開いてる

灯村秋夜(とうむら・しゅうや)

 

 KAC4の募集要項を見てみたら、ちょうど筆者の実体験を思い出しました。友人や家族には話したこともあるのですが、どんぴしゃりということで文字に起こしてご紹介しようと思います。さすがにお題ごとに書くのは手遅れなので、便乗という形にさせていただきますが。全国に霊場と呼ばれる場所は多いと思うのですが、土地自体に七不思議のある比叡山のふもとあたりでのお話です。


 当時大学生だった私は、夜に出かけて散歩するのに熱中していました。インドア派でパソコンの光に慣れていたせいか、昼間に出かけるともう、まぶしくてたまりませんでした。それは今も変わらないのですが、人が少ない気楽さもあったと思います。月など出ていると気分はリゾートかパレードか、というくらいに晴れやかになって、スキップなどしたい気持ちに駆られたことを覚えています。

 もっともっと長距離の散歩をしてみようと考えた私は、家から遠い駅で降りて、ひたすら自宅を目指す計画を思いつきました。ぶらぶらと迷うのもいいのですが、ぱっと道を決めてしまうこと、昼間に比べて助けが少ないスリルなど考えると、ゾクゾクするような快感が湧き上がってきました。アウトサイダー的立ち位置にいようと決めていた私は、どちらかといえば凡庸な思い付きを実行することにしました。

 道中には、有名な霊場である比叡山付近が入っていました。県ごとにまとめた民話などよく読んでいた小学生の時分に、比叡山の七不思議を知った私は、しかし大して警戒などしていませんでした。というのも、不思議が起こる場所も時間も、私が通るルートからは大きく外れていたからです。

 そもそもの話、半分近くは比叡山延暦寺の内側で起こったことですし、ほかの怪異もほとんどは坂の上で起こったことのようでした。住所で言えば「比叡辻」という坂の下、琵琶湖にもほど近い場所であれば、ぎりぎりで靄船でも見えるかという程度。いくら霊場とはいえ、七不思議に記載された人の外にあるものも、神仏に近いものや信心深いものばかりです。ただ怖い思いをする可能性など、万に一つもなかろうと考えていました。


 話は変わるのですが、比叡山のある滋賀県は、全国でもっとも寺社仏閣が多いのだそうです。それに関連してのことかは分かりませんが、お地蔵さんの祠もとてもたくさんありました。私がその体験に出くわした場所にも、ほんの三十メートルほどの通り、古い家ばかりで二十人も住んでいないであろう箇所だというのに、十か所ほども祠を見かけました。その通りを抜けるとすぐに畑と田んぼが並んでいたので、じっさい人口はそう多くなかっただろうと考えています。

 夜の散歩ですし、霊場巡りでないにせよ七不思議のある場所ですから、私は祠の近くを通るたびに手を合わせていました。何百体分のお供えを用意していったなどということはしていませんし、お地蔵さんにはご挨拶程度でもいいのよ、と教わったこともあります。礼を失してはいないかと気を付けつつ、私はその通りに差し掛かりました。

 たったひとつの通りに十近い(もしくはそれより多かったかもしれない)くらいの数があるとなると、これまで特に怖い思いをしていなくとも困惑はします。信心深いというわけではありませんが、ひとつひとつに手を合わせてご挨拶をと思い、順繰りに済ませていきました。国道にも近く、製薬会社か何かの大きな工場もすぐ近くにありましたから、何かが起きても問題なかったと思います。あとから冷静に考えるとそうも思えるのですが、あのときはとても冷静にはなれませんでした。

 通りを出たところに国道が見えて、祠の数があと三つほどかと思われたときのことでした。かなり近く、数メートルも離れていない場所に祠が隣り合っている場所で、私は祠のひとつへご挨拶をしました。手を合わせて、当時体調を崩していた母の無事など祈ったように記憶しています。

 そこで、「めしっ」という音がしました。木がきしんだような音で、ふだん耳にすることもあるような雰囲気のそれでしたので、いったい何だろうと思った私は、周囲を見回しました。今考えれば、もう深夜だというのによく何も考えずに周囲を見渡せたものです。よくよく考えれば、生木からすることなど考えられない音ですから、動物のしわざなどでないことは明白なのです。

 隣の祠が、開いていました。

 原因はまったく分かりませんし、あえてのぞき込むことができるほど豪胆でもありません。扉が動くでもなく、蝶番がきしむでもなく、ただ単に開いていたというだけのことです。もしかすると、老朽化や力のかかり具合の変化による、ごく力学的なものなのかもしれません。しかし、地蔵盆で外に出ていただくこともありますし、榊も定期的に取り換えるものです。扉はスムーズに開くようになっていなければなりませんし、開きにくい扉であってはならないと考えます。であれば、きしむことはないでしょう。

 総毛立つほどの恐怖に襲われながらも、私はすべての祠に手を合わせて通りを抜けました。国道の赤橙のランプが怪火のようにも思われたり、急に明るくなったことに奇怪なずれを感じて、心はたいそう不安定になりました。道中でも、帰宅したのちにも、とくに何も起こりませんでした。こうして無事に体験を書き綴っているのですから、当然といえば当然なのですが。


 現実に起きたことですし、怪異が起きるとされている場所からもまったく外れていますので、何が原因であるだとかこういった言い伝えがあるだとかのオチはありません。交通の便が良い場所でもなく、民家以外に何かあるところでもないので、調べるのにも向いていない場所でした。あれ以来、あの場所には行っていません。出向した兄の職場がすぐ近くの工場なのですが、何が起きたとも聞いていないので、おかしな場所ではないのでしょう。

 それ以上のことは何も分かりません。以上です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

開いてる 灯村秋夜(とうむら・しゅうや) @Nou8-Cal7a

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ