午前二時二十分の君 [KAC20234]

mono黒

午前二時二十分の君

この世界は一つではなく、幾重にも連なる多層構造で出来ている。

まるで合わせ鏡のように幾つもの時空が同時に存在し、同じ方向へ向かって進む。

それは並行世界、並行宇宙とも言われ、SF的にはパラレルワールドと呼ばれる物である。



□□□


「おいイエガー、お前あんま考え込むなよ?チャッチャッと仕上げちまえよ、あとたった五千文字じゃないか。何をそんなに考え込んでる」


俺の名前はイエガー・バルマン。しがない恋愛小説家だ。もう一年も悩み続けている小説があと五千文字と言うところでピタリと手が止まってしまったのだ。

俺のように売れない小説家にも当然担当者はついていて、こうして偉そうに上から目線で急かしてくる。


(書けないのはお前のせいじゃないか!そうやって無闇に急かすから…)


それは苦し紛れの言い訳だ。きっと俺は作家として終わってる。

自分でも良く分かっているのに諦める踏ん切りがつかない。


朝昼晩、朝昼晩、書いては消し書いては消し、今が何日で何時なのか分からなくなってくる。


もうやめちまおうか

いやあと少し、

あと少しだけ。


ある晩俺は煮詰まって、煙草を吸いに外へ出た。外は真っ暗で恐ろしいほど静かだ。人っこ一人いやしない。空っぽになりたい俺にはお誂え向きの夜。


煙で肺を満たせばこのクサクサした気持ちも少しは煙となって消えていくかもしれない。

ふらふらと歩き回って辿り着いたのは近所のN公園だった。

俺は街灯に照らされていたブランコへと腰を下ろした。


(子供の頃は良くこんなブランコで遊んでいたなあ)


恐らく昼間は子供と母親達で賑やかな公園なのだろう。だが今はいつかテレビで見た月面のように静まりかえった公園だった。

座るとどっと疲れが襲う。


(売れない小説家なんて、もうやめてしまおうか。それともいっそ、この世の中からオサラバしてしまおうか)


そんな出来もしない事をつらつらと考えながら俺はブランコを揺らした。


キィ…

 

    キィ…


キィ…

     キィ…


景色はゆらゆら揺れて

揺れて、

揺れて、

陽炎のようにゆらめいて…、


ーぐわん!ー


「え?」


突然景色が俺の目の前で大きく回転した。

まるで脳味噌が洗濯機に放り込まれたみたいにぐるぐるぐるぐると景色が回る。その気持ち悪さに俺は呻いた。


「ゔぅっ、うっ…」


突然の動悸と目眩と耳鳴りとに襲われ、俺はブランコにしがみついてうずくまった。

今にも意識が持っていかれそうだった。


(ああ、俺、このまま死ぬのか?)


『真夜中の公園で変死体。売れない作家世を儚んで自殺か』


こんな時なのに俺の頭の中は冴え冴えと、そんな新聞の見出しが踊る。


(クソ!ムカつく!死んでたまるか!)



どのくらい、俺はそうしていたのだろうか。

気がつくと眩暈は治っていて、俺はそろそろと目を開けた。



だが、これは夢か幻か。

静かな真夜中の公園のはずが、俺はブランコに座ったまま雑踏に塗れていたのだ。

いや、人波に揉まれていた。

いや、人波が俺を通り抜けている?!


ポーン…


何処からか赤いボールが飛んできて、咄嗟に俺は受け止めた。筈なのに、あろう事かそれは俺の身体をすり抜けた。

それだけではない。次には猛スピードで俺に向かって走ってくる自転車に突っ込まれ、歩く人達が、散歩する犬が、様々な物が俺の身体を通り抜けて行く。


「わぁぁぁぁーー!!」


俺は咄嗟に悲鳴をあげて身体を縮こませたが痛くも痒くもない。

体の中をどんな物が通り抜けても感覚がないのだ。

俺の手は震えていた。恐怖と言うより興奮に震えていたのだ。


俺が見える全ての物や人が、風景が、まるで重なるレイヤーのように一つの景色の中に存在して見える。

それは音の無い騒々しい世界だった。

ここでは誰もオレを見ないと言うよりも、誰も俺が見えていないのだ。

ただ俺を通り過ぎて行くだけで、誰も俺を気にかけない。

ブランコを揺らしながら、俺はいつの間にかその心地良い孤独な世界に浸っていた。


そんな時、ふと誰かの視線を感じて俺は目を凝らした。目の前の騒々しい風景の中、ある一点に俺の目が吸い寄せられた。

200mほど先に金髪碧眼の美しい男が立っていた。

その男はまるで俺が見えているみたいに微かに微笑んだ気がして俺もつられて微笑み返した。


(ああ、ずっと笑うことなんて忘れていた気がする)


多分、この世界で君には俺が見えてはいないんだろう。

それでも声をかけたくなった。


「あの…君…」


そう言って俺がブランコから立ち上ったほんの束の間、俺の目の前からその男も、不思議な世界もあっけなく消え、元の静かな公園へと戻っていた。


夜のしじまに俺だけがポツンと立っていた。


見上げた公園の時計は午前二時二十分を指していた。



それから弾かれたように俺は家にとって返した。


今見た世界を書か無ければ!あの不思議な世界の中で目が合ったあの男の事を書かなければ!


消えてしまう!

消えてしまう!


編集者ではなく、俺は俺に急かされて書いた。

今までピクリともしなかった脳細胞が猛烈な勢いで回転し始めた。今まで書いて来た小説をかなぐり捨てた俺は新しい小説を一から書き始めた。

恋愛小説ではなく、初めて書くSF小説だった。


それは俺が見た並行世界、パラレルワールドの物語だ。

編集担当には今更当初のプロットと違う小説を書くのかと怒鳴られた。

一ヶ月で予定のページ数を仕上げなければ契約解除だとまで言われたが、俺は猛烈な勢いで書きまくり、一ヶ月でその物語を書き上げた。


タイトルは「二時二十分の君」

パラレルワールドで出会った二人の不思議な物語だ。


小説はパッと売れはしなかったが地味に部数を稼いだ。

ファンレターなるものも、何通か届くようになり、俺の荒んだ気持ちも一旦はどこかへと棚上げになった。


そんなある日、不思議なファンレターが届いていた。

差出人はフレッド・ポーラスとある。

中を開くと俺の目はそこに記された文字に吸い寄せられた。


午前二時二十分、N公園


だったそれだけの文字。

それだけで俺はそれが誰なのか分かった。


あれはパラレルワールドの住人では無かったのか?

俺が見えていないのでは無かったか?

交わることのない世界の交わる事のない人では無かったのか?


あの夜の不思議な出来事を君と話してみたかった。

本当に俺と目が合ったのか?俺に何故微笑んだんだ?

聞きたいことが沢山あった。


真夜中二時二十分、その人はあの公園で待っていた。

振り返る金髪碧眼の男はあの日と同じように美しく微笑んだ。

そう、俺達ははじめましてじゃない。


「こんばんは、イエガー」

「こんばんは、フレッド」






end.










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