第10話 戦い

「気持ちはわかりますけど、このままタイムパラドックスが続いたら、この世界そのものが消えてしまうかもしれない。 

 ご先祖のワトソン一世だって消えたまま、それじゃあホームズさんが気の毒だ。

 ビオラちゃんだって、サンドリヨンだって幸せになれない。僕だって、元いた世界に帰りたいんです」


「わかった。君の方が正しい」


 そう言うとモリアーティは、五代目の肩をたたき、マザーの髪の乱れをチョイと直すと、裏口に歩いて行った。


「あのまま逃げたりしないかな?」


 私が言うと、「信じるしかないですよ」と、五代目が言った。


「そうだな。ところでちょっと助けて欲しいんだが」


 五代目に後ろから押してもらって、階段を登る。まったく、登ってから着れば良かった。


 後ろに盾を持ったマザーと、からっぽの水甕を持ったピフ、パフ、ポリトリーのドワーフ達が続いた。

 だから階段を登り切った時は、全員汗だくになってしまった。

 マザーの髪は片方崩れている。どこかでヘアピンを落としたようだ。さっき直してもらったのに。


「ちょっと休ませてくれ」

 私はドアの前で思わず座り込んだ。



「待ちかねたぞ、ホームズ」

 言葉とともに両開きのドアがゆっくり片方だけ開いた。


 キッチンの家具は全て奥に運ばれ、バリケードが築かれていた。

 何故か天井からロープが沢山ぶら下がっている。その奥にヨボヨボのモリアーティがいて、ロープを握って必死に引っ張っていた。

 やがて、閉まっていた反対側のドアもゆっくり開いた。演出なら両方一度に開けた方が良かったと思うのだが、力が足りなかったようだ。


「大変そうですね」

 五代目が思わず同情を漏らした。

 老醜にも程がある。私だって、アレと一緒になりたいとは思わない。

 若いモリアーティが、心底気の毒になった。




 その頃若いモリアーティは裏口のドアの前にいた。


「鍵がかかってる。やっぱりこれが必要になったか」

 そう言うと、マザーの髪から抜き取ったヘアピンを取り出した。


「慣れない旧式の鍵だから、時間がかかりそうだな……」




「どうした、怖気付いたか。せっかくドアを開けてやったんだ、さっさと入ってこんか」


 汗だくになっている。

 こっちは、ドアが開くのを待ってるうちにすっかり汗が引いていた。


「ピフ、パフ、ポリトリーは、危ないから水甕と一緒にドアの影に隠れててね。

 ところでホームズさん、口上とか述べた方がいいのかしら?『遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ』ってやつ。お年寄りってそう言うの好きだから」

 マザーが小声で囁いた。


「私はドン・キホーテではない! 

 これは戦いですぞ。敵に気を遣ってどうするんです」


「そうだった。モリアーティさーん、サンドリヨンはどこ? 

 それに、そっちに白い兎さんもいるはずなんだけど」


「兎だと? この『年寄りになる水』を出す、びしょ濡れ毛皮のことか」


 モリアーティ教授は、錆びた火バサミで摘んで、すすけて濡れた毛皮を持ち上げた。

 それは所々毛が抜け、耳と同じくらいの長さの肉垂れが下がった、年老いて動くこともできない、元は白かったらしい兎のビオラちゃんだった。

 モリアーティはそれをポイと、前に投げた。


「イヤアアァー ウソヨ アンナノ ビオラジャナイ!」


 五代目のTシャツの襟から顔を出していたビオラちゃんは、悲鳴を上げて中に引っ込むと、五代目のTシャツの中で、泣き叫んで暴れた。


「現実から目を逸らさないで、君は強い子のはずだよビオラちゃん。必ず元に戻れるから」

 五代目が必死に励ましている。


「ダッテ アノニクダレ ハゲモアル。 アンナスガタミラレテ ビオラモウ オヨ

 メニイケナイ」


「だったらぼくがお嫁にもらってやるよ、一生大事にするから!」


「ホント?」


「約束する。だから勇気を出して自分に触るんだ。そしたら、こんな赤ちゃんじゃ無い、若くて綺麗なビオラちゃんに戻れるから」


「ウン!」


 五代目は盾を構え、ジリジリと、動けないびしょ濡れのビオラちゃんに、近づいて行った。


「赤ん坊兎が、年寄り兎に触ると元に戻る? ひょっとして、若いわしが、そっちにいるのか? つまりわしも、元通りに戻れると言う事なのか」


「そうだ、モリアーティ。だから生きるためにも、馬鹿なことはよせ」


「だとしてもわしの望みは変わらん。あの滝でやり損じた事をやるまでだ。

 ホームズ、おまえを道連れにする。

 それさえできれば、あとのことは知ったことか! 

 それにもし若いわしがいるなら、残りの長い人生を使って、わし以上に悪徳を広めてくれるだろうよ」


 モリアーティ教授が、銃を構えて私に向けた。そうこなくっちゃ、こっちも楽しくない。


「その野望砕いてやる、モリアーティ」 


 私は、ガシャンガシャンと鎧を揺らしながら、モリアーティに向かってゆっくり進んだ。

 するとモリアーティは、銃口を私から、五代目に向けたのだ!


「危ない!」


 カン! 咄嗟に、私は横に飛んで鎧で銃弾を受け止めた。

 たたらを踏んで膝をつく。

 五代目は盾の影に隠れ、マザーと自分と兎娘を守った。


 モリアーティはニヤリと笑い、二番目の紐を引いた。途端に天井から、肉切り包丁、野菜の皮むきナイフ、銀のナイフとフォークのカトラリーが降り注ぐ。

 あわてて、盾を上に向ける五代目。横がガラ空きだ!


「こなクソ!」


 私は、勢いをつけて転がり、五代目の横につけた。カン、カン、カン、モリアーティの高笑いとともに、銃が発射される。


「五代目銃を撃て! 応戦しろ」


「それが、銃がないんです。落としたみたい」


「なんだと! くそッ動けない、どうしたらいい?」


 焦る私に、五代目が囁いた。

「ホームズさん、今は耐えてください。あいつは今四発撃ってます。弾丸は六連発、あと二発。カトラリーの数だって、無限じゃない。必ず終わります」


「そうかな〜」

 モリアーティ教授が、次の紐を引っ張る。途端に今度は大量の陶磁器が落ちてきた。


「きゃー、あれマイセンのブルーオニオンよ。いくらすると思ってるのよー!」

 マザーが慌てて、魔法の杖で、食器を宙に浮かせて守った。


「マザー、魔法力を無駄遣いしないでくれ。水を集めることができなくなる」


 私は叫んだが、マザーはやめない。どんどん紐を引くモリアーティ。マザーの杖を持つ手を狙い、銃を発射した。


 カン、なんとか止めた。あと一発! 

 その時、さしもの食器群も、底をついたのか、天井からの落下物が止まった。


「もう打ち止めか?」


「まだまだ」

 そう言うとモリアーティは、床に倒れてぐったりと動けない老いた兎娘に銃口を向けたのだ。


「うおおおお〜」

 私は吠えた。ホップ、ステップ、ジャンプ!三段跳びでモリアーティに体当たり。

 バリケードの中に飛び込んだ。

 パン! 音がして、弾丸は外れて飛んでいった。最後の一発だった。


「ビオラちゃん今だ!」

 五代目の声に、兎娘が倒れたもう一人の自分に向かい走る。タッチ!


 バシュウ!凄まじい音とともに水竜巻が現れ、二匹の体が渦の中で回りながら一つになり、水から飛び出た。


「やった、戻ったぞ!」


 五代目の歓喜の叫び。大人に戻った兎娘が、その腕の中に飛び込んでいく。

 やった!モリアーティも捕まえた、あとはサンドリヨンだけ。

 その時後ろで、マザーの声がした。


「サンドリヨン、無事だったのね」


 振り向くと、マザーが両手を広げて、サンドリヨンに駆け寄るところだった。

 サンドリヨンも手を挙げる。その右手には何故かフライパンが握られていて、マザーの頭に振り下ろされた。


 カーン! ゴトッ。嫌な音を立ててマザーは倒れた。


「はっはっは。やったな、いい子だサンドリヨン。――戻れ!」


 パン! 手を叩くと、同時にサンドリヨンは意識を取り戻した。 

 倒れたマザーを見てフライパンを落とし、悲鳴を上げた。


「マザーどうして。誰か教えて、あたし何をしたの?」


「催眠術か!」


 私の声に、モリアーティの勝ち誇った声が重なる。


「その通り。この部屋のバリケードも、落下物の仕掛けも、全てあの女が作ったのさ。わしは、計画を練るのが仕事。実務は他人に任すのが常でね。

 催眠状態の人間は、リミッターが外れてとんでもない力を出すもんだが、あの娘下手な男よりよく働いたぞ。料理も実にうまかった。

 さあ、最後の仕上げと行こうか。上を見ろホームズ」


 上を向くと、昨日見たあの水盤が吊り下げられ、垂れ下がった最後の一本のロープの先につながっていた。


「時進みの水薬!」


「そのとおり。死ね、ホームズ!」 


 モリアーティはロープを引いた。2人の上に、水盤いっぱいの時進みの水薬がぶちまけられた!




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