カッコいいもの

西影

将来の夢

「せんせー! おれ、ヒーローになる!」


 大きな文字で『ヒーローになりたい』と書いた短冊を掲げる。エプロンを身に着けた幼稚園の先生は笑みを浮かべると、一番上にある笹の葉に巻いてくれた。それを見ていた他の幼稚園生も「僕も僕も!」「私もー!」と先生のところへ群がる。


 これが俺の最古の記憶。あの頃はテレビで放送されていた『かっこいいヒーロー』に憧れていた。かけっこはいつも一番。独りの子供がいたら手を差し伸べ、困っている人がいたら助ける。


 それが当たり前で、親にも褒められたから人助けが好きだった。俺は絶対にヒーローになるんだと思っていた。


 しかしそんな夢が叶うわけもない。いつしかヒーローなんて、現実にいないことを知った。その頃になると将来の夢がヒーローと言うのも恥ずかしく、人助けもしなくなった。


「おおおお! あいつレギュラーに勝ったぞ」

「なんだよあの一年!」


 中学校ではテニス部に入った。小学四年生辺りでテニスを習い始めていた俺は、試合でレギュラーに勝ち、先輩たちの引退試合にも参加させてもらえた。一年生の頃に地区大会の団体戦で優勝、県大会ではベスト四、全国大会まであと一歩のところまで迫れた。その頃の将来の夢は『かっこいいプロのテニス選手』だった。


 しかし、現実はそう甘くない。中学三年生で全国大会の切符を掴みとれたのはよかった。しかし全国では初戦に優勝候補と当たると何もできず大敗。その後、一回戦敗者同士の対決では俺だけがギリギリ勝って団体戦は幕を閉じた。


 このままではプロになれない。全国の舞台で痛感した俺は強豪校に入るため、勉強に力を入れた。中学の部活では俺とまともに戦える相手がいなかったので、高校で切磋琢磨できる相手ができたら俺は生まれ変われる。そう確信していたんだ。


 ──それが勘違いだということも知らずに。


 人の夢は儚いとはよく言ったものだ。そんな俺の希望、そしてプロになる夢も高校に入学した数日後に打ち砕かれた。高校のテニス部には俺より強い人間しかいなかった。まともに戦える相手を探していたにも関わらず、俺がまともに戦えないだなんて皮肉にもほどがある。


「お前、いつもどれだけ努力してるんだ?」


 彼らの強さの根源が気になり、そんなことを聞いたことがある。俺とこいつらではどれだけの差があるのか知りたかった。ただ、思っていた答えは得られなかった。


「努力なんてしてねぇよ。普通にメニューしてるだけだ」

「普通ってなんだよ」

「普通は普通だ。そんなこと聞く暇あるなら練習したらどうだ?」


 普通なわけがない。しかしいくら粘っても普通の一点張り。これが才能の差かと思い、拳を握りしめる。俺にも天性の才能があればとどれほど願ったことか。


 だけどそんなもの大きな間違いで、彼らの自主メニューは俺のメニューより何倍もハードだった。才能もあっただろう。だがそれだけじゃない。努力のレベルが違いすぎた。きっと努力を努力と思わない感性こそが彼らの強さなのだ。


 俺にはできなかった。自分では到達できない領域に彼らはいて、俺は独り取り残されてしまった。


「……将来の夢かぁ」


 そんな俺も高校二年生になり、進路について考えるようになった。高校卒業後には就職か進学、進学ならどの学部に受験するかも考える必要がある。今では『プロのテニス選手』という夢も消え、幼い頃抱いていた『ヒーロー』という夢もない。


 そんな俺はどうやって将来の夢を見つければいいのだろうか。


「おいおい、あとはお前だけだぞ」

「あ、トベ先生」

卜部うらべ先生な。なんで毎年『うらべ先生』って呼ばれないんだろうな」


 諦めているのか、トベ先生は独り言のように呟く。トベ先生が俺に言っていたのは進路調査票のことだろう。俺も早く出したいし、提出期限を過ぎてることは分かっている。とは言っても白紙のまま提出するわけにもいかなかった。


「すみません、まだ書けてなくて」

「お前うちのテニス部なんだからプロとか目指してないのか?」

「俺には無理っすよ。ランキング最下位ですし」

「そーなのか。だったら将来の夢は?」


 今更『プロのテニス選手』が夢だったとも言えず押し黙る。そんな俺がおかしかったのか、トベ先生がいきなり笑いだした。


「進路に悩む学生を笑うって失礼すぎません?」

「ははは、すまんな。先生もそんな時期あったのを思い出したんだ」

「進路に悩んでたんですか?」

「まあな。趣味はあったんだが、それで飯は食えなくてな」

「ならどうやって大学を選んだんですか?」

「ん~……その場の勢い」


 真面目に聞いてもおかしな返答しかもらえず、ため息がこぼれる。


「勢いって……聞く相手間違えたか?」

「お前こそ失礼だな。確かに勢いではあったが、それでも俺は自立してるんだぞ。だから変に悩まず選んだらいいんだよ。仮進路なんだし。明日には提出しろよ~」


 言いたいことを話し終えたのか、トベ先生が教室を後にする。トベ先生の言葉を思い返すが、悩まずに選べたら苦労しない。仮とは言え進路調査票。遅かれ早かれ直面する問題なのだ。真剣に考えてしまうのも無理はない……はず。


 それでも明日には提出しなければならなくて、仕方なく親の出身校を書いて提出した。


 そうして迎えた高校三年生の秋。結局、俺は去年のように教室の席で進路調査票と向き合っていた。放課後だというのに俺のような生徒が十人以上も残っていて、少なからず安心感を覚える。


 それでも一人、また一人と調査票を持って教室から姿が消えていった。イスが動く音を聞くたびに心臓が激しく脈打つ。数日前の暑さが戻って来たかのように背中から汗が流れてきた。取り残されないようにいくらプリントを睨んでも空欄は白いまま。ここに文字が並んでいる姿を想像できない。


 痺れてきた手をほぐすように骨を鳴らし、借りた職業紹介の本をパラパラとめくる。昨日のうちに全て読んでみたけど何一つピンとこない。どうしたら将来の夢を見つけられるのだろうか。


「おいおい、あとはお前だけだぞ」


 去年も聞いたような言葉に物懐かしさを覚えて顔を上げる。周囲を見渡すとあれだけいた生徒は消えており、教室には俺と先生しかいなかった。


「まだいたんですね」


 どういう偶然か、俺のクラス担任は去年に引き続きトベ先生だった。二年目ということもあって話しやすく、俺は良い印象を持っている。


「教員は授業終わっても帰れないんだよ。それに、今日はまだここに生徒が残ってるしな」


 視線の先にある時計に俺も目をやる。四時五十五分。いつの間にか授業が終わって一時間以上経っていたらしい。


「まだ進路選べてないのか?」

「そうなんですよね」

「だよなぁ」


 トベ先生が俺の前の席に座ると手に持っている本を覗きこんできた。


「そんなに悩むなら、経営とか商学はどうだ?」

「考えはしましたよ。けど、どうしても決断できなくて」

「習いたいことは……」

「ありません」

「ふーむ、こりゃ難題だ」


 困ったというようにトベ先生が自身の黒髪を掻く。こんな面倒くさい生徒を持つトベ先生が不憫に思えてきた。


「まぁ、これ以上悩んでたって仕方ないですよね。今から書くので少し待っててください」


 別に将来の夢があっても叶うわけではない。それはここで痛いほど実感した。夢が叶う者は一握りと言われているし、俺も代わりの効くような仕事に就くのだろう。


 トベ先生から目を離してペンを持つ。しかし、気付けば机上の調査票がなくなっていた。俺が困惑していると目の前でひらひらとプリントを見せつけられる。


「……なんの真似ですか」

「諦観して調査票を書く生徒がいたら止めるに決まってるだろ」


 没収するように手の届かない机に置かれてしまう。そのまま考えるように腕を組むと数秒後に口が開いた。


「そうだなぁ。元テニス部だしコーチはどうだ?」

「コーチですか」


 俺が通っていたスクールの若いコーチが頭に浮かんでくる。俺はあの人を信頼してメニューに付いていった。しかしそれは高校時代の実績があったからで、それがない俺に付いてくる生徒はいないだろう。


「ちょっとキツイですね」

「そっかそれなら……」


 トベ先生は真摯に考えて様々な提案をしてくれた。大学はどんなところか、過去の先輩らの経験談による職業の紹介など。特に教師の仕事については熱心に語った。


「確かに大変ではあるが教師はやりがいのある仕事だ。生徒と話すのは楽しいし、良い点数を取ってくれると嬉しい。それに……」

「それに?」

「生徒の悩みを解決した後の酒が美味い!」

「生徒の前で何言ってるんすか」


 変なことを語るトベ先生に嘆息する。それでもその姿はどこか……カッコいいものに見えた。


「ただまぁ、最後にアドバイスだ。後悔のない選択なんて考えなくていい。今の自分が良いと思う選択をしろよ」


 俺に調査票を渡すと教室のドアに手をかける。それを止めるように俺も立ち上がった。


卜部うらべ先生!」

「なんだ?」

「今日はありがとうございました!」

「……気が晴れたようでなによりだ。進路が決まったならもう帰っていいぞ」


 今度こそ先生が教室を後にする。俺はすぐに用意を纏めると走って家に帰った。親との話し合いで志望大学を決めると参考書の問題を解いていく。


 今度こそ俺は夢を叶えてやるんだ!


 ***


 大勢の生徒が卒部して受験のことを考える秋の放課後。テニス部が休みで暇だった俺は高校三年生の廊下を歩いていた。今年から担当することになったB組の教室。窓から覗いてみると一人の男子生徒がプリントを見て頭を悩ませていた。


 一年の頃から教えていた生徒。どうやら彼は未だに自身の答えを見つけてないらしい。過去の記憶を思い出し、笑みがこぼれる。俺は扉を開けると男子生徒に話しかけた。


「――おいおい、あとはお前だけだぞ」

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