夜気を吸った。ぼくは山羊を吸っていた

瘴気領域@漫画化決定!

夜気を吸った

 月も見えない夜空に、弱々しい街灯に照らされた梅の花が穴を開けている。

 天気予報によると今夜は曇天だそうだ。春に綿雲がこれだけできるのは珍しいんだと、お天気お姉さんが妙に嬉しそうに語っていた。


 真夜中の天気なんて誰も気にしないだろうに、気象予報士っていうのはずいぶんと真面目だ。それに引き換え、そんな天気予報の結果をちゃんとチェックしているぼくはずいぶんな暇人なんだろう。別に、お天気お姉さんのファンだというわけではない。ないといったらない。毎日録画しているのもただの偶然だ。


 夜風はだいぶ温くなってきた。

 長袖のTシャツに、ジャージを羽織るくらいでほどよい。夜は花粉が少ないのもいい。湿度が上がって花粉が落ちるんだっけ? ま、そんな理屈はどうでもいい。ぼくは新鮮な夜気を胸いっぱいに吸い込む。


 そう、夜気だ。


 ぼくはごく最近まで「やぎ」って読むものだと勘違いしていた。「やぎ」と打ち込んで変換できず、苛立ちのあまりキーボードに拳を叩きつける寸前にふと思いついて、「やき」と打ち込んだらすんなり変換できた。おかしいだろうと思って検索してみたら、「やき」が正しかった。ごめんよ、Google日本語変換。お前が正しかった。最近どんどん頭が悪くなる君だから、ぼくはいいかげんATOKに戻ろうかと思っていたけれど、それはぼくのとんだ勘違いだったようだ。誰がどう考えても使えるスキルを持っている有能なメンバーなのに、それを追い出してしまう『追放もの』の勇者パーティのような振る舞いをするところだった。あるいは、Sランク冒険者パーティでもいい。


 おっと、そんなことはどうでもいいんだ。気になるのは目の前の状況だ。

 目の前っていうか、口の中の状況だ。めいっぱい夜気やきを吸い込んだつもりが、間違って山羊やぎを吸い込んでしまっていた。弱ったことに、彼は彼女じゃなく彼だった。すなわち、オスの山羊だった。これがなぜ問題なのかというと、角が生えているんだ。これが喉に引っかかって、サンマやアジの小骨が引っかかってしまったときのおおよそ二千倍ぐらいの苦痛をぼくに伝えてくる。倍率は主観だが、マジで痛い。


 危機的な状況に陥ったとき、ぼくは素数を数えることにしている。

 素数は自分自身以外では割り切れない数。割り切りできる大人のサバサバ系女子とは真逆で、つまり完璧なのだ。完璧を数えて、心を落ち着けよう。


 2、3、4……いやまて、さっそく素数じゃないな。5はどうだ? なんかキリがいいし素数っぽくない。6……ひっくり返すと9だな。これはどうしよう。7。ラッキーセブンだ。今日はついている。8。漢字では八だ。末広がりだ。なんてこった! 今日のぼくは最高にツイている!!


 ぼくはとりあえず気合と根性で山羊を吐き出すと、彼と手に手を取って……いや、手とひづめをとって? マイムマイムを踊りはじめた。運動会で男女が交互になって手をつなぎ、ワイワイキャッキャするあれだ。ぼくの隣になった女子が泣き出して、代わりに先生が左右に立った記憶はどこか遠くに捨ててしまおう。そうさ、今夜はこんなに素敵に真っ暗なのだから。


 まいむまいむまいむまいむ

 まいむめっさっさ


 まいむまいむまいむまいむ

 まいむめっさっさ


 ちゃんちゃんちゃんちゃん

 ちゃっちゃっちゃっちゃちゃちゃ

(拍手)

 へい!

(拍手)

 へい!

(拍手)

 へい!


 ぼくと山羊は、ぼくたちと山羊たちになって、山羊の群れは器用に二本足で、ぼくの群れと作った円を縮めたり、広げたり、その真ん中には咲き誇る梅の木があって、


 まいむまいむまいむまいむ

 まいむめっさっさ


 まいむまいむまいむまいむ

 まいむめっさっさ


 ちゃんちゃんちゃんちゃん

 ちゃっちゃっちゃっちゃちゃちゃ

(拍手)

 へい!

(拍手)

 へい!

(拍手)

 へい!


 円が縮むたび、ぼくたちは小さくなって、円が広がるたび、梅の花びらが大きくなって、縮んで、小さくなって、広がって、大きくなって、黒い黒い夜空に、大きな大きな穴が開いて、


 ぼくたちは、山羊たちとマイムマイムを舞いながら、どこまでも、どこまでも、その穴に吸い込まれて――


 まいむまいむまいむまいむ

 まいむめっさっさ


 まいむまいむまいむまいむ

 まいむめっさっさ


 ちゃんちゃんちゃんちゃん

 ちゃっちゃっちゃっちゃちゃちゃ

(拍手)

 へい!

(拍手)

 へい!

(拍手)

 へい!


(了)

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