夜の猫
篠原暦
夜の猫
「最低!」
女はそう叫ぶと電話を叩き切った。
あぁ、また失恋だ。
俺は頭をかきむしりながら、深夜の街に出た。狭いアパートの部屋にいたら、そのまま頭がおかしくなってしまいそうな気がしたから。
夜の住宅街は人通りもなく、街灯も薄暗い。
さっきから何かが後をついてきているような気がする。
「猫か?」
思わず声が出ていた。
「んなぁ〜ぉ」
猫が鳴いた。が、何だか様子が変だ。
振り向いてみた。猫らしきものは確かにいた。だが、どうにも違和感がぬぐえない。
「オマエ、本当に猫か?」
足を止め、猫らしきものを見つめながらそう言った。
「擬態を見破られたのか?」
猫らしきものはいきなりそう言った。
「ん? 擬態?」
「この星の先住生物と同じ姿をしていれば、余計な争いを避けられるかと思ったが、こんなに簡単に見破られるとは思っていなかった」
「え? は? 擬態を見破ったって? そもそも擬態って何よ?」
俺がそう言うと、猫らしきものは明らかに動揺した。
そりゃそうだ、擬態を見破られたかもなんて先に言い出したら、自分の正体は怪しいものですよ、と宣伝しているようなもんだし。
「オマエが猫じゃないなってことは、まぁわかるけど、別に正体が何なのかまではさすがにわからんよ?」
「だが、擬態であることは見破られた。こちらの失態である」
猫らしきものは俺の目をまじまじと見ながらさらに言った。
「私が、この星の先住生物ではないと知られた以上、貴殿をそのままにしておくわけにはいかない。
私がここで消滅するか、貴殿の記憶を消すか…」
俺はそれを聞いて即座に返した。
「あ、なら、俺の記憶消して!
うん、今夜の記憶。
何なら今日の前後、1週間くらいの記憶消されてもいいや。命までは取らないでしょ? やってやって!」
猫らしきものは明らかにびびった様子を見せた。
「貴殿…この星の生物は、記憶を消されることにそこまで抵抗がないのか!?」
「あ! あの、たぶんそういうわけじゃねぇ…俺、俺だけの問題」
「ふむ…貴殿、何か記憶を消し去りたいようなことでも起きたか」
「オマエ、猫もどきのくせにカンは鋭いな」
「この星で最も高度に進化した生物よりも、高度な知性を持っている」
「何かそれちょっと悔しいな」
猫らしきものは、ひとつため息のようなものを吐くと、俺にこう言った。
「では、貴殿の記憶を消させてもらうことにする。生活に支障はない程度にとどめるつもりだ」
俺もさすがに少し怖くなったが
「わかった、命までは取らないでくれよな」
と言った。
気がつくと、部屋で寝ていた。
女にフラれて、夜中に散歩に出て、いつの間にか部屋に戻っていたらしい。
「うー、さむ」
思わず布団をかぶり直した。
ピンポーン。
夜中なのにドアベルが鳴った。
「誰?」
合鍵でドアを開けて入ってきたのは、ついさっき電話を叩き切ったはずの女だった。
「ヒデくん大丈夫!? もう何日も連絡つかなくて、私がひどいこと言ったせいでヒデくんがどうにかなっちゃったのかと思って、心配で心配で…」
女は俺の枕元に座り込み、べそをかき出した。
「え、俺そんな、何日も…?」
「そうだよ。電話しても出ないし、ここに来てもいないし、バイト先も無断欠勤してたみたいだし、本当にしんじゃったのかと思って…えーん」
「俺なら大丈夫だよ、ほらこの通り」
無駄に手足をばたつかせてみた。
と、女が俺の部屋の隅を見て言った。
「あれ、ヒデくん、いつから猫飼ってたの?」
夜の猫 篠原暦 @koyomishinohara
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