【4】さあ、のんでだまれ

サカモト

さあ、のんでだまれ

 いつの間にか、ぼくの住んでいるマンションの最上階がカフェになっていた。

 店主はハンサムボブカットの十六歳で、三白眼の女の子だった。店は彼女が学校の終わった放課後から開店する仕組みになっている。



 夕方になると、ぼくは家を出て、エレベーターへ乗り込む。向かうのはこのマンションの最上階だった。

 両親とともに住んでいるマンションは七階建てで、ぼくの住む部屋は四階にある。

 このマンションの最上階は、もともと大家さんが、ひとフロアをまるまる使った広い住居だった。でも、いつのまにか、そこは完全に改装され、大家さんがいなくなって、代わりにカフェになっていた。

 このマンションはありふれた住宅街のなかにある。すぐそばに大きな川があって、ささやかな土手がある。四階のぼくの家からは、そんなにこの町は見通せないけど、最上階のカフェのテラスからは一望できた。

 そのフェの店長さんは、つのしかさん、といって、十六歳らしい。高校生で、同じ学校にかよってはいない、あと、学年が同じかどうかわかっていない。

 つのしかさんは、ボブカットだった。きりりとハンサムなおかっぱ頭で、三白眼に、あとはエプロン姿だった。そして、いつだって化粧が仕上がっている。高校の制服姿は一度も見たこがないし、その姿はあまり想像できなかった。

 彼女は高校の授業が終わると、最上階のカフェを開店させる。だから、カフェは昼間にはやっていない。夜の方は、いつまでやっているかはわからなかった、なにしろ、正式な営業時間帯はどこにも書いていない。

 ぼくは平日の夕方にしかマンション最上階のカフェにはいったことがなかった。その時間帯だと、だいたい、お客はぼくひとりだった。びくびくしながら、はじめて店へ訪れたとき、店内には、他にお客がいなかった。

 彼女は、あたまにハンサムボブをたずさえ、三白眼を向けて、ぼくに接客した。 

 そのはじめの彼女との邂逅が、一対一だったし、その後も、しばらくはずっと、一対一の接客がつづき、そのため、変な初期設定がじぶんのなかに入ってしまったらしく、なんとなく、平日の夕方以外に、カフェへ行こうとしないようにしている。

 もちろん、こんなものは考え過ぎだった。自意識過剰である。自意識大量生産にして、その出荷先もない。自意識をたくわえるばかりだった。

 そして今日は日曜日だった。カフェにはいかない日になる。というより、どこか、行ってはいけない日、と、勝手にじぶんで設定してしまっていた。

 さすがに日曜日はカフェも忙しいにちがいない、つのしかさんもたいへんにちがいない。なのに、そこへ、ぼくが客としてやってきて、つのしかさんに、手間をかけさせるわけには。

 と、砂糖でいえば、だいぶ、加糖気味な自意識で、その日曜日を過ごし、そして、そのままがんばって過ごし切った。

 夜になって、夕ご飯をたべて、それからお風呂その他をこなし、眠れる準備までしておいて、けっきょく、ぼんやりと起きているうちに、深夜になった。

 両親はとっくに眠ってしまった。では、ぼくも眠ろうと、部屋の最後の明かりを消す。ところが、明りを消した後で、カーテンを閉めていないことに気がついて、窓へ向かった。

 窓の前に立ったとき、なにかが目に入った。川の水面に、小さな光をみつけた。

 光が川でゆらゆら揺れている。さらに、その光はくるくるまわり、しばらくすると消えて、でも、また、光り出す。

 なんの光だろうか。光は小さく、そして、なぜか妙に惹かれるものがあった。窓を開けて、しばらく、眺めていた。

 そういうふうに気にしてしまったのが最後だった。ぼくはふと「珈琲」と、つぶやいていた。それから、誰がきいているわけでもないのに「珈琲が、のみたいです」と、宣言した。

 ああそうさ、そうだ、いまものすごく珈琲が飲みたい。

 と、こころのなかで言い放つ。

 いや、だけど、両親はもう眠っているし、珈琲を入れるためリビングで音をたてては、ふたりの安眠を奪うことになる。親不孝このうえない。

 しかたないな、ならば、外の自動販売機で買いに行こう。そうしよう。

 と、完全自己完結型の決定を胸に、着替えて、こっそり家を出た。

 エレベーターへ乗り込み、下へ降りるボタンを押す。

 月明かりの強い夜だった。ぼくは光が見えた川へ向かう。その途中で「そうだ、珈琲を飲むという名目を」と、思い出してマンションのすぐ近くの自動販売機でボトル缶の珈琲を買った。ぴっと、静かな夜の町に、音をあたえつつ、ボトル缶を手にする。

 そのとき、ふと、気配を感じた。うちのマンションからだった。

 斜め上へ視線を向けると、カフェのある最上階のテラスで、小さな光があった。

 つのしかさんだった。暗いのに、なぜかわかる。彼女が最上階のテラスにいて、そこで手に花火を持って、くるくる回っている。

 ひとり、月と夜空に近い場所で踊っていた。花火を手に、飛んだり、跳ねたり。自由いしている。

 いや、ぜんぶ、そう見えただけだったかもしれない。でも、ぼくには、彼女が、最上階のカフェのテラスで花火を手して踊っているように見えた。

 ぼくは、長い間、光を手にくるくると回る彼女を見上げていた。

 その、よくじつ。

 夕方、ぼくはエレベーターに乗って、マンション最上階のカフェへ向かった。

 店の入り口に設置された手書きメニューの看板を眺めつつ、中へ入る。

 いつも席に座ると、彼女はやって来た。

 その三白眼でぼくを見ていう。

「今日は、キミがわたしを、あっと言わせるような注文をしてくる気がする。その手があったかぁ、みたいな衝撃性のある、オーダーを」

 と、客が注文するまえに、客に注文してくる。

  ぼくは怯まず「レギュラー珈琲ください」と、いつも頼んでいるそれをオーダーした。

 彼女は「よし、黒帯に認定だ」といってきた。「白帯は卒業だ」

 意味がわからないけど、意味を追求しないでおいた。あと、そうか、白帯だったのか、ぼく。

 何の白帯なんだろう。

 それはさておき、ぼくは彼女へ聞きたいことがあった。

「つのしかさん」

「なんですか、珈琲くん」

「昨日の夜、そこのテラスで踊っていましたか、光とともに」

 そう訊ねると、彼女はしばらく真顔で見返し、やがて、眉間に深いシワを寄せた。そして、何もいわず、カウンターへ向かう。

 ほどなくして、珈琲を持ってきて、テーブルの上へ静かにおく。

 そして言った。

「さあ、のんでだまれ」

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