぱり君にも見えるんだね。昨日突然現れたんだ。
ああやって息子と遊んだり、気がつくと僕の手にすりすりして、『ナデロ』って言うんだ。女房には見えないから説明してもわかってくれなくて。
もう、どうしたら良いのか……」
そうだあの時、五代目の手はワトソン君の手だった。
兎は鼻が利く、匂いを追ってきたのか?
いやあの時、一瞬だが兎娘はワトソン君の頭に触れた。あれで家を特定したんだ!
その時、ドアにノックの音が――
「ホームズさん、こっちにビオラちゃん来てるでしよ? そのことで相談があるのよ」
思わず二人一緒にドアを押さえた。ノックの音はドンドンと拳で打つ音に変わった。
「ど……どうする、ホームズ」
ワトソン君の悲鳴。
「聞かないでくれ!」
*******
参考文献
「シャーロック・ホームズ最後の事件・最後の挨拶/コナン・ドイル著」
「シャーロック・ホームズ百科事典/マシュー・バンソン著 原書房1997年」
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