深夜の散歩
桁くとん
深夜の散歩
彼は、自分がどこから来たのか、覚えてはいなかった。
気が付いたら彼は彼として、そこに存在していたのだ。
彼の周りには、彼と似たような姿かたちをしたものたちが大勢いた。
彼は、それらの中にいると安心できた。
ただ、安心はできても、幸せではなかった。
彼は、それらと自分は違う存在だということが、初めからわかっていたから。
彼と同じ存在は、この世界の何処かに存在しているのだろうか。
存在していて欲しい、彼はそう強く渇望した。
しかし、彼は彼と同じ存在を探すために、特にどんなアクションも取らなかった。
ただ、安心感を満たすためだけに彼と似たような姿かたちをしたものたちの中に埋もれ、交わっていた。
安心感は、生暖かく甘美で、そして腐敗臭が仄かに香っていた。
そんなある日の夜、彼は深夜に外を歩いていた。
何だか、安心感を満たすだけでは満足できない。彼はその夜そう思った。
彼は満月の光が降り注ぐ道を、まっすぐ月の昇る海辺の方向へと歩く。
真っ直ぐな道の両脇に立つ電柱の影が、彼の歩く道の両脇に長く長く伸びている。
彼は、心が躍った。
強い予感が彼を捉えていた。
この先に、自分と同じ存在が、必ずいるのだと。
ふと彼が後ろを振り返ると、これまで彼と交わった彼と似たような姿かたちをしたものたちが、ぞろぞろと彼の後ろをついて歩いている。
彼は、彼と似たような姿をしたものたちにも、愛着はあった。
彼と似たような姿をしたものたちが自分に付いてくることを誇らしく感じた彼は、確信を持って歩みを進めた。
そして彼は砂浜に出た。
そこには、彼と同じ存在が数多く蠢いていた。
彼等は、彼を見ても驚きはしなかった。
何故なら彼はごくありふれた彼等だったのだから。
彼はそこで、安堵を感じるとともに失望した。
自分と同じ14本の足を持つ存在。
彼は、フナムシと呼ばれる彼等の単なる一個体に過ぎなかった。
彼は、自分と同じ存在に失望を覚えた。
そして一瞬迷った後にフナムシの群れから離れ、似たものたちの元に戻って行った。
彼の後ろからぞろぞろ付いて来た、彼に似たような姿かたちのものたち――
文字で書くのは憚られる
彼等はこんなに遠出をしたことはなく空腹だったが、親である彼と同じ
親である彼も空腹であろう。
何か、フナムシのテリトリーを荒らさずに、食べる物はないだろうか。
その彼等の中の幾つかが、満月の光の中を近づいてくる肉と繊維に気づいた。
満月の夜は、釣果が上らない。
たまたま磯釣りに来ていた釣り人は、ポイントを変えるために海辺の堤防沿いを歩いていた。
釣り人は、満月に照らされた防波堤と、そこに続く道が、何かで真っ黒に埋め尽くされていることに気づき足を止めた。
立ち止まり、ヘッドライトを地面を覆う黒い物に向け目を凝らす。
蠢く黒いものの正体が、海辺には居る筈のないものの集まりであることに釣り人は気づき、「ひっ」と声をあげた。
その瞬間、地面を覆う黒光りする絨毯は一斉に釣り人に殺到した。
深夜の散歩 桁くとん @ketakutonn
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