【KAC20234】月の女神
かみきほりと
01 月の女神
木々の枝葉の隙間から煌めく川が見える。
幾億もの星影が連なった、夜空に浮かぶ幻想的な川だ。
見慣れた光景だが、何度見ても飽きることはない。
どうやら俺は、強い日差しを避けて木陰で休んでいたら、そのままうたたねをしてしまったようだ。
いつの間にか完全に日が落ちていたので、うたたねというには豪快な寝坊だが、さすがに肌寒くなって目が覚めた……って感じだろうか。
俺は冒険者だ。みんなからは、バッカーと呼ばれている。
商人の護衛で、たまたまこの町にやって来たんだが……
噂通り、このミルファの町は、驚くほど安全らしい。こんな場所で居眠りしていても、殺されないどころか、物も盗られた様子もない。
もっとも、何かが近付けば、その気配で目覚めるのだが……
……いや、前言撤回だ。
なぜか隣に、見知らぬ女性が眠っていた。
そんな事にも気付かず寝コケていたと仲間に知れたら、いい笑い者だ。
絶世の……と言ってもいいだろう。
星明りに照らされたその姿は、淡い輝きを放っているように見えて、月の女神かと思ったほどだ。
そういえば、今夜は月の姿が見当たらない。
さて、どうしたものか……
こんな時間に見知らぬ男の隣で眠りこけるような女だ。まともなはずがない。だから、気付かれないうちに、早々に立ち去るべきだと心が訴えかけてくる。
だが、こんな時間、こんな場所に、こんな美女を置き去りにしたら、いくら安全と名高いミルファの町でも危険だろう。
この女性に悪意がなく、ただ気持ち良さそうに眠る俺に誘われて、ついつい隣で眠ってしまったってだけの天然娘だったら……
このルックスでそんな性格なら間違いなく町の有名人、それも人気者に違いない。そんな人物に何かあれば、一緒にいた俺に容疑がかけられても不思議はない。
もしかしたら、すでに捜索隊が出ている可能性も考えられる。
うたたねしていたら隣に美女が眠っていた。ただそれだけのことなのに、俺は追い詰められた気分になってしまった。
仕方がないと大きく息を吐く。
この状況における最善の方法は、彼女を無事に家まで送り届けること。
──この町では、夜に出歩くな。悪い魔女に魂を持っていかれるぞ。
この手の話は、どこにでもあるものだ。子供を躾けるための常套手段といってもいいだろう。
だけど、この町では本当に起こることだから気を付けろ。なんてことを、護衛をしていた商人から聞かされたのを思い出した。
まさか、この人が魔女ってことは……などと考え、自分で馬鹿馬鹿しくなって笑ってしまった。
そのせいではないだろうが、女性がもぞもぞと動き出し、上半身を起こして俺のほうを見つめる。
星の明かりに照らされた、透き通るような白い肌。それとは対照的な、長い黒髪。長いまつげと漆黒の瞳も含めて、全てが神秘的であり、この世のものではない雰囲気を醸し出している。
女性は、たっぷり時間をかけてから、なんとも気が抜ける言葉を発した。
「う~ん、あれぇ? 起きちゃった~?」
それはこっちの台詞なのだが、彼女にとっては、俺が先に起きていることが不思議だったのかもしれない。
「もう、こんな時間だからな」
こんなも何も真夜中だ。本来は寝床に入っている時間なのだが、とりあえずそう伝えて立ち上がり、彼女に問いかける。
「俺はもう帰るけど、あんたはどうする?」
なぜそこで悩むのか分からなかったが、ついでに「良ければ、家の近くまで送ってやるけど?」と提案をする。すると、彼女は喜びに満ちた微笑みとともに「じゃあ、送ってもらおうかな」と、手を伸ばしてきた。
誓って言うが、この町に来たのは初めてだし、彼女とも初対面だ。なのに彼女は、俺のことを全く警戒する様子もなく、手を引かれるがままに立ち上がった。
こうして俺は、絶世の美女と夜の散歩をすることになった。
こっそり宿に戻った俺は、仲間たちから幽霊でも見るような目で迎えられた。
日が暮れても戻ってこないから、噂通り、悪い魔女に魂を奪われたのだと思っていたらしい。
だから、多少は体裁を整えて、奇妙な体験を語ってやった。
すると、仲間の一人が、納得したようにうなずく。
「それはたぶん、フラウリー様だな」
「聞いたことがないけど、その人って有名なのか?」
「この町を守護する精霊巫女さまって話だ。バッカー、お前、運が良かったな。フラウリー様に出会ってなかったから、間違いなく死んでたぞ」
なぜこいつが、そこまで自信満々に言い切るのか分からないが、おかげで赤っ恥を掻かずに済んだ。
それにしても、精霊巫女などという存在がいるとは驚きだ。
皆は寝床に戻ったが、空腹だった俺は、非常食をかじりながら物思いに耽る。
彼女と別れてすぐ、無かったはずの月を夜空に見かけ、彼女は本当に月の女神だったんだと思っりもしたが……
そんなことを話していたら、たぶん大笑いされていただろう。
精霊巫女、フラウリー様……
いつかまた出会えることを願いながら、俺も寝床に潜り込んだ。
翌朝、宿の人に精霊巫女のことを聞いてみたが、何のことが分からずキョトンとされてしまった。
他の場所でも聞いてみたが、フラウリーという名前を出しても反応が無かった。
仲間を問い詰めるが、困惑しながらギルドで確かに聞いたと言ったので、わざわざ確かめに行ったけど、知る者はおらず、誰かに与太話を聞かされたんじゃないのかと茶化される始末。
結局、女性の正体が分からぬまま、俺たちはミルファの町に別れを告げた。
【KAC20234】月の女神 かみきほりと @kamikihorito
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